【深掘り「鎌倉殿の13人」】源実朝と妻の間に子が誕生しなかった理由
今回の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源実朝と妻の間に子が誕生しなかった理由が明らかにされた。その原因は何だったのか、詳しく掘り下げてみよう。
■源実朝と妻との結婚
源実朝が頼朝の子として誕生したのは、建久3年(1192)8月のことである。その7年後、頼朝が急死したので、兄の頼家が家督を引き継いだ。
建仁3年(1203)9月に比企能員の変が勃発し、頼家は伊豆に幽閉された(その後、殺害された)。図らずも実朝が家督を継ぐことになり、同年10月に元服したのである。
実朝が坊門信清の娘と結婚したのは、元久元年(1204)12月のことである。実朝は13歳、妻は一つ年下の12歳だった。なお、ドラマにおける実朝の妻の役名は、千世とされている。
■なぜ、子が生まれなかったのか
実朝と妻との間には、結局、子が誕生しなかった。実朝は子がいなかったにもかかわらず、側室を置いた形跡もない。むろん、側室を置かなかった理由が明確に判明しているわけでもない。
ドラマの中では、子が誕生しなかった理由について、実朝が女性との性交渉に関心がなかったように描かれていた。『吾妻鏡』によると、実朝には実子をもうけようという意思が薄かったと記載されている。
当時、男色は特別なことではなく、藤原頼長は自身の日記『台記』のなかで、男性との交渉を生々しく描いている。むろん、実朝が肉体的に子をもうけられなかった可能性も否定できない。
現時点においては、総合的に判断して、実朝は女性を恋愛の対象として見ることができず、逆に男性を好んでいたのではないかという説が有力視されている。側室を置かなかったのは、そうした事情があったのだろうか。
■まとめ
いずれにしても、実朝と千代との間に子が誕生しなかった理由は、史料に明確に書かれているわけではない。しかし、実朝に実子がいなかったことは、後に大きな禍根を残すことになった。