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【深掘り「鎌倉殿の13人」】本当に北条泰時は、蹴鞠に興じる源頼家に諌言したのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
北条泰時。(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の29回目では、北条泰時が蹴鞠に興じる源頼家に諌言していた。この話が事実なのか、詳しく掘り下げてみよう。

■蹴鞠が好きだった源頼家

 源頼家は、蹴鞠が大好きだった。蹴鞠とは、直径21~24cmの鹿革の鞠を蹴り上げ、鞠を地面にできるだけ落とさないよう受け渡す遊びである。鞠を落とすことなく、受け渡す回数を競った。

 蹴鞠が盛んになったのは平安時代末期頃で、飛鳥井、難波の2家が指導する家柄だった。

 建仁元年(1201)9月、かねて頼家が後鳥羽天皇に要望していた甲斐があり、鞠の名人・紀内所行景が鎌倉に下向した。

 その直後、頼家は行景のほか、北条時連(時房)・冨部五郎・比企時員・肥多宗直・大輔房源性・加賀房義印らとともに蹴鞠を催した。頼家は、大いに満足だったに違いない。

■夢中になり過ぎた頼家

 頼家の蹴鞠熱は、常軌を逸脱していた。同年9月20日、頼家は御所で蹴鞠をしていたが、もはや「政務を投げ打って、蹴鞠ばかりしている」と言われる始末だった。

 というのも、8月に鎌倉には台風が襲来したので、家が押し潰され、港の船が流されるありさまだった。鶴岡八幡宮も大きな被害を受けたので、放生会を延期することになった。おまけに米などの収穫は絶望的になった。

 同年9月22日も頼家が蹴鞠に夢中だったので、北条泰時は近習の中野能成を呼び出した。泰時は能成に「蹴鞠をするのは悪くないが、台風で人々が大きな被害を受け、作物の収穫も絶望的なのだから、慎むべきではないか」と忠告したという。

 能成から泰時の諫言を聞いた頼家は、北条時政・義時父子を差し置いて、先に忠告してきたことに立腹したという。特に、時政は幕府内での地位も高く、頼家の祖父でもあったので、なおさらだったに違いない。

■伊豆に下向した泰時

 この状況を察知した親清法眼(泰時の近習)は、頼家の機嫌が良くなるまで、伊豆に下向するよう泰時に助言した。こうして同年10月3日、泰時は伊豆へと向かったのである。

 伊豆に下向した泰時は、飢饉で苦しんでいる農民のもとを訪れ、貸した米を返さなくてもいいと言った。それどころか、農民に酒や食事を振舞い、1人につき米1斗を与えた。農民が歓喜し、泰時に感謝したのは言うまでもない。

■まとめ

 以上の話は『吾妻鏡』に書かれているが、同書は北条氏の関係者が編纂に関係していたのは周知の事実である。

 その点を考慮すると、のちに北条氏に討たれた頼家を愚かな武将として描き、泰時を優れた武将として評価したような感がある。なんとなく、作為を感じる話なのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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