【戦国こぼれ話】今も昔も難しい異性との問題。女色に溺れた戦国武将の結末とは!?

不倫の最中は楽しいかもしれないが、ばれてしまったときは、大きな代償を払わされる。(写真:Panther Media/アフロイメージマート)

■噴出する不倫問題

 昨今、芸能界のみならず、スポーツ界を賑わしているのは不倫問題である。マスコミにすっぱ抜かれると、あっという間に広まり、活躍の舞台を奪われる。復帰までにはかなりの時間を要するのだから、大きな打撃であるのは疑いない。

 戦国時代においても、女色に溺れた戦国武将がいた。その結末とはいかに!?

■岩村御前とは

 話の主人公は、岩村御前である。岩村御前は、織田信定の娘(信秀の妹、信長の叔母)として誕生した。生年不詳。幼少期については、不明な点が多い。

 永禄年間に美濃斎藤氏の勢力が衰える状況下において、織田信長は同国の岩村城(岐阜県恵那市)主・遠山氏と関係を深めようとした。遠山氏の支配下の一帯は尾張から信濃そして甲斐への通り道でもあり、周辺の領主たちにとっても、交通の要衝地だった。そのことを熟知した信長は、遠山景任との連携を模索していたのだ。

 そこで、信長は美女の誉れの高い叔母の岩村御前を景任に引き合わせ、結婚させることに成功した。このことを受け、強い危機感を抱いた武田信玄は、元亀元年(1570)12月に高遠城(長野県伊那市)主の秋山虎繁を差し向け、岩村城の攻撃を敢行した。

 遠山氏は惨敗を喫し、戦いの最中に景任は病死してしまう。一説によると、景任が岩村御前の美貌に心も体も奪われ、精力を吸い尽くされたからであるという。それほど美しい女性だったようだ。

■遠山家に残った岩村御前

 しかし、岩村御前は遠山家を出ることなく、信長から五男・御坊丸(のちの織田勝長)を養子として迎え、自らが実権を掌握した。むろん遠山家を出る選択肢もあったが、それでは遠山家が滅びてしまう。岩村御前は、そのことを案じたと考えられる。こうして、女城主が誕生したのである。

 信玄は元亀3年(1572)の三方ヶ原の戦いで徳川家康を破るなど、その勢いはますます勢いを増していた。秋山虎繁による岩村城攻撃にも熱が入り、一帯を焼き払うなど落城も時間の問題かと思えた。

 ところが、比高差200mの位置にある岩村城は、なかなか落城することなく、虎繁は焦るばかりであった。一方の岩村御前は、信長に援軍を要請するが、なかなか来ないことに苛立ちを感じていた。信長は信玄との戦いに軍勢を割かれ、岩村城へ差し向ける余裕がなかったのだ。

■虎重の最期

 虎繁も岩村御前も互いに手詰まりの中、虎繁から思わぬ提案がされることとなる。それは、虎繁から岩村御前を妻に迎えたいというものであった。その条件として、養子であった御坊丸を我が子として育てることが提案され、岩村御前は受け入れたのである。

 こうして2人は結ばれ、甘美な生活が始まったものの、やがて頼みの綱の信玄が天正3年(1575)4月に亡くなった。当初、2人で育てるはずであった御坊丸は、人質として信玄の後継者の勝頼のもとに送られた。この話を聞いた信長は軍勢を岩村城に送り込み、虎繁を降伏させたのである。

 天正3年(1575)11月、2人は信長によって処刑された。信長は虎繁を許すふりをして捕え、磔刑にしたといわれている。虎重は女色に溺れたゆえ、悲惨な最期を遂げたのだ。

 度の過ぎた異性とのかかわりには、注意をしたいところである。