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朝ドラ『ちむどんどん』が、視聴者を「困らせる」のも芸の内?

碓井広義メディア文化評論家
ヒロイン・比嘉暢子を演じる黒島結菜さん(番組サイトより)

朝ドラ『ちむどんどん』を見ていると、いろんなことを考えてしまいます。

それが東京・鶴見編になっても変わらないので、ちょっと困っています。

しかも、その「困った」の代表格が、黒島結菜さんが演じている、比嘉暢子(ひが のぶこ)というヒロイン。

「明るく、元気で、前向きで」という、昭和の朝ドラ・ヒロインを踏襲しているつもりかもしれませんが、それが何とも雑駁(ざっぱく)で、鬱陶(うっとう)しい形で表現されているからです。

暢子が高校を出てから、すでに何年か過ぎているので、もう子どもの年齢ではない。

しかし、ごく普通の礼儀も、ごく一般的な常識も、持っていて不思議じゃない程度の教養も、あまり見当たりません。

しかも、「自分に欠けているもの」など、ほぼ自覚していないような日常が、ずっと続いてきました。

中でも、初対面の人や年齢が上の人と会うシーンでは、無遠慮というより、ただの無礼だったりします。

そういう振る舞いを、「個性的なヒロイン」とか、「ユニークなヒロイン」とか、見る側に思って欲しいのだとしたら、ちょっと違うのではないでしょうか。

単なる「非常識な人」「無神経な人」に見えているわけですから。

たとえば暢子は、どこにいても(レストランでも新聞社でも)、大声で、そのとき自分が思ったことを口にします。

相手とか、周囲とか、一切お構いなしであり、「率直でいいね」という話でもありません。

それに、何を見ても、聞いても、「ちむどんどんする(心が高鳴る)~」と言い放つのも、そろそろ勘弁してほしい。

ほぼ毎回、タイトル・コールしているヒロインなんて、前代未聞でしょう。

シナリオとしても、全部口で言わせてしまうのは、簡単ではあるのですが、まるで昔の戯曲みたいです。

そして、あの大声も、何とかならないものか。

以前、脚本家の倉本聰さんから、聞いた話があります。

まだ駆け出しの頃、テレビ局のある人に、こう教えられたそうです。

「お前な、テレビっていうのは、家庭の中に入っていくものなんだ。しかも、その家庭ってのは、どういう設定なのか、われわれには分かんない。それは100軒ありゃ100軒全部違う。子どもが寝ついたところかも分かんないし、夫婦喧嘩の最中かもしれない。そこへ入っていくんだから、大声出しちゃいけない」。

それから、「ギャーギャー笑ったりして入っちゃいけない」とも言われたんだそうです。

「入口の暖簾(のれん)をそっと小っちゃく開けて、『お邪魔します』つって入っていけ」と。

倉本さんは、今も忠実に守っているつもりだと仰っていました。

ドラマを動かすのは何なんだろうと思ったとき、やはり「人」なんだろうなあ、と思うのです。

中でも、主人公の存在は大きい。

脚本も、演技も、そして演出も、暢子というヒロインの造形は本当にこれでいいのか、少し考えてみたほうがいいのではないでしょうか。

もちろん、人は何かがきっかけで急に変わったり、大きく成長したりすることがあります。

そんな飛躍の前と後の「落差」を狙って、暢子をこのような状態に置いているとしたら、それはそれで、見る側に甘えすぎだと思います。

さて、臨時出向のような形で行っていた新聞社での仕事も終わり、レストランでの修行が再開されるようです。

何かしら成長した姿が見られるといいですね。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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