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【深掘り「鎌倉殿の13人」】なぜ公暁と三浦義村は親密だったのか。その深い理由を探る

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
三浦義村を演じる山本耕史さん。(写真:Motoo Naka/アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、三浦義村が公暁を次期将軍候補として推していた。2人はなぜ親密だったのか、詳しく掘り下げてみよう。

■次期将軍候補の問題

 ドラマでは源実朝に実子が誕生しない状況下で、次期将軍候補を誰にするか話し合いがもたれていた。その中で注目されたのが、源頼家の遺児で実朝の猶子だった公暁である。

 公暁を次期将軍候補として熱心に推していたのは、三浦義村だった。その理由は実に簡単で、自分が推す公暁が実朝のあとに将軍になれば、義村が後ろ盾となって権勢をふるうことができるからだ。

 ところが、事はそう簡単に進まない。実朝の意向は、後鳥羽上皇の子を次期将軍に迎えるものだった。そこで、公暁は怒りに打ち震え、義村も頭を抱えたのである。

■公暁と三浦氏の関係

 ところで、義村が公暁を次期将軍候補に推したのか否かは不明であるが、両者の接点はまったくないことはないのである。その点をもう少し探ることにしよう。

 建永元年(1206)6月、公暁は7歳になったので、祖母の北条政子の屋敷で着袴の儀式を執り行った。着袴の儀式は幼児からある程度分別のある児童に成長したことを祝い、袴を着用するものである。

 同年10月、公暁が実朝の猶子になったとき、付き従ったのが乳母夫の義村だった。つまり、公暁の乳母を務めていたのは、義村の妻ということになろう。

 乳母や乳母夫は養育した子供に対して、強い影響力を持ち、時に大きな権力を持った。頼家の乳母夫は比企能員であり、能員は北条一族に対抗しうるほど権勢を誇ったのは好例だろう。

 また、義村の子の駒若丸(のちの光村)は、公暁の門弟でもあった。両者は、まったく無縁ということではなかったのである。

■まとめ

 公暁が実朝を暗殺した際、頼みにしたのが義村だったという。少なくとも両者が親密な関係にあったのは事実と認めてよいだろう。

 それゆえ義村は黒幕の1人と言われるのであるが、この点に関しては改めて取り上げることにしよう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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