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【「麒麟がくる」コラム】織田信長と決裂した足利義昭。義昭が作った「鞆幕府」の評価とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
足利義昭が本拠を定めた鞆。鞆幕府の実態は、神秘のベールに包まれている。(提供:MeijiShowa/アフロ)

■足利義昭と「鞆幕府」

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」のなかでは、織田信長と決裂した足利義昭のその後の動向と鞆幕府については触れていない。以下、足利義昭のその後の動向と鞆幕府について、詳しく解説することにしよう。

■執念深い足利義昭

 天正元年(1573)、足利義昭は織田信長と対立して戦いを挑んだが、結果は無残な敗北だった。ところが、こんなことで怯まないのが義昭だ。室町幕府再興を「ライフワーク」とする義昭の執念は、尋常ならざるものがあった。

 紀伊国に逃れた義昭は、「天下再興」を名目として上杉謙信に「打倒信長」を呼び掛け、各地の大名間紛争の調停に乗り出した。

 天正4年(1576)2月、義昭は突然行動を起こす。義昭は密かに紀伊国を出発すると、毛利氏領国である備後国鞆津(広島県福山市)に到着(「小早川家文書」など)。

 義昭は鞆に押し掛けると、毛利氏に「信長が輝元に逆意を持っていることは疑いない」と主張し、自らを擁立して信長と戦うよう求めた。

 天正4年(1576)5月、ついに毛利氏は義昭の受け入れを決断。受け入れられた義昭は、「帰洛(=室町幕府再興)」に向けての援助を吉川元春、平賀氏、熊谷氏などに依頼したのである(「吉川家文書」)。そして、やがて成立したとされるのが鞆幕府なのだ。

■「鞆幕府」の実態

 天正4年(1576)、義昭は毛利輝元に副将軍という職を与えた。副将軍とは聞きなれず、義昭が信長や輝元に気を良くしてもらうために言い出したのかもしれない。

 しかし、輝元が副将軍に任じられたことを示す史料は、6年後に成立した回顧談的なものに過ぎず、過大評価するのはあまりに危険だ。史実か否か認定し難い。

 義昭は、鞆に御所を構えて幕府を維持し、多くの奉行衆・奉公衆を擁していた。輝元以外の「鞆幕府」の構成員とは、いったいどのようなメンバーだったのか。

 基本的に鞆幕府の構成員は、京都の頃の幕府の奉行人・奉公衆、毛利氏の家臣、その他大名衆で占められていた。毛利氏の中では、輝元をはじめ吉川元春、小早川隆景、などが中心メンバーだ。

 さらに、三沢、山内、熊谷などの毛利氏家臣も加わっていた。ここで重要なことは、彼ら毛利氏家臣の多くが義昭から毛氈鞍覆(もうせんくらおおい。鞍を覆う毛氈)・白傘袋(傘の先を覆うカバー)の使用許可を得ていることである。

 毛氈鞍覆・白傘袋の使用は、守護や御供衆クラスにのみ許され、本来は守護配下の被官人には許可されなかった。将軍によって毛氈鞍覆・白傘袋の使用許可を得た守護配下の被官人らは、ごく一部に限られ、彼らは守護と同格とみなされた。

 本来、それらの使用許可は、毛利氏の家臣が許されるようなものではなかったのだ。義昭は歓心を買うため、彼らに毛氈鞍覆・白傘袋の使用を許可したのである。

 奉公衆を組織した義昭の配下には、武田信景、六角義尭、北畠具親などの聞きなれない大名が従った。しかし、彼らは信長に敵対して敗れ、逼塞していたような存在だ。

 また、美作の国人・草苅氏は、奉公衆を与えられたので義昭に従った。あくまで、鞆幕府の中心メンバーは、毛利輝元、小早川隆景、吉川元春の3人であると考えて疑いない。

■実態なき「鞆幕府」

 いずれにしても、組み込まれたメンバーは、奉公衆の看板に魅了されて従った領主層、あるいは「信長憎し」で集まった落ちぶれた大名連中ばかりといわざるをえない。

 幕臣も京都にいた頃と比較すると、随分少なくなったと指摘されている。「鞆幕府」と称しているが、実際には寄せ集め集団としか言いようがない。

 鞆幕府は「ハリボテ」のような存在に過ぎず、義昭には権力や独自の軍事基盤がなかった。実態としては、豊かな軍事力を持つ毛利氏頼みだった。

 したがって、形式的には「鞆幕府」と称しうるかもしれないが、その存在自体を過大評価すべきではないと考える。現段階で鞆幕府は、そのように評価されているのだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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