Yahoo!ニュース

MLBの傘下球団「削減」でマイナーリーグ文化は損壊しない

豊浦彰太郎Baseball Writer
マイナーリーグ球場で過ごす夏の暮れなずむ時間帯は格別だ

MLBによるマイナーリーグ「削減」は、「提携解消」であって「球団消滅」ではない。また、球団自助努力の促進、育成に捉われない野球本来の娯楽性の顕在化、というメリットもあるのではないか。

MLBによるマイナーリーグの約四分の一にあたる42球団の「削減」が発表され、まもなく約2ケ月が経過する。本件に関してはぼくも先日「Yahoo!個人」で取り上げたが、今も内外のメディアを賑わせている。選手や球団関係者が職を失うことに加え、全米各地に散らばるマイナーリーグという草の根野球文化の喪失を懸念する論調が目に付く。しかし、ぼくはその意見に必ずしも同意できない。

画像

「提携解消」であり「球団消滅」ではない

まず述べておきたいのだが、今回のMLBの案は“Contraction”(本来は収縮、縮小といった意)と表記されることが多いので、日本のメディアでもそのニュアンスをくみ取り「削減」と記されているのだが(ちなみにぼくも先の記事では「削減」を使った)、マイナーリーグの大多数はMLB球団に保有されているわけではない。中には「直営」もあるが、その多くはMLB球団と提携契約を結び、資金その他の支援を受けるという形態で運営されている。今回の対象球団もその大多数は提携球団だ。したがって、それらの球団は「提携解消」される、というのが正しい表記だ。MLB球団側からすると、傘下のマイナー組織の規模が縮小するのでContractionなのだ。もちろん、提携解消は彼らにとって死活問題であることは間違いないが、即球団が消滅してしまうわけではない。

提携関係を打ち切られた球団は独立採算での生き残りを模索していくことになり、オーナーシップの交代(身売り)やフランチャイズの移転も少なからず発生するだろう。中には完全に消滅してしまうケースもあるかもしれない。しかし、割り切った言い方をすれば、それは程度の差こそあれこれまでも毎年行われていたことだ。これも競争社会の定め、長い野球の歴史の一部だと思う。

画像

独立リーグは「親球団なし」の運営

北米には、数多くの独立リーグ球団が存在していることも見落としてはならない。彼らは「親球団」を持たないが、独自の営業努力でしたたかに存在し続けている。その中でも、ミネソタ・ツインズの本拠地と言って良いセントポールにフランチャイズを置くセインツはユニークなマーケティング策の先駆け的存在の人気球団だ。また、ぼくがこの夏そのロボット審判などの新ルール実験を取材したランカスター・バーンストーマーズやサマセット・ペイトリオッツなどのアトランティックリーグ球団も、メジャー行きを目指す比較的実績のある選手が数多く集まるリーグとしての独自性を打ち出すことによって、高い観客動員力を維持している。

要するに、親球団からの資金援助があればそれをベースとした経営となるため、それがなくなれば経営が危機に瀕するが、ないならその中で自助努力が生まれてくるのだと思う。今回のMLBによる「削減」案が実行されれば、ある程度の痛みは避けられないとは思うが、それにより家族揃ってのマイナーリーグ観戦という、アメリカの夏の大衆娯楽文化が危機に瀕するということではない。

それどころか、これをポジティブに受け止めることも可能だと思う。

画像

MLBとは繋がっていないマイナー独自の世界

マイナーリーグの存在意義はメジャーリーグ球団の育成機関としてのみではない。マイナーリーグが概ねメジャー傘下に組み入れられたのは、1950年代の後半で、それまでは「メジャー」に対する「マイナー」のプロ野球興行団としての位置付けもあった。

例えば、パシフィックコースト・リーグは、今でこそメジャー傘下の3Aリーグだが、1950年代までは「第3の大リーグ」と評されるほどの高い人気と技術レベルを誇り隆盛を謳歌した。それは、当時MLBの配置はアメリカ地図の「右上」に集中していたことが大きいのだが、それ以外にも理由がある。西海岸ならではの温暖な気候を活用して、ア・ナ両リーグよりもシーズンがはるかに長く、それにより選手に高い報酬を支払うことが可能だったことも見落とせない。当時は「大リーグ」の年俸も低かったため、多くの一流選手は地元の西海岸でのプレーを望んだのだ。

画像

また、当時のマイナーリーグには、シーズン打率4割&72本塁打(ジョー・バウマン 1954年)とか、シーズン254打点(ボブ・クルース 1948年)とか、打者として三冠王を獲得しながら投手としても出場し20勝&最多奪三振(テックス・サナー 1948年)などというとんでもない記録を達成した選手たちもいたのだが、彼らは生涯メジャーではプレーしていない。要するに必ずしも繋がっていない別世界だったのだ。

もちろん、当時そのままの再現は望めない。しかし、強調しておきたいのは、マイナーリーグは選手にとっても観客にとってもメジャーへのファームとしてではないエンタテインメントとして存在していた長い歴史があったということだ。そして、その過程で何度も構造の変革があり、リーグ数や球団数も大きく変動した。

画像

マイナーリーグ球団の一部が、メジャーからの資金援助とともに束縛から解放されることは、地方の中小都市でのナショナルパスタイムとしての位置付けを担うというマイナーリーグ本来の姿が一層明確になることにも繋がると思う。

写真は全て豊浦彰太郎撮影

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

豊浦彰太郎の最近の記事