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【中世こぼれ話】佐渡島に流された順徳天皇。佐渡ではどのような生活を送っていたのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
古来、佐渡には多くの流人が流された。順徳天皇もその一人。(写真:アフロ)

 佐渡金山に「アイランド・ミラージュ」なる新しい観光スポットが完成したという。ところで、かつて佐渡に順徳上皇が流されたことはご存じだろうか。その知られざる生活を検証しよう。

■順徳天皇の略歴

 最初に、順徳天皇について触れておこう。建久8年(1197)9月10日、順徳は後鳥羽の第二皇子として誕生した。幼少時から大変聡明であったと伝わっている。順徳は、兄の土御門から承元4年(1210)11月28日に天皇位を譲られた。14歳のときである。

 順徳は学問好きで知られており、禁中の故実作法を多数の古典籍を引いて解説した『禁秘抄』という一書を著した。また、歌論を大成した『八雲御抄』を著し、家集としては『順徳院御百首』などがある。優れた人物だったといえよう。

 その順徳に暗い影を落としたのは、承久3年(1221)6月に勃発した承久の乱(鎌倉幕府と朝廷との戦い)である。順徳は父・後鳥羽の倒幕に積極的に関与し、承久の乱の直前の承久3年(1221)4月、皇太子に天皇位を譲った。

 承久の乱の結果は鎌倉幕府の勝利に終わり、同年7月20日、幕府は順徳を佐渡に流すことを決定した(『吾妻鏡』など)。なお、後鳥羽は隠岐へ流され、土御門は挙兵に反対していたが、自らの意思で土佐に赴いた。

 次に、『承久記』などの史料によって、佐渡への路程を確認することにしよう。

■佐渡への路程

 順徳に供奉をしたのは、冷泉為家、花山院義氏、甲斐左兵衛佐範経、藤左衛門大夫康光らと女房2人(3人とも)である。意外にも寂しいメンバーだったといえよう。

 結局、為家は最終的にお供せずに京都に留まった。義氏も佐渡に向かう中で病により引き返したという。いずれにしても、佐渡までの過酷な旅を恐れたか、実際に耐えられなかったということになろう。京都から歩いて佐渡まで行くのだから、厳しい旅になるのは当然だった。

 順徳は佐渡にわたる手前で、寺泊で宿をとった。長岡市寺泊二ノ関に史跡公園聚感園があるが、そこには順徳天皇御遺跡保存碑が建立されている。順徳はこの地に行在所を設けたと考えられている。なお、寺泊は佐渡にわたる者たちが必ず泊まる場所だった。

 順徳は寺泊に到着したものの、供の範経が病に罹ってしまった。その間、船を待たせていたが、結局は亡くなった。旅の過酷さを物語るものであろう。

 こうして順徳は佐渡にわたり、たどり着いたのが恋ケ浦(佐渡市豊田)であると伝わる。当初、順徳は国分寺を宿所としたが、その後、黒木御所(佐渡市泉甲)を造作して移った。この行在所は粗末なものであったという。ここで順徳は21年もの歳月を過ごしたが、得意な歌に力を入れていた。

 残念ながら、順徳の佐渡における逸話はさほど残っていない。嘉禎3年(1237)秋、順徳は百首の和歌を作り(『順徳院御百首』)、後鳥羽と藤原定家に評価を求めた。後鳥羽は点(批評・添削)を施し、定家は点と判詞(優劣を判定した詞)を添えて順徳に返送した。

 しかし、定家はのちに『新勅撰和歌集』を編纂した際、幕府を恐れて順徳の歌を一首も採用しなかった。ただし、『小倉百人一首』には、順徳の歌を採用している。順徳の心を慰めるのは、和歌を作ることくらいしかなかった。

■順徳天皇の死

 仁治3年(1242)9月12日、順徳は亡くなった。享年46。『増鏡』によると、順徳は帰京の思いをあきらめずに持ち続けたという。遺骸は翌日に火葬された。その場所が、真野(佐渡市真野)の御陵である(火葬塚)。

 その後、遺骨は大原(京都市左京区)の大原陵に収められた。当時の史料では佐渡院と称されていたが、のちに順徳院と追号された。

 真野御陵については、近世の逸話がある。御陵は近世に至って荒廃を極めたため、延宝6年(1678)に管理していた真輪寺と国分寺が連名で佐渡奉行に対し修理を要請した。奉行の曽根吉正は要請を受け入れ、翌年に50間(約91メートル)の土地を寄進し、修理だけでなく石灯籠までも献じたという。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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