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【「麒麟がくる」コラム】室町幕府が復活!織田信長が定めた「殿中掟九ヵ条」と追加の「七ヵ条」

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
織田家の家紋「織田木瓜」。織田信長は足利義昭への支援を惜しまなかった。(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

■織田信長の保証

 大河ドラマ「麒麟がくる」の補足の意味で、足利義昭と織田信長の関係をもう少し考えてみよう。義昭が織長に推戴されて以降も、義昭は信長の力を必要とした。というのも、義昭の軍事力などは十分なものではなく、さまざまな面で信長の支援を必要としたのだ。

 では、信長はどういった形で、義昭をサポートしたのだろうか。

■御所の造営

 三好三人衆の軍勢を撃退後の永禄12年1月、信長は義昭の身を守るため、二条(京都市上京区)付近に堅固な御所を築くことにした(『言継卿記』など)。

 工事に際しては、尾張以下の14ヵ国の武士に対して、御所造営の協力が要請された。御所は防禦体制を高めるべく堀や石垣を築くなど堅固なものになったが、名石や名木を集めるなど景観にも配慮した。工事では信長が陣頭指揮を取る場面もあり、御所の完成後には義昭の家臣が付近に集住したのである。

■「殿中掟九ヵ条」

 同じ頃、信長が定めたのが「殿中掟九ヵ条」、および追加に定められた「七ヵ条」である。室町幕府が再興すると、御部屋衆などの仕官が復活し、公家衆などの参勤、惣番衆などの伺候も再開された。

 「殿中掟九ヵ条」の前半の5条では、室町幕府に仕える人々の勤務体制について、先例を守るように指示しており、旧来における室町幕府のシステムの踏襲をした。大きな変更点は見られない。

 後半の4条は、室町幕府の訴訟・裁判にかかわるものである。(1)裁判を内々に将軍に訴えること(直訴)の禁止、(2)奉行衆の意見を尊重すること、(3)裁判の日をあらかじめ定めておくこと、(4)申次の当番を差し置いて、別人に披露することがないこと、を定めている。

 いずれも幕府で公正・公平な裁判を執り行うための措置で、最後の9条目は門跡などが妄りに伺候することがないよう制約したものである。

■追加の「七ヵ条」

 追加の「七ヵ条」は、やはり室町幕府の訴訟・裁判にかかわるもので、直訴の禁止や裁判を起こす者は奉行人を通すことなどが定められており、「殿中掟九ヵ条」の後半の4条の補足的な意味合いを持った。

 注目すべきは第1条と第7条で、第1条は寺社本所領の当知行安堵の原則を定めており、第7条は義昭が当知行を安堵する場合は、安堵の対象者に当知行が虚偽でない旨の請文(上位者に対する報告書)を提出させることを規定している。当知行とは、現実に当該地を知行している状態を示している。

■目新しいものではないという評価

 「殿中掟九ヵ条」および追加の「七ヵ条」に規定された事項は、特に目新しいものではなく、すでに室町幕府で規定された基本的な内容であるという。

 信長は室町幕府を機能させ、京都や畿内の秩序維持を期待したのであるが、旧来の室町幕府―守護体制の再構築や公武統一政権を念頭に置いたものではない。単に、室町幕府の最低限の役割を復活、あるいは確認させようとしたのだろう。

 このことからも、信長は室町幕府を潰そうとしたのではなく、逆に支援していたことは判明する。古くから信長は最初から室町幕府を倒そうとしていたという見解があるが、今では支持されていない。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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