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クレメンテに縁のあるウォーカーがやってのけたトリプル・プレーは、メジャーリーグ史上初の快挙

宇根夏樹ベースボール・ライター

トリプル・プレー(三重殺)にはさまざまなパターンがある。そのなかでも、アンアシステッド・トリプル・プレー(1人三重殺)はなかなか起きない。これまでにやってのけたのは15人だけだ(ワールドシリーズの1度を含む)。2009年8月23日にエリック・ブラントレットが成立させた「4-4-4」を最後に途絶えている。

だが、5月9日にPNCパークで起こったトリプル・プレーは、それよりも珍しいものだった。2回表、無死二、三塁の場面でヤディアー・モリーナ(セントルイス・カーディナルス)がライナーを放つと、二塁手のニール・ウォーカー(ピッツバーグ・パイレーツ)がこれをジャンピング・キャッチ。ウォーカーから三塁手のカン・ジョンホ/姜正浩へ渡ったボールは、さらに、ジョンホからウォーカーへ戻され、ジョニー・ペラルタジェイソン・ヘイワードの2走者がそれぞれアウトになった。

書いてしまえば「4-5-4」とシンプルだが、このパターンのトリプル・プレーは過去に一度も起きたことがなかった。そもそも、一塁が空いている場面では、トリプル・プレーは成立しにくい。また、たいていの場合、2走者のうち一方は、ボールより先に塁へ戻ることができる。ちなみに、2013年4月12日にニューヨーク・ヤンキースがやってのけた「4-6-5-6-5-3-4」のようなランダウン・プレーのあるトリプル・プレーを含めれば、そのパターンは限りなく広がる。

史上初の「4-5-4」トリプル・プレーが成立した要因はいくつかある。ただ、何はさておき、ウォーカーの動きと判断の良さが際立った。捕球も素晴らしかったが、ウォーカーはその直後、自ら踏もうと二塁ベースへ向かって走りながら、途中で考えを変え、三塁へ送球した。二塁走者のヘイワードと違い、三塁走者のペラルタはそれほど塁を離れていなかった。ウォーカーが二塁を踏んでから三塁へ投げていたら、ペラルタの帰塁の方が早かった可能性が高い。ウォーカーからの送球を受けたジョンホは、そこからどうすべきか一瞬わからなかったようだが、ウォーカーはすでに二塁ベース上にいて、ジョンホの返球を待ち受けていた。

ウォーカーはメジャーリーグ7年目。2004年のドラフトで全体11位指名を受け、パイレーツに入団した。前回、パイレーツがトリプル・プレーを完成させた2014年9月14日――こちらは「5-4-3」の“平凡な”トリプル・プレーだった――にも、ウォーカーは二塁手として参加している。現在、パイレーツで「チームの顔」と言えば、こちらも生え抜きのアンドルー・マッカッチェンだが、ウォーカーはピッツバーグで生まれ育ち、加えて、かつて「パイレーツの顔」だった選手とも深い縁がある。

彼の父、トム・ウォーカーはメジャーリーグで191試合に投げたが、パイレーツでは、現役最終年の1978年に傘下のAAAで6登板しただけだ。けれども、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)の一員だった1972年のオフに、トムはプエルトリコのウィンター・リーグで、パイレーツのロベルト・クレメンテとチームメイトとして過ごした。この年の12月に起きたニカラグア地震の被災者に対し、クレメンテがDC-7をチャーターして救援物資を届けようとした際には、トムも同乗を申し出たが、クレメンテに押しとどめられたという。

DC-7の事故によって、クレメンテは帰らぬ人となった。トムの息子、ニールは1985年に生まれた。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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