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伝説の主人公は生きていた!?「黒板五郎」本人が語る、もうひとつの『北の国から』

碓井広義メディア文化評論家
(ペイレスイメージズ/アフロ)

倉本聰脚本『北の国から』(フジテレビ系)の放送が始まったのは1981年秋のことでした。東京から故郷の北海道・富良野に、2人の子供を連れて戻ってきた黒板五郎(田中邦衛)が、電気も水道もない「廃屋」となっていた実家で暮らし始めます。

翌年、連ドラ全24話の放送が終了した後も、『北の国から '87初恋』『北の国から '95秘密』といった具合に、スペシャルドラマとして物語は続いていきました。『北の国から 2002遺言』までの約20年間、視聴者は黒板一家と共に年を重ねながら、まるで遠い親戚か知人のように彼らを見守り続けました。

昭和から平成へという時代を描く、いわば「現代の大河ドラマ」だった『北の国から』。まず内容が重層的でした。家族の危機と再生の物語というだけでなく、恋愛、仕事、子育て、高齢化社会、地域格差といった現在まで続く多様なテーマが、物語の中にしっかりと盛り込まれていました。まさに“社会の合わせ鏡”としてのドラマだったのです。

そして、最後の『遺言』から16年。どっこい、黒板五郎は生きていた! 80歳を超えた今も富良野で独り暮らしをしています。そこへ大新聞の論説委員が現われ、なんと五郎に「近況と当時の話を聞きたい」とインタビューを申し込んだ、と思ってください。

倉本聰さんの新著『「北の国から」異聞―黒板五郎独占インタビュー!』(講談社)は、「黒板五郎」本人が語る、もうひとつの『北の国から』だと言えるでしょう。

「でも、それってフィクションじゃん」と思う人が大半かもしれません。確かに五郎は倉本さんが生みだした架空の人物ですもんね。

しかし約40年前、実際に東京から富良野に移住してきた倉本さんにとって、五郎は「もう一人の自分」のような存在です。富良野での実体験をベースに書かれた『北の国から』は、ドラマの形を借りた一種の「ノンフィクション」であり、そこで描かれる人間の姿や社会の実相もリアルなものでした。

今回の「独占インタビュー」には、ドラマの制作過程における北海道の自然との格闘、純(吉岡秀隆)の恋人だったシュウ(宮沢りえ)との温泉混浴など、五郎だけが知っている『北の国から』の秘話が満載です。でも、それ以上に耳を傾けたいのは、五郎がときおり語る体験的哲学ではないでしょうか。

五郎いわく、「“便利”ちゅうのはオイラの考えでは人間がサボルちゅうことだ。そいでサボリ代にいちいち金を払う。これが現代の文明社会だ」。

いま思えば、五郎がやっていたのは“究極のエコ生活”みたいなものでした。ある意味、ようやく時代が五郎に追いついたのかもしれません。

また、これは五郎が「旧知のクラモト先生」から教わったとして語る、「知識と金で、前例にならってつくるのが作。金がなくても智恵を使って、前例にないものを産み出すのが創」といった話。そういえば、まだ8歳だった蛍(中嶋朋子)は、既にひとりで創をやってましたよね。

倉本聰さんは現在、来年4月から1年間にわたって放送する連ドラ『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)を執筆中です。単なる続編とは違う、壮大な仕掛けをもった新作。83歳の現役作家が、前例のないドラマをつくる「創」の挑戦を続けています。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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