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【戦国こぼれ話】徳川家康の外交顧問だった三浦按針とは、どういう人物だったのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
按針町(東京都中央区)は、三浦按針の江戸屋敷のあった場所である。(提供:MeijiShowa/アフロ)

 徳川家康の外交顧問だった三浦按針(ウィリアム・アダムス)が、ゲーム『仁王』(コーエーテクモゲームス)の主人公として、大変注目を集めている。三浦按針とは、いかなる人物なのだろうか。

■ウィリアム・アダムスとは

 ウィリアム・アダムスがイングランド南東部のケント州ジリンガムで誕生したのは、1564年のことである。早くに父を亡くしたウィリアムは、12歳で船大工になるべく修行の道を進んだ。

 やがてウィリアムは航海術に関心を持つようになり、船大工の年季を終えると海軍に入った。1588年のことである。翌年に結婚すると、ウィリアムは海軍を除隊し、航海士・船長として航海に出た。

■運命のリーフデ号への乗船

 やがて、ウィリアムはオランダのロッテルダムで、ベテランの航海士を探している情報を入手した。行き先は極東である。そこで、ウィリアムは弟のトマスとともに、船に乗ることを志願した。

 こうして1598年6月、ウィリアムは航海士となり、ロッテルダムを出航したのである。船団は、ホープ号、リーフデ号、ヘローフ号、トラウ号、ライデ・ボートスハップ号の5隻から成っていた。最初、ウィリアムが乗船したのは、ホープ号だった。

 希望に満ちた航海だったが、やがて悲惨なことになった。ウィリアムとトマスの兄弟はホープ号からリーフデ号に移ったが、トラウ号、ライデ・ボートスハップ号は拿捕され、ヘローフ号ははぐれてしまいロッテルダムに戻った。

 それだけではない。リーフデ号は寄港して食糧を補給したが、船員が赤痢などの疫病に罹り、次々と落命した。またインディオに襲撃され、亡くなる船員もいた。気がつけば、110人もいた船員は、日本に漂着するには24人にまで激減していたのである。

■リーフデ号の日本漂着

 慶長5年(1600)3月、リーフデ号は豊後国黒島(大分県臼杵市)に漂着した。発見した臼杵城主・太田一吉は乗組員を救出すると、ただちに長崎奉行の寺沢広高に彼らのことを報告した。ちなみに、リーフデ号の武器はすべて没収された。

 なお、リーフデ号が漂着した際、イエズス会の宣教師は乗組員の処刑を要求したのであるが、その理由は後述する宗教上の対立による。

 同年4月、徳川家康はリーフデ号の乗組員と面会し、航海の目的、プロテスタント国(オランダやイングランド)とカトリック国(ポルトガル・スペイン)との紛争について話を聞き、彼らを信用するようになった。その後、家康は乗組員を江戸に連れて行ったのである。

■ウィリアム・アダムスから三浦按針へ

 ウィリアムは故郷を忘れ難く、帰国を希望したが、それは叶わなかった。家康はウィリアムと同僚のヤン・ヨーステンを配下とし、外交などの際の通訳などで雇い入れ、アドバイザー役を任せることになった。同時に、ウィリアムは航海術をはじめ、数学などの知識を伝えたという。

 ウィリアムが雇われたのは外交だけでなく、造船技術も評価されたからだった。慶長9年(1604)、ウィリアムが80トンの帆船を完成させると、その3年後には120トンの帆船も見事に作り上げた。なお、その間にウィリアムは日本人女性と結婚し、2人の子供に恵まれた。

 家康はウィリアムの才覚を認め、三浦按針という名を与えるだけでなく、250石の旗本に取り立てた。そして、相模国逸見(神奈川県横須賀市)に所領を与えたのである。なお、按針とは、パイロット=水先案内の意味である。

 慶長18年(1613)、イギリス東インド会社のクローブ号が日本に来航し、交易を求めてきた、その際、通訳と交渉役を務めたのがウィリアムである。

 なお、このときには帰国するチャンスがあったが、ウィリアムは見送った。一説によると、クローブ号の司令官ジョン・セーリスと確執があったからだといわれている。

■三浦按針の死

 元和2年(1616)4月に家康が亡くなると、貿易の窓口が平戸(長崎県平戸市)に限定されたので、ウィリアムの立場は悪くなっていった。ウィリアムが没したのは、元和6年(1620)4月のことである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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