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日本人メジャーリーガーのポストシーズン出場その1:1995~2004/初出場は野茂、野手初はイチロー

宇根夏樹ベースボール・ライター
松井秀喜 OCTOBER 16, 2003(写真:ロイター/アフロ)

1995年の野茂英雄から昨年の青木宣親まで、ポストシーズン(プレーオフ)に出場した日本人メジャーリーガーは22人を数える。今年はニューヨーク・ヤンキースの田中将大が23人目となりそうだが、前に書いたように「もしかすると、今年のポストシーズンに出場する日本人メジャーリーガーは皆無かもしれない」。どうなるかはまだわからないが、まずはこれまでの選手たちの足跡を振り返ってみた。今回は1995年から2004年まで。

<シリーズ略号>

NLDS=ナ・リーグ・ディビジョンシリーズ(地区シリーズ)

ALDS=ア・リーグ・ディビジョンシリーズ(地区シリーズ)

NLCS=ナ・リーグ・チャンピオンシップシリーズ(リーグ優勝決定シリーズ)

ALCS=ア・リーグ・チャンピオンシップシリーズ(リーグ優勝決定シリーズ)

WS=ワールドシリーズ

1995,1996年/野茂英雄(NLDS)

1995年も1996年も、野茂英雄(ロサンゼルス・ドジャース)は0勝2敗で迎えたディビジョンシリーズ第3戦に先発し、どちらも黒星を喫した。シンシナティ・レッズと対戦した1995年は、3回裏にロン・ギャント、4回裏にブレット・ブーンに本塁打を浴びて計3点を失い、6回裏、無死一、三塁で降板。2番手のケビン・タパニが四球で満塁とした後、3番手のマーク・ガスリーが本塁打を打たれた。1996年の相手はアトランタ・ブレーブス。1回裏、2死走者なしから、チッパー・ジョーンズとフレッド・マグリフに連打を喰らって先制点を許し、4回裏も2死走者なしから打ち込まれた。トム・グラビンの二塁打に続き、四球を挟んでマーク・レムキーに二塁打、チッパーに本塁打を浴びた。野茂はここでガスリーと交代。再びポストシーズンのマウンドに立つことはなかった。

1999年/吉井理人(NLDS,NLCS)、伊良部秀輝(ALCS)

吉井理人(ニューヨーク・メッツ)は3試合に先発。ディビジョンシリーズは第1戦、リーグ・チャンピオンシップシリーズは第1戦と第5戦に投げた。白星もクオリティ・スタートも記録できず、2登板目は黒星がついたが、メッツは吉井が先発した試合で2勝を挙げた。伊良部秀輝(ニューヨーク・ヤンキース)はリーグ・チャンピオンシップシリーズ第3戦で、ロジャー・クレメンスに代わってマウンドに上がり、4.2回を投げて8失点。この年、メッツはリーグ・チャンピオンシップシリーズでアトランタ・ブレーブスに敗れたが、ヤンキースはワールドチャンピオンに輝いた。

2000年/佐々木主浩(ALDS,ALCS)

佐々木主浩(シアトル・マリナーズ)のポストシーズン初登板は、ディビジョンシリーズの第1戦。3点リードの10回裏に登場し、カルロス・リー(シカゴ・ホワイトソックス)に二塁打を打たれたが、ポール・コネルコを二塁ゴロに討ち取り、そこから2者連続三振で締めた。翌日は同じく3点差の9回裏に登板。先頭打者から3人続けて三振に仕留め、2試合続けてセーブを記録した。さらに、ニューヨーク・ヤンキースと対戦したリーグ・チャンピオンシップシリーズの第1戦で、連続セーブを3に伸ばした。1勝3敗と追い詰められた第5戦は、4点リードの8回表、1死一塁からマウンドに上がり、試合終了まで投げた。セーブはつかず、ヒット、死球、暴投、四球があったものの、ホームは踏ませなかった。

2001年/佐々木主浩(ALDS,ALCS)、イチロー(ALDS,ALCS)

佐々木主浩とイチローはシアトル・マリナーズの選手として、クリーブランド・インディアンスとのディビジョンシリーズに出場。イチローは第1戦でバートロ・コロン(現ニューヨーク・メッツ)から3安打を放ち、第4戦と第5戦も3安打ずつ。第2戦と第3戦にもヒットを打った。シリーズ12安打は、当時チームメイトだったエドガー・マルティネス(1995年/マリナーズ)に並ぶディビジョンシリーズの年間最多記録。佐々木は第2、4、5戦に登板し、いずれも1イニングを無失点に抑え、第5戦でセーブを挙げた。なかでもホアン・ゴンザレスは、三振、三振、三塁ゴロと完璧に封じた。ニューヨーク・ヤンキースと対戦したリーグ・チャンピオンシップシリーズでは、イチローは18打数4安打ながらも、第2戦と第3戦には敬遠四球で歩かされる場面もあった。マリナーズは第3戦で唯一の白星を挙げたが、点差が大きく開いていたため、佐々木の出番はなし。その翌日、1対1の同点で迎えた9回裏に登板し、アルフォンソ・ソリアーノにサヨナラ本塁打を打たれた。

2002年/新庄剛志(NLCS,WS)

新庄剛志(サンフランシスコ・ジャイアンツ)のポストシーズン初出場は、セントルイス・カーディナルスと対戦したリーグ・チャンピオンシップシリーズの第4戦。7回表の途中からライトを守り、その裏の打席は遊撃ゴロに倒れ、8回表の途中からセンターへ回った。アナハイム・エンジェルス(現ロサンゼルス・エンジェルス)の本拠地で行われたワールドシリーズは、第1戦に「9番DH」として先発出場。2打席目にヒットを打ったが、1点リードの9回表に巡ってきた4度目の打席は、代打を送られた。第5戦は6回表の途中からライトの守備につき、9回表にセンターへ。第7戦は3点ビハインドの9回表、1死一、二塁の場面で代打として登場。本塁打が出れば同点だったが、トロイ・パーシバルに三振を喫し、次のケニー・ロフトンも討ち取られた。

2003年/松井秀喜(ALDS,ALCS,WS)

松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)はディビジョンシリーズでミネソタ・ツインズと対戦。第1戦の1打席目にヒットを放ち、第3戦には初本塁打を叩き込んだ。初安打を打ったヨハン・サンタナからは、第4戦でタイムリー二塁打も記録した。リーグ・チャンピオンシップシリーズの相手は、同じア・リーグ東地区のボストン・レッドソックス。第1~3戦と第5戦で1打点ずつを挙げ、第6~7戦は各2安打を放った。シリーズ8安打のうち、長打は二塁打が3本。いずれの二塁打も、レギュラーシーズンで10打数0安打だったペドロ・マルティネスから打った。第7戦の8回裏に同点となるホームインをした時に、跳ね上がって雄叫びを上げた姿が印象的だった(写真はその直前)。フロリダ・マーリンズ(現マイアミ・マーリンズ)と対戦したワールドシリーズでは、第1戦に3安打、第2戦に先制3ラン本塁打、第3戦は同点からのタイムリーヒット。しかし、第5~6戦は9打席とも討ち取られた。

2004年/松井秀喜(ALDS,ALCS)、田口壮(NLDS,NLCS,WS)

松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)はディビジョンシリーズもチャンピオンシップシリーズも前年と同じチームと対戦し、2シリーズとも打率.412。ボストン・レッドソックスには3勝0敗から4連敗を喫したものの、シリーズ14安打、二塁打6本、28塁打は、リーグ・チャンピオンシップシリーズの年間最多記録となった。14安打と28二塁打は他の選手たちに並ばれた――セントルイス・カーディナルスのアルバート・プーホルス(現ロサンゼルス・エンジェルス)は松井の翌日に到達した――が、誰にも追い越されてはおらず、二塁打6本は今でも松井だけだ。第3戦では本塁打と二塁打を各2本に加えてタイムリーヒットも放ち、計5打点を挙げた。

プーホルスとチームメイトだった田口壮は、ポストシーズンで6試合に出場した。最初の2試合、ディビジョンシリーズ第4戦とリーグ・チャンピオンシップシリーズ第2戦は、それぞれ9回裏と9回表にレフトの守備についたが、打球は飛んでこないまま、試合は終わった。リーグ・チャンピオンシップシリーズ第4戦は5回裏の途中からレフトを守り、8回表に代打を送られたが、6回表の打席で送りバントを決めた。3日後の第6戦も8回表からレフトへ。レッドソックスと対戦したワールドシリーズでは第1戦に「9番レフト」として先発出場し、2打席目に内野ゴロで打点を挙げ、3打席目に内野安打を打った。第2戦は7回表にDHの代打として登場し、三振を喫した。その後、打席は回ってこず、第3、4戦は出場しなかった。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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