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【深掘り「鎌倉殿の13人」】源実朝、公暁に暗殺されるのか!その黒幕は北条義時だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
北条義時が源実朝暗殺事件の黒幕だったのか。(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源実朝が公暁に暗殺される展開になった。その黒幕が北条義時だったのか、詳しく掘り下げてみよう。

■源実朝の拝賀式

 建保6年(1218)12月、源実朝は右大臣に昇進した。まだ、27歳という若さだった。一説によると、異常なまでの早い昇進スピードの理由は、実朝の不幸を願った「官打ち」といわれているが、迷信に過ぎないだろう。

 翌年1月27日、鶴岡八幡宮において、実朝の右大臣拝賀の儀式が執り行われた。雪が2尺(約60cm)も降り積もった日だったといわれている。

 実朝が参拝を終えて帰路につくと、突如、公暁に襲われ暗殺された。このとき公暁は、「親の仇だ」と叫んだという。また、一説によると、公暁が討とうとしたのは、北条義時だったといわれている。

■北条義時の不可解な動き

 当日、不可解な動きをしたのが義時である。拝賀式において、義時は御剣を奉持する予定だった。しかし、途中で急に体調が悪いと訴え、源仲章が義時の代役を務めることになったのである。

 実朝が公暁に襲撃された際、仲章は巻き添えとなって命を落とした。もし、そのまま義時が御剣を奉持する役を務めていたならば、このとき死んでいたはずである。

 つまり、義時は公暁による実朝の暗殺計画を知っていたので、急に体調不良を訴え、仲章に交代してもらったと言う訳である。もう少し言えば、義時が公暁に実朝の暗殺を命じたということになろう。これが「北条義時黒幕説」の一つの根拠である。

■まとめ

 この話を一蹴するのか、蓋然性があると評価するのか議論が分かれる。義時が源家将軍の存在を否定し、親王将軍を擁立することで、自らが執権として権勢を振るおうとしたのかが一つのポイントになろう。

 とはいえ、義時黒幕説には第一に明確な根拠がないうえに、実朝が将軍に在職していても、義時には権勢をふるう機会が十分にあった。すでに、ライバルとなる目ぼしい御家人もいなかった。

 あえて実朝を公暁に暗殺させる危険を冒すよりも、現状のままでも義時は困らないはずだ。したがって、「北条義時黒幕説」は成り立たないとみるのが自然であろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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