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大相撲を通じNPBとMLBの国際性・人種多様性を考える

豊浦彰太郎Baseball Writer
ジャッキー・ロビンソンの登場をきっかけにMLBの人種多様性・多国籍性は進んだ(写真:ロイター/アフロ)

先日、たまたま読売新聞で「日本勢遠い賜杯」というコラムを見つけた。ぼくは相撲に関しては全くの門外漢なのだけれど、どうやら日本人力士の優勝が途絶えて10年になるらしく、「この状況を打破するには何が必要か」ということがテーマのようだった。

ぼくに言わせればこういう企画自体が極めて人種差別的で、大新聞がこのような企画を大手を振って展開することは問題だと思う。また、記事中で発言している親方衆は日本人が優勝できない理由として「心が欠けている」とか「稽古量が足らない」などとあきれることを挙げていた。仮に、外国人が上位番付を占めている状況を良からぬこととするなら、その要因は体格・運動能力に優れる日本の若者を集められない業界の努力不足や構造にあるはずで、それらは親方衆らの経営責任だと思う。そんな「自責」を力士の「心」や「稽古」の不足という「他責」に転じていては、経営者として指導者として失格だと思う。

しかし、大相撲の状況は野球界にとっての示唆にも富んでいる。仮に外国人力士がいなかったとするとどうだろう。強い外国人力士が一杯の現在の状況と、外国人を一切排除したと仮定した場合の相撲界のどちらをファンは支持するだろうか。

野球界には「外国人枠」がある。これは、1)その昔日本のプロ野球がアメリカの足元にも及ばなかった頃の名残であり、2) 外国人に機会を奪われたくない選手会の意向と3)「ガイジンだらけになったら日本のファンに見捨てられてしまう」というNPB経営陣の恐れの表れによるものだろう。

しかし、日本はいまや世界有数の野球大国であることを考慮すると1)と2)は情けないと言えるし、3)は違うと思う。それこそ、満員御礼を続く大相撲がそのことを証明している。MLBでは、1947年にジャッキー・ロビンソンがデビューして「人種の壁」が崩れた後もヤンキースなどは黒人選手の採用に消極的だった。また、他球団においても「スタメンに5人以上黒人選手を配置しない」という不文律があった。「黒人が増えると白人のお客が減る」と考えていたのだ。しかし、ロビンソンを採用したドジャースはそんな暗黙のルールなどお構いなしにガンガン黒人選手を起用し、メジャー有数の強豪になった。

ちなみに、ぼくは大相撲に必要なのは、「もっと日本人頑張れ」と叫ぶことより、全く逆の発想で今以上に世界中から運動能力に富んだ大柄な若者を招き入れることだと思う。それは、世界中に大相撲をコンテンツとして売り込むことにもつながり、土俵上のレベルアップとの相乗効果に繋がること間違いない。様式は徹底的に日本の伝統に固執し、力士は世界中から集ったつわもの、これこそ理想ではないか。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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