武田信玄の有名な肖像画は、本当に本人を描いているのだろうか
大河ドラマ「どうする家康」では、阿部寛さんが演じる武田信玄が登場した。信玄といえば、豊かな髭をたくわえた姿で知られているが、それが事実なのか考えることにしよう。
かつて教科書に掲載された武田信玄像のモデルになったのは、高野山成慶院(和歌山県高野町)所蔵の長谷川等伯が描いた『絹本著色武田信玄像』(重要文化財)である。信玄の没後、子の武田勝頼によって寄進されたといわれている。
これまで成慶院所蔵の信玄像は、高校などの日本史の教科書には、必ずと言っていいほど掲載されてきた。しかし、近年では信玄ではないという説が提起されたので、掲載を見送るか、「伝武田信玄像」とキャプションを施すようになっている。以下、理由を考えてみよう。
第一に、画像の制作された期間において、等伯が信玄に面会したという史料が見当たらないことである。等伯が信玄と接触していないならば、信玄が像主である可能性は極めて低いと考えなくてはならない。
第二に、像主が腰に差している目貫(めぬき:太刀・刀の身が柄から抜けないよう刺し止める釘)と笄(こうがい:小刀等の鞘に差す整髪用の道具。装飾用)、そして脇の太刀の目貫には二引両紋が用いられているが、武田家の紋は花菱である。二引両紋は、足利家、畠山家などが使用した家紋だった。
第三に、信玄は39歳で出家したにもかかわらず、後鬢が描かれている。そのような理由によって、『絹本著色武田信玄像』に描かれた人物は、能登畠山氏の誰かであるとの説が提起された。中でも畠山義続の可能性が高いと指摘されているが、決め手に欠けている。
やはり、『絹本著色武田信玄像』は、信玄が像主であるとは言い難いようだ。信玄像の真偽ををめぐっては、今も激しい論争が続いている。果たして決着がつくのか、今後の論争の行方が注目される。
参考までに補足すると、ほかに信玄を描いた作品としては、高野山持明院(和歌山県高野町)所蔵の『絹本著色武田晴信像』があるが、その姿は『絹本著色武田信玄像』とかなりかけ離れた描かれ方をしている。
また、浄真寺(東京都世田谷区)に伝わる『伝吉良頼康像』は、もともと成慶院に所蔵されており、武田信廉(信玄の弟)が描いた信玄像の忠実な模本であるとの指摘もある。
主要参考文献
藤本正行『武田信玄像の謎』(吉川弘文館、2005年)