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【深掘り「どうする家康」】豊臣秀吉には指が6本あった。神秘のベールに包まれた若き頃の逸話

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
木下藤吉郎(豊臣秀吉)を演じるムロツヨシさん。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 大河ドラマ「どうする家康」では、ついに豊臣秀吉が登場した。若き頃の神秘のベールに包まれた秀吉について、その逸話を深掘りすることにしよう。

 ムロツヨシさんが演じる若き頃の豊臣秀吉(木下藤吉郎。以下、秀吉で統一)は、怪しさがプンプンする。それが秀吉の魅力なのだろうが、その前半生は神秘のベールに包まれている。

 秀吉は武士の子として誕生したのではなく、農民の子だったといわれている。若い頃の秀吉は、行商人だったとか、物乞いのような生活をしていたとか、さまざまな説が唱えられているが、今もって確証はない。いずれにしても、身分が低かったのは事実だ。

 一説によると、秀吉は薪売りで生計を立て、古い蓆を身にまとって寒さを凌いだという。その生活は赤貧、極貧といわれており、金持ちの農民のもとで働いていた。その仕事ぶりは、非常にマジメだったと伝わっている(フロイス『日本史』など)。

 若い頃の秀吉は、「猿」と称されていたという。時代劇では、すっかりおなじみな呼び方である。しかし、一方で織田信長からは「はげ鼠」と呼ばれており、外国の史料には「容姿が醜悪だった」と書かれている(フロイス『日本史』など)。

 そして、不思議なのは、国内外の史料に「秀吉の指が6本あった」と書かれていることだ(『国初遺言』、フロイス『日本史』など)。これが事実なのか、あるいは単に根拠のない噂が広まっただけなのか、もはや確かめようがない。

 秀吉は、人の心を掴むのが得意な「人たらし」だった。ある寒い日のこと、秀吉は主君である信長の履物を懐で温め、その才覚を認められたという。この話も逸話にすぎないが、信長がのちに秀吉の能力を評価し、重用したのは事実である。

 このように秀吉は、非常に謎が多い人物だった。しかし、苦労だらけの若い頃の生活の中で、上層部から認められるだけの方法を身につけたのだろう。主君の信長は出自や身分を問わず、能力主義で家臣を登用したので、秀吉はお眼鏡にかなったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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