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歴代ドラフト・トップピック(その1)1965~1974/マントルやコーファックスになれなかった者たち

宇根夏樹ベースボール・ライター

今年はドラフト50周年だ。6月8日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスが先陣を切って指名する選手は、史上51度目のトップピックとなる(セカンダリー・ドラフトが行われた時期もあるが、そこでの全体1位指名は含まない)。ただ、トップピックといえども、全員がスーパースターになれるわけではない。なかには、メジャーリーグでプレーすることなく、ユニフォームを脱いだ者もいる。

1965年 リック・マンデー/外野手/カンザスシティ・アスレティックス

1976年4月25日、ドジャー・スタジアムの外野席からフィールドに降りてきた2人の男が、アメリカ国旗を燃やそうとした。そこに、センターを守っていたシカゴ・カブスのマンデーが斜め後方から駆け寄り、国旗を掴んで走り抜けた。このエピソードがあまりにも有名だが、241本塁打や出塁率.361など、マンデーは19年間にわたる堅実なキャリアも築いた。オールスター・ゲームにも2度選ばれている。

1966年 スティーブ・チルコット/捕手/ニューヨーク・メッツ

強肩と強打を備えた高校生捕手だったが、プロ2年目の試合中に右肩を故障。メジャーリーグでは一度もプレーできず、1972年を最後に選手生活を終えた。その後は大学へ進み、消防士を経て建築業界で働いた。チルコットに続いて全体2位指名を受けたレジー・ジャクソンは、563本塁打に加え、ポストシーズンではワールドシリーズの1試合3連発を含む18本塁打を放ち、1993年に殿堂入りした。

1967年 ロン・ブルームバーグ/一塁手/ニューヨーク・ヤンキース

高校時代には「ジューイッシュ・ミッキー・マントル」とも評されていたが、故障が多く、大成できなかった(マントルはスイッチヒッター、ブルームバーグは左打者)。ただ、1972~74年はいずれも100試合前後の出場ながら、3年続けて2桁本塁打&OPS.840以上。1973年4月6日には、史上初のDHとなった。

1968年 ティム・フォーリー/遊撃手/ニューヨーク・メッツ

モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)やピッツバーグ・パイレーツなどで遊撃のレギュラーを務め、計6チームで16年間プレーした。好守の一方、打者としてはパワーに欠けるフリー・スウィンガーだった。1982年にはカリフォルニア・エンジェルス(現ロサンゼルス・エンジェルス)で528打席に立ち、14四球(うち敬遠1)と3本塁打、両リーグ最多の26犠打を記録した。

1969年 ジェフ・バロウズ/外野手/ワシントン・セネタース

1970年にワシントン・セネタース(現テキサス・レンジャーズ)からメジャーデビューすると、そこから16年間で240本塁打を放ち、1974年は打率.301(リーグ8位)、出塁率.397(3位)、長打率.504(3位)、25本塁打(4位タイ)、118打点(1位)を記録し、リーグMVPに輝いた。オールスター・ゲーム選出は2度。息子のショーン・バロウズ(現・独立リーグ)は、1998年にドラフト全体9位で指名された。

1970年 マイク・アイビー/捕手/サンディエゴ・パドレス

マイナーリーグ時代に送球難に陥り、メジャーリーグでは主に一塁を守った。11年間で857試合に出場したが、マスクをかぶったのは9試合に過ぎない。1970年のドラフトでは、全体3位のバリー・フットと全体4位のダレル・ポーターも、アイビーと同じ高校生捕手だった。どちらも捕手として、フットはメジャーリーグで10年間、ポーターは17年間を過ごし、ポーターはオールスター・ゲームに4度選ばれた。

1971年 ダニー・グッドウィン/捕手/シカゴ・ホワイトソックス

全体1位指名を蹴って大学へ進み、4年後のドラフトで再び全体1位指名を受けて、カリフォルニア・エンジェルス(現ロサンゼルス・エンジェルス)に入団した。2度のトップピックは史上唯一。「ブラック・ジョニー・ベンチ」の呼び声もあったが、メジャーリーグでは捕手としての出場はなく、主にDHを務めた。7年間で252試合に出場。1986年には南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)でプレーし、83試合で打率.231、8本塁打、OPS.706を記録した。

1972年 デーブ・ロバーツ/三塁手/サンディエゴ・パドレス

マイナーリーグを経験せず、1972年6月7日にメジャーデビュー。翌年に21本塁打を放ったものの、その後はユーテリティとしてプレーするにとどまった。1979年はテキサス・レンジャーズで44試合に出場し、捕手、遊撃を除く内野、外野すべての計7ポジションを守り、DH、代打、代走も務めた。

1973年 デビッド・クライド/左投手/テキサス・レンジャーズ

高校時代には10度のノーヒッターを成し遂げ、「ネクスト・サンディ・コーファックス」の呼び声もあった。テキサス・レンジャーズのオーナーはスカウトの反対を押し切り、マイナーリーグではなくメジャーリーグでプロデビューさせた。オーナーの目論みどおり、この試合はシーズン最多となる3万5698人の観客を集め、憧れでもあったコーファックスと同じ背番号「32」のユニフォームを着てマウンドに立ったクライドも、5回を投げて8三振を奪い、2失点で勝ち投手になったが、7四球を与えた。メジャーリーグ5年間の成績は、84試合に投げて18勝33敗、防御率4.63。引退後は約20年間にわたって、材木会社の経営に携わった。

1974年 ビル・アーモン/遊撃手/サンディエゴ・パドレス

1977年にサンディエゴ・パドレスで遊撃のレギュラーを掴んだが、翌年にメジャーデビューしたオジー・スミスに三塁へ追いやられ、以降はユーテリティのジャーニーマンとして過ごした。それでも、メジャーリーガーとしてのキャリアは15年間にわたり、1236試合に出場した。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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