Yahoo!ニュース

芸術祭大賞『正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜』は、テレビの歴史に残る1本

碓井広義メディア文化評論家
『正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜』より(筆者撮影)

文化庁「芸術祭賞」

今月15日、都内のホテルで、令和4年度(第77回)文化庁芸術祭賞の贈呈式が行われました。

審査委員を務めさせていただいた、テレビ・ドキュメンタリー部門。

そこで「芸術祭大賞」を受賞したのが、BS1スペシャル『正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜』(NHK)です。

1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された「飯塚事件」。

犯人とされた男性は2008年に死刑が執行されました。

しかし、えん罪を主張する再審請求が何度も提起され、事件をめぐる動きは現在も続いています。

当事者たちの証言

番組の軸となっているのは、当事者たちからの詳細な聞き取りです。

警察官、法医学者、新聞記者などの証言を丹念に再構成していました。

裁判で特に重視されたのが、検察によるDNA鑑定と事件当日の目撃証言。

しかし、番組が進むにつれ、どちらの信ぴょう性も危ういことが分かってきます。

中でも興味深いのが、事件を伝え続けた新聞記者たちです。

男性が犯人だとする警察発表をベースに記事を書いてきたわけですが、死刑執行から約10年後に、独自の「調査報道」を開始したのです。

しかも、その調査対象には自社の記事も含まれていました。

記者の一人が言います。

「司法というのは信頼できる、任せておけば大丈夫と思ってきたけれども、そうではないと。このことこそ社会に知らせるべきだし、我々の使命だと思っています」

「えん罪か否か」ではない

この番組が優れているのは、「えん罪か否か」をテーマとしていないことです。

制作した木寺一孝ディレクターがこだわったのは、事件の当事者がそれぞれに抱える「真実」と「正義」でした。

そのために、立場の異なる人たちの考えを多角的に取材し、双方がぶつかり合う様子も提示しています。

飯塚事件では、決定的な証拠や自白がない中、集められた状況証拠によって死刑判決が下されました。

今となっては、本人に疑問点を質すことも不可能です。自分ならどう判断するのか。

番組を通して「人が人を裁く重さ」を体感してもらうことが最大のねらいであり、結果的に事件の全体像と司法のあり方に迫る秀作となりました。

最後の大賞

文化庁芸術祭の公演や作品への贈賞は、第77回の今年度で終了することが決まっています。

77年を経て、メディア環境が激変しつつある現在。

テレビ・ドキュメンタリーの持つ力を示してくれたこの作品が、「最後の大賞」を受賞したことの意義は大きいと思います。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

碓井広義の最近の記事