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大谷翔平のファウルによる球審退場で思い出されるのは、9年前の審判代行

宇根夏樹ベースボール・ライター
スティーブン・ボート(左)とアダム・リンド Sep 1, 2017(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 5月15日、大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)のファウルをマスクに受け、球審のフィールディン・カルブレスが退場した。これにより、二塁の塁審を務めていたCB・バックナーが球審に回り、試合は通常より審判が1人少ない3人で進められた。

 同じようなことは、これまでにも起きている。約1ヵ月前の4月19日には、初回に大谷のチームメイト、マイク・トラウトのファウルが球審の右肘を直撃。この時は、一塁の塁審が球審を務め、二塁の塁審が一塁へ回った。

 こうした事態で思い出されるのは、審判ではなく選手の、スティーブン・ボート(ミルウォーキー・ブルワーズ)だ。今年のブルワーズのメディア・ガイドには、こう記してある。2009年のボートについて説明している部分だ。「シャーロットのダブルヘッダーにおいて、球審が負傷して試合から退いた後、穴埋めとして審判を務めた。ボートが自ら塁審をすると申し出て、2人の監督はそれを了承した」

 昨年のオークランド・アスレティックスのメディア・ガイドにも、同様の記述がある。こちらはもう少し詳しく、「シャーロット・スポーツ・パーク」で球審が「速球を腕に受けて退場」したことがわかる。

 当時、ボートはプロ3年目の24歳だった。タンパベイ・レイズ傘下のA+、シャーロット・ストーンクラブスにいて、開幕直後に右肩を痛め、シーズン絶望となった。塁審を務めたのは、その後のことだ。ちなみに、シャーロットの監督はジム・モリソン。もちろん、ドアーズのジム・モリソンとは別人、というか、こちらはもっと前に死去している。ボートは2012年にレイズからメジャーデビューし、翌年の開幕直後にアスレティックスへ。昨年6月にアスレティックスからブルワーズへ移った。

 今シーズン、ボートは右肩の故障で出遅れ、5月からAAでリハビリ出場を始めたものの、3試合目に再び右肩を痛めた。今シーズンどころか、選手生活が終わってしまう可能性もある。

 けれども、ボートは復活すると信じたい。アスレティックス時代、オークランドのファンは打席に入るボートに向かって、こう合唱していた。「I believe in Stephen Vogt(アイ・ビリーブ・イン・スティーブン・ボート)」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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