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【「麒麟がくる」コラム】明智光秀は朝倉氏の家臣だったのか?それとも牢人生活を送っていたのか?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
時宗の総本山である遊行寺(神奈川県藤沢市)の美しい紅葉。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

■明智光秀が越前にいた証拠

 いよいよ本日放送の大河ドラマ「麒麟がくる」。前回、明智光秀と越前との関係について考えてみた。こちら。今回はその続きで、別の史料を挙げて考えてみよう。

■『遊行三十一組 京畿御修行記』という史料

 光秀が越前にいたことを示す史料としては、『遊行三十一組 京畿御修行記』天正8年(1580)1月24日条に記述がある。

 この史料は、天正8年(1580)7・8月に遊行第31代の同念が東海から京都・大和を遊行(修行僧が説法教化と自己修行を目的とし、諸国を遍歴し修行すること)したとき、随行者が記録した道中記で、信頼度の高い史料と評価されている。

 この史料には光秀について「惟任方(明智光秀)はもと明智十兵衛尉といい、濃州土岐一家の牢人だったが、越前の朝倉義景を頼みとされ、長崎称念寺(福井県坂井市)の門前に10年間住んでいた」と書かれている(現代語訳)。

■牢人だった光秀

 この史料を読む限り、光秀が美濃の土岐氏の一族で牢人だったこと、朝倉義景を頼って越前を訪れ、長崎称念寺の門前に10年間住んでいたことが判明する。長崎称念寺は福井県坂井市に所在する時宗の寺院で、数多くの武将が帰依したといわれている。

 光秀と長崎称念寺との伝承は、ほかにもいくつか残っている。『明智軍記』には、光秀が美濃から越前を訪れた際、妻子を長崎称念寺の所縁の僧侶に預けたと記している。所縁というほどだから、光秀は以前から長崎称念寺、越前と何らかのかかわりがあったのだろうか。

■光秀の活動

 『明智軍記』によると、その間の光秀は諸国をめぐり、政治情勢を分析したというのである。廻った国は50余国に及んだというが、裏付けとなるたしかな史料がなく怪しげな話である。

 光秀が長崎称念寺の近くで寺子屋を開き、糊口を凌いでいたとの伝承すらある。牢人が寺子屋を開いた逸話としては、土佐の戦国大名だった長宗我部盛親の例がある。慶長5年(1600)9月の関ヶ原合戦で敗北した盛親は、京都で寺子屋を開いた。

 ほかにも光秀の逸話や伝承を挙げるとキリがない。光秀と長崎称念寺の逸話を載せる地誌類は多いものの、いずれも裏付けとなるたしかな史料がない。また、越前における光秀関係の史跡もあるが、同様である。疑わしさは拭いきれないのだ。

■なぜ光秀は一乗谷に住まなかったのか

 したがって、同史料に基づき、光秀が越前にいたことの証左とするには疑問が残る。そもそも朝倉氏の家臣であるならば、なぜ本拠の一乗谷ではなく、長崎称念寺の門前に住んでいたのか。

 光秀の居住場所は、もうひとつの説がある。一乗谷から峠を一つ越えた福井市東大味には、明智神社がある。神社は光秀を祭神として祀っており、光秀の屋敷址も残っているが、実際は小さな祠に過ぎない。

 ここは一乗谷に近いが、朝倉氏の家臣は一乗谷に集住していたのだから、単なる伝承ではないのかと疑問が残る。朝倉家において、光秀の処遇はよくなかったのか。

■光秀と時宗

 話を史料のことに戻すと、『明智軍記』巻一の成立には、時宗関係者のかかわりがあったと指摘されている。すでに天正8年(1580)の段階において、時宗関係者の間で光秀が越前に在国していたという説が流布していたのかもしれない。あるいははるか以前に、光秀は長崎称念寺と何らかの深い関係があったのだろうか。

 光秀が越前に確実にいたのは、天正元年(1573)の朝倉氏滅亡後のことである。そのとき光秀は、越前支配の一端を担っており、越前国内に文書を発給している。

■光秀は朝倉氏に仕えた可能性が低い

 いずれにしても、光秀は越前に住んで朝倉氏の庇護下にあった程度の話で、仕官したとは言えないかもしれない。朝倉氏滅亡後、光秀が越前支配に携わったので、それがもとで伝承が生まれた可能性がある。

 したがって、光秀が朝倉義景に仕えたという説には大きな疑問があり、この点を信頼できない史料に拠って鵜呑みにすると極めて危険である。仮に、光秀が越前に在国していたにしても、朝倉氏に本当に仕えていたのかは極めて疑問である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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