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【戦国こぼれ話】外国の史料にあらわれた豊臣秀吉は、「悪魔の手先」だった。その驚きの評価を探る

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
日本では明るくひょうきんなイメージの豊臣秀吉。外国の史料ではどう評価されたのか。(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 国際日本文化研究センター(京都市西京区)のフレデリック・クレインス教授と小川仁・機関研究員の調査により、イタリアのナポリの弁護士ロレンツォ・クラッソが世界の武将約100人の生涯をまとめた『著名武将列伝』(1683年刊)が発見された。

 同書には、豊臣秀吉と徳川家康の肖像画に加えて、その性格や功績などが書かれているという。今後の調査や研究が大いに期待される。

 ところで、外国の史料には、戦国武将の性格などが詳しく記されたものが少なくない。豊臣秀吉を例にして、どのように評価されていたのか確認しよう。

■フロイス『日本史』に描かれた豊臣秀吉

 最初に、豊臣秀吉の容姿について触れておこう。イエズス会の宣教師・フロイス『日本史』16章には、秀吉の容姿について、次のとおり記されている。

彼(秀吉)は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には6本の指があった。眼がとび出ており、シナ人のように髭が少なかった。

 戦国時代といえば、現在のように栄養状態が良いわけではなく、肉食を主とし体格の良い欧米人から見れば、秀吉は小柄に見えたことであろう。おおむね秀吉の身長は、150cm台と考えられる。そして、重要なのは、秀吉の容姿が醜く、眼が飛び出しており、髭が少なかったという記述である。

 少なくともいえることは、秀吉が美男子ではなかったということだ。その点に関して秀吉は、自らフロイスに「皆が見るとおり、予(秀吉)は醜い顔をしており、五体も貧弱だが、予の日本における成功を忘れるでないぞ」と述べている(『日本史』14章)。

 この一文を見れば明らかなとおり、秀吉は自身の容姿が良くないことを自覚していた。「五体も貧弱」というのは、体が普通の人より小柄であったのだが、わざわざ蔑ろにされないため「私を侮ってはならない」ことを恫喝気味に伝えている。外国人でなくても、同時代の日本人の多くが、秀吉の容貌を醜かったと感じていたに違いない。

■策略家だった秀吉

 フロイス『日本史』16章では、秀吉が「抜け目なき策略家」であったと指摘したうえで、次のように述べている。

彼(秀吉)は自らの権力、領地、財産が増して行くにつれ、それとは比べものにならぬほど多くの悪癖と意地悪さを加えて行った。家臣のみならず外部の者に対しても極度に傲慢で、嫌われ者でもあり、彼に対して憎悪の念を抱かぬ者とてはいないほどであった。

 この記述は、秀吉が信長の死後に天下人となり、関白に就任して以後の内容である。しかも、秀吉は天正15年(1587)に伴天連追放令を発布し、キリスト教に理解を示さなかったので、その点で厳しい評価となっている点は認めざるを得ない。

 この前段の記述で、フロイスは、秀吉を「悪魔の手先」と評価した。フロイスにとって、秀吉は神を恐れない悪魔だったのだ。

 このあとフロイスは、秀吉が人の意見を聞き入れず、常に独断専行であり、誰も彼に意見しなかったことを挙げている。さらに、秀吉が恩知らずであって、最大の功績者を追放したり、不名誉に扱ったり、恥辱で報いた事実を述べている。そして、次のように、秀吉の評価を結んでいる。

彼(秀吉)は尋常ならぬ野心家であり、その(野望)が諸悪の根源となって、彼をして、残酷で嫉妬深く、不誠実な人物、また欺瞞者、虚言者、横着者たらしめたのである。彼は日々数々の不義、横暴をほしいままにし、万人を驚愕せしめた。彼は本心を明かさず、偽ることが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた。

 現代社会においても、こうした人物は少なからずいることであろう。天正10年(1582)6月の本能寺の変を一つの契機として、秀吉の人格は以前からすっかり変わり果ててしまった。とにかく秀吉に対して、あらゆる罵詈雑言が並べ立てられている。

 フロイスは、秀吉のそうした抜け目ない醜悪な性格を鋭く見抜いていたのだ。とにかくフロイスによる秀吉の評価は、ボロカスのケチョンケチョンである。

■実際はどうだったのか

 本文でも触れたとおり、フロイスはキリスト教の布教のため日本に来ていた。しかし、秀吉が伴天連追放令を発布したので、非常に困ったことになった。それゆえ、フロイスによる秀吉の評価は、辛口になったと考えられる。むろん、フロイスの評価をすべて鵜呑みにするのは危険であり、さらに検討の余地があるだろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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