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【解読『おちょやん』】松竹新喜劇のルーツが見える新章 当時の「大阪喜劇界」事情は

碓井広義メディア文化評論家
(写真:grandspy_Images/イメージマート)

「新しい喜劇の一座」に参加するため、京都から大阪・道頓堀へと帰ってきた竹井千代(杉咲花)。「松竹新喜劇」のルーツが明かされる、新たな道頓堀編です。

千代、道頓堀に帰還!

鶴亀株式会社の大山社長(中村鴈治郎)の命令で、「新しい喜劇の一座」に参加するため、千代(杉咲花)は4年ぶりの大阪・道頓堀にやって来ました。

第9週(2月1日~5日)は、新一座の「旗揚げ」までのエピソードです。

集められたのは須賀廼家天晴(渋谷天笑)、須賀廼家徳利(大塚宣幸)、女形の漆原要二郎(大川良太郎)といった元「天海一座」の面々と千代。

加えて、新たなメンバーも来ていました。しっかり女優オーラを放っている和服姿は、東京新派劇の名門「花菱団」の元トップ、高峰ルリ子(元宝塚の明日海りお)。

踊っているのは元「鶴亀歌劇団」のアイドル、石田香里(松本妃代)。元歌舞伎役者の小山田正憲(曾我廼家寛太郎)もいます。

そして「座長」として紹介されたのが、天海一平(成田凌)でした。

天晴や徳利からは大ブーイング。頼りにしていた須賀廼家千之助(星田英利)が不参加と知って、出て行ってしまいます。

黒衣(桂吉弥)のセリフじゃありませんが、波乱の幕開けどころか、これでは幕も開きません。千代の奮闘が始まります。

「俺を笑わせたら一緒にやったる」と、うそぶく千之助。千代は、なけなしの金ならぬ、なけなしの芸を披露します。

ニワトリやネコの真似、ついにはタコ入道までやって見せますが、千之助はそう簡単には笑いません。

まあ、この時の杉咲さんの「顔芸」の凄いこと。役に入り込んでいなければ出来ない、吹っ切れた演技でした。

当時の「大阪喜劇界」事情

現在、このドラマの時代背景は昭和3年(1928)。

「世界恐慌」に関わる、「ウォール街大暴落」が起きたのが昭和4年(1929)ですから、その少し前になります。

当時、大阪の喜劇界をけん引していたのが、「曾我廼家五郎」の率いる一座でした。板尾創路さんが演じる「須賀廼家万太郎」のモデルですね。

「鶴亀」ではなく、現実の「松竹」としては、この一強体制を打破すべく、天海一平のモデルである「渋谷一雄(二代目渋谷天外)」を支援し、「松竹家庭劇」の結成へと動きました。

現在の「松竹新喜劇」につながる、ルーツの一つです。

この「松竹家庭劇」の中心となったのが、「須賀廼家千之助(星田英利)」のモデル、「曾我廼家十吾」でした。

人気者で実力者でしたから、いないと客が呼べません。ドラマの中で千代たちが千之助を必死で誘うのも当然なわけです。

天海一平の「苦悩」

大山社長によって、座長に指名された一平。目標は「万太郎一座を凌ぐ、日本一の喜劇一座」であり、目指していたのは「新しい喜劇」でした。

では、「新しい喜劇」とは、一体どんなものなのか。

実は、台本を書きながらも、まだ一平にもよく見えていません。しかし一平の「志」は、その言葉の中にありました。

女形の漆原に向って、「時代遅れ」「お払い箱」ときついことを言う一平。これからは女性の役は女優が演じるのだと。続けて・・・

「芝居を観終わって、芝居小屋から外に出た途端に忘れられてしまうような芝居やなく、自分のことのように笑って泣いて、明日も頑張ろうと思えるような芝居。歌舞伎やシェイクスピアみたいに10年後も50年後も忘れられへん芝居がやりたいんや」

舞台の常識を変えるためにも、漆原には女形としてではなく、男優として舞台に立って欲しかったのです。

その真意を知らない漆原は激怒し、一平を殴り倒しました。すると・・・

「やったら出来るやないか! それやったら出来る、男の役かて。一緒に新しい喜劇、作ってくれ!」

わざと殴られることで、女形から男優への転換を促したのです。やるなあ、一平。

しかも、この時にボコボコにされた顔(お岩さん状態)のおかげで、「俺を笑わせたら一緒にやったる」と豪語していた千之助を、思いきり笑わすことも出来ました。まさに怪我の功名。

千之助の「笑わしてみろ」は、一平の父である故・初代天海と出会った時、天海から言われた言葉でした。もっと一緒に芝居がしたかったという思いは、今も千之助の中にあります。

「芝居茶屋」の明暗

この第9週では、見る側も懐かしい人たちに再会できました。

道頓堀といえば、芝居茶屋「岡安」の女将シズ(篠原涼子)です。篠原さんが画面に出てくるだけで、その場の密度がぐっと上がるような気がしますね。

ただ、千代がいた頃と比べると、芝居茶屋という商売自体が時代と合わなくなってきていました。しかし、シズは毅然として暖簾を守り続けています。

「岡安」の台所事情を察した、お茶子の一人が辞めると言い出した時のシズ・・・

「あんたらの面倒みられん時は、暖簾を下ろす時だす。この岡安は、わてが看取る!」

その覚悟は、一平が自分も腹をくくって新たな喜劇に挑戦することを決めたほどです。

一方、「岡安」のライバルだった芝居茶屋「福富」は、喫茶店を併設した、おしゃれな楽器屋さんになっていました。女将の富川菊(いしのようこ)も元気です。

「福富楽器店」は、変化する時代の象徴なのかもしれません。

「鶴亀家庭劇」波乱の旗揚げ

一同が揃って、いよいよ「新しい喜劇の一座」の結成です。いや、一人いませんでした。そのことを気にする一平。

その時、かっこいい男性が現れます。スーツにソフト帽のその人物は、なんと女形の漆原でした。で、ひと言・・・

「俺の席、あるかな?」

いいセリフです。

一座の名前が「鶴亀家庭劇」と発表され、一平が、みんなに向って決意を述べました。

「しんどい時があっても、また顔を上げて生きていこうと思えるような、家族が一緒になって楽しめる芝居を作りたい」

コロナ禍の今だからこそ、刺さる言葉です。たとえ不要不急と言われようと、エンタメを含む文化は、人が生きる上で必要なものですから。さらに・・・

「俺は、家庭というものを知りません。でも今日から、ここが俺の家庭や。みんなで力を合わせて、新しい喜劇を一緒に作っていきましょう!」

泣かせるね、一平。

家庭を知らないのは、千代も同じです。一平だけでなく、この2人にとって、一座が家庭になっていくことを予感させてくれました。

とはいえ、ここで終りではありません。一平が書いた台本『母に捧ぐる記』に対し、いきなり千之助が「待った!」をかけます。

「このホン(台本)、読ませてもろたわ。おもろないよな、いっこも」

おお、そう来たか。いや、千之助はそうでなくっちゃ。「松竹新喜劇」の源流の一つをモデルとする、千代たちの「鶴亀家庭劇」。その波乱の旗揚げの顛末は、8日(月)からの第10週へと続きます。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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