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【深読み「鎌倉殿の13人」】源頼朝と愛人の「亀」は、本当にあんなにラブラブだったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
源頼朝は、性に奔放だったのだろうか。(提供:アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」8回目では、源頼朝と愛人の「亀」のラブラブ・タイムが注目された。あの時代の人々は、性に奔放だったのだろうか。その点を深く掘り下げてみよう。

■性に奔放だった日本人

 今も世を賑わすのは、芸能人らの不倫だろう。昔であれば「芸の肥やし」と言い逃れができたが、今や世間の目は厳しい。別に犯罪ではないのだが、テレビ出演も叶わなくなる。

 一般の人であっても、男女ともに不倫が発覚すれば、離婚の理由になってしまうのが普通だろう。

 そもそも当時の結婚は、今とは違って婚姻届を出すわけではない。武家や公家などは正室だけでなく、側室を抱えるのが普通である。

 側室を迎える大きな理由は、子をたくさん産んで家の繁栄の礎にするということだろう。もちろん、政略上の問題もある。

 戦国時代になってしまうが、ポルトガルからやって来た宣教師のフロイスは日本人の性観念について、次のように述べている。

 フロイスは、「日本の女性が処女の純潔を少しも重んじることなく、処女でなくても名誉を失わなければ結婚もできる」と述べている。当時の日本では、処女性にまったく関心がなかったことを示す事実である。

 その前段でフロイスは、「ヨーロッパでは未婚女性の最高の栄誉と貴さは、貞操でありまたその純潔が犯されない貞潔である」とわざわざ記しているのだから、日本人の性観念に驚いたのだろう。

 おそらく、平安末期から鎌倉時代にかけても、性観念はさほど変わらなかったと考えられる。当時の日本人女性には貞操観念がいささかなかったようである。

■男の浮気の例

 コリャードの『懺悔録』には、日本人男性の性観念について書かれている。

 同書には、女房を持ちながらも、愛人を持った日本人信徒の男の例を挙げている。

 男は愛人と肉体関係を持ってはならないと自覚するが、ついには欲望に負け、何度も情を通じてしまった。この日本人信徒は、キリスト教の教えに背いたので、自ら懺悔をしたという。

 同書では、夫を持つ女との性交や強姦の類もままあったことが記されている。ある男は男色の欲求に駆られればその欲望を満たし、美しい女性に会えば、すぐに邪念が起こるという。

 ほかの箇所では結婚詐欺のような手口で、男が女を女房に迎えると騙して、処女を奪った事例もあげられている。この辺りも、欲望のままに動く男の実体験が、赤裸々に綴られている。

 むろん、これは極端な例かもしれないが、われわれの先祖は性に奔放だったようだ。

■むすび

 話は戻って頼朝の「亀」のことになるが、率直なところ2人の関係を示した史料は乏しく、実態を明らかにするのは難しい。

 しかし、当時の武士が遊女を妻とし、その間に子供をもうけた例もある。源義朝の子・義平の母は、橋本の遊女だったといわれている。

 そのような事実を考慮すれば、頼朝には政子という妻がいながらも、「亀」なる女性と通じていてもおかしくない。

 「政子は嫉妬しなかったのか?」と聞かれてもわからない。当時は一夫多妻も認められていたので、それが普通という観念があったのなら、怒ることはなかったかもしれない。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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