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世にあまり知られていない、東北のマニアックな戦国大名3人

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(提供:イメージマート)

 テレビを観ていると、世に知られていない人物が紹介されることがある。戦国時代には幾多の有名な戦国大名がいるが、今回はあまり世に知られていない、東北のマニアックな戦国大名を3人紹介することにしよう。

◎青森県:津軽為信

 青森と言えば、津軽地方を領した津軽為信がいる。為信は天正16年(1588)までに、津軽地方の南部氏の諸城を攻略して支配権を確立した。

 天正18年(1590)に豊臣秀吉と謁見し、前田利家らによる検地を受け入れた。翌年、秀吉から津軽地方に3万石の領知を認める朱印状を拝領したのである。

 天正19年(1591)、九戸政実の反乱が勃発すると、為信は軍勢を率いて出陣し、鎮圧に貢献した。文禄2年(1593)には近衛家から藤原姓を授与され、牡丹の家紋の使用を許可された。

 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦では東軍に与して軍功を挙げ、津軽藩祖として高い評価を受けたのである。

◎秋田県:安東愛季

 秋田県の大名としては、湊系と桧山系の安東氏を統一した安東愛季がいる。愛季は南部氏や比内地方の浅利氏と抗争を繰り返しながら、勢力の拡大を図ってきた。

 その経済基盤は、雄物川流域の河川交易、アイヌとの交易にあった。なかでも土崎港は東北最大の港湾都市に発展し、安東氏が独占したのである。

 天正元年(1573)以降、愛季は中央に覇権を確立した織田信長に貢物を贈り、その死後は羽柴(豊臣)秀吉との関係を重視した。天正10年(1582)頃には、浅利氏の攻略に成功し、出羽地方北部を支配下に収めた。

 晩年には名字を秋田に改姓すると、従五位下・侍従の官職を授けられ、安東氏の礎を築いたのである。

◎岩手県:九戸政実

 岩手の名将としては、九戸政実の乱で豊臣秀吉に最後まで抵抗した、九戸政実がいる。九戸氏は南部氏の庶流で、戦国期以降は九戸郡に勢力を拡大した。

 天正10年(1582)に南部晴政が亡くなると、養子の信直が跡を継いだ。以降、政実は信直と対立を深め、自らが南部氏の本流であると自称する。

 天正18年(1590)に秀吉による奥州仕置があったものの、政実の態度に変化はなく、翌年、南部氏に対して反旗を翻したので、劣勢の信直は秀吉に支援を要請した。

 秀吉は豊臣秀次に政実の討伐を命じ、約6万の軍勢を送り込んだ。秀次の軍勢には、東北の諸大名も加わっていた。衆寡敵せず、政実はあえなく敗北。二本松で斬首されたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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