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70年代の「名作ドラマは?」と問われて・・・

碓井広義メディア文化評論家
(写真:kawamura_lucy/イメージマート)

雑誌の取材を受けました。テーマは「1970年代の名作ドラマ」です。70年代から80年代にかけては、「ドラマの黄金時代」でもありました。

記者さんに対しては、以下のドラマを挙げさせていただきました。他に何本もあるのですが、キリがないので(笑)、最小限にとどめた次第です。

「時間ですよ」 TBS 1970年

「ドラマの黄金時代」ともいうべき70年代の幕開けを告げた1本。銭湯「松の湯」の脱衣所の光景にドキドキし、堺正章と悠木千帆(現・樹木希林)の掛け合いに笑いました。天地真理が登場したのは翌年の第2シリーズでしたが、当時、確かに可愛かったです(笑)。演出陣には後に「寺内貫太郎一家」などを手掛ける久世光彦もいました。向田邦子が脚本に参加するのは、71年の第2シリーズからです。

「傷だらけの天使」 日本テレビ 1974年

オープニング映像のカッコよさにぶっ飛びました。ショーケン(萩原健一)、水谷豊、岸田今日子、そして怪優・岸田森などの出演者。また市川森一や鎌田敏夫といった脚本家たち。深作欣二や工藤栄一などの監督陣。カメラは名手・木村大作ほか。これで面白くないはずがありません。

「前略おふくろ様」 日本テレビ 1975年

東京で板前修行中のサブ(萩原健一)が、故郷にいる母(田中絹代)に向かって語りかけるナレーションが秀逸でした。脚本の倉本聰自身が父親を早くに亡くしており、母親はずっと大切な存在だったそうです。このドラマのなかでもサブの言葉を通じて、「遠慮することなンてないじゃないですか。あなたの実の息子じゃないですか」と母を気遣っていました。ご自身の思いを投影していたのだと思います。

「俺たちの旅」 日本テレビ 1975年

フリーターという言葉もなかった時代、組織になじめない若者たちの彷徨を描いて秀逸でした。オンエア当時、ちょうど大学生だったこともあり、劇中の彼らに共感したり、反発したりしながら見ていました。カースケ(中村雅俊)、オメダ(田中健)、グズ六(津坂まさあき、現・秋野太作 )の3人が当時の年齢のまま、今もこの国のどこかで生きているような気がします。脚本、鎌田敏夫ほか。

「岸辺のアルバム」 TBS 1977年

ホームドラマを変革した歴史的作品です。企業人としての父(杉浦直樹)。女としての母(八千草薫)。家族は皆、家の中とは「違った顔」を隠し持っています。それは切なく、また愛すべき顔でした。洪水の多摩川を流れていく家々の映像と、ジャニス・イアンが歌ったテーマ曲「ウィルユー・ダンス」が忘れられません。脚本はもちろん山田太一です。

こうした「ドラマの黄金時代」を支えたのは、まさに「脂がのった」年代に差し掛かった、実力派の脚本家と演出陣、そして魅力的な俳優たちが揃っていたからだと言えるでしょう。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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