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東日本大震災から8年半も復興は道半ば 「アウトドアダイニング気仙沼」がもつ意味と我々にできること

東龍グルメジャーナリスト
著者撮影

東日本大震災から8年半

2011年3月11日に発生した東日本大震災から約8年半の月日が経ちました。

海に近い気仙沼市では、大津波と火災によって、死者1152人、行方不明者214人という甚大な被害がもたらされました。

気仙沼市は、こういった惨劇が繰り返されないよう、2019年3月10日に気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館を開館し、多くのメディアで取り上げられたので知っている人も少なくないでしょう。

「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」は、将来にわたって震災の記憶と教訓を伝え、警鐘を鳴らし続ける「目に見える証」として活用し、「津波死ゼロのまちづくり」を目的としてつくられました。

河北新報によると、来館者は2019年8月15日で5万人にも上り、開館から約5ヶ月で初年度の来館見込みである7万5千人の3分の2に達し、菅原市長が「予想を上回るスピード。震災や災害への思い、関心が高いということだろう」と述べたということです。

気仙沼の海産物

気仙沼港 内湾/@著者撮影
気仙沼港 内湾/@著者撮影

気仙沼は東日本大震災で大きな被害を受けた地域として、多くの人の知るところとなりましたが、実は海産物が非常に豊かな地域として有名です。

気仙沼市の「特産品の紹介」から紹介しましょう。

  • フカヒレ
  • サンマ
  • カツオ
  • マグロ
  • カキ
  • マンボウ
  • ワカメ
  • アワビ
  • ウニ

中国料理の高級食材の代表であるフカヒレは、気仙沼が最高のブランドとされており、サメの水揚げとフカヒレの生産量は日本一です。

サンマは気仙沼を代表する魚。塩焼きのイメージが強いですが、気仙沼港に水揚げされるサンマは鮮度がよいので、地元では刺身やたたきにして食べられています。

カツオは22年連続で一本釣りの水揚げ漁が日本一を誇っており、サンマと並んで有名。クロマグロ、メバチマグロ、ビンナガマグロ、キハダマグロといった、色々なマグロが水揚げされているのです。

気仙沼ブランドの認証商品もあります。気仙沼地域HACCP(ハセップ)認定工場で加工・製造されたこと、さらには、特に厳選された原料の選択や保管・細菌検査、食品表示、添加物などを規定した「ブランド商品認証基準」に基づき、専門知識を持った審査委員が試食、審査し、合格した優れた商品なのです。

以上のように、気仙沼には素晴らしい海の幸と自立したブランドがあるといってよいでしょう。

水産業と観光業の復興

ヨコレイ(横浜冷凍株式会社)の建物。黒い跡があるところまで津波が押し寄せた/@著者撮影
ヨコレイ(横浜冷凍株式会社)の建物。黒い跡があるところまで津波が押し寄せた/@著者撮影

気仙沼は素晴らしい資源を有していますが、復興はまだ道半ばです。

日経BP総研の記事によると、震災前に7万5000人前後あった人口は2019年1月末で6万4000人を切っています。魚市場の水揚げ量は、震災前年となる2010年の約10万3600トンから翌2011年は約2万8000トンに激減しているのです。

データで見る復興の状況 (令和元年7月末日現在)によれば、2018年は約8万2千トンにまで回復していますが、あともう一歩というところ。

気仙沼市は、水産業が大打撃を受けたため、観光業に力を入れ始めました。

震災が起きた2011年には4万人を切った観光客の宿泊者数が、2016年には20万人を超え、2018年には約19万5000人。観光入込客数に関しては順調に伸びており、2018年には約150万人となりました。しかし、震災前年となる2010年の約254万人にはまだ及びません。

なお、観光入込客とは、その地域に訪れた観光目的の人のことであり、同一地域内で複数の観光地点に訪れたとしても、1人として集計されます。

このように、水産業も観光業も、残念ながら完全なる復興というには遠い状況です。

気仙沼の水産業と観光業をもっと盛り上げていかなければならない中で、2019年9月13日に、ある重要なイベントが行われました。

それは「アウトドアダイニング気仙沼」です。

アウトドアダイニング気仙沼

埠頭にある野外ダイニングのテーブルセット/@著者撮影
埠頭にある野外ダイニングのテーブルセット/@著者撮影

「アウトドアダイニング気仙沼」とは、新たな観光コンテンツ創造のスタートアップに向けたイベント。

気仙沼市の魅力ある食材と景観スポットを組み合わせ、気仙沼でしか体験できない新しい旅のスタイルを提案し、旅の満足度を高め、観光消費額アップにつなげることを目的としています。

宮城県が主催している事業であり、気仙沼の完全な復興へ向けて、ひとつの大きな施策が始まったといってよいでしょう。

クルーズから野外ダイニング

クルーズの漁船「弁天丸」/@著者撮影
クルーズの漁船「弁天丸」/@著者撮影

9月13日に行われた「アウトドアダイニング気仙沼」は、「旅の思い出は人との出会いと旬の食」をテーマにし、初めてということでテスト的に行われました。

漁船に乗って湾内をゆっくりとクルーズし、気仙沼の歴史の奥深さや海の豊かさを肌身で感じます。その後に特別に設けられた野外ダイニングで、個性的な漁師の方々と食卓を囲み、会話と食事を楽しむという流れです。

鈴木芳則氏と息子の鈴木まさや氏がカキやホタテの養殖を説明/@著者撮影
鈴木芳則氏と息子の鈴木まさや氏がカキやホタテの養殖を説明/@著者撮影

クルーズでは、気仙沼の主要な港を巡りながら、震災直後の話や復興の具合、ホタテやカキの養殖について詳しく説明してもらえました。

いかに海洋資源が豊富であるか、さらには、里では松茸も採れたりするなど、気仙沼の食材の豊富さについてよく理解できます。

復興のシンボルである気仙沼大島大橋/@著者撮影
復興のシンボルである気仙沼大島大橋/@著者撮影

東日本大震災からの復興シンボルである気仙沼大島大橋も間近に見ました。気仙沼の本土から東北最大の有人島である大島へ架かる橋で、2018年11月に工事が完了し、2019年4月7日に開通。橋脚間の長さは297メートルと、東日本で最大のアーチ橋ということです。

コース内容

今回の料理を手掛けたフランス料理の料理人である松本圭介氏/@著者撮影
今回の料理を手掛けたフランス料理の料理人である松本圭介氏/@著者撮影

野外ダイニングの料理は、仙台市出身であり、フランスでガストロノミーからビストロまで研鑽を積み、日本でも名だたるレストランで腕をふるった松本圭介氏が創り上げました。

気仙沼ならではの食材を用いて、前菜からメインディッシュ、デザートまで、以下の料理が提供されたのです。

  • けせもい

もうかの星 タルタル、もうかの星 コンフィ、生かつお セヴィーチェ、マンボウ 酢味噌 郷土料理、マグロの卵 きんぴら 郷土料理

  • マンボウのアヒージョ
  • 気仙沼産フカヒレのトルテッローニ
  • 漁師飯 本鮪 漁師Style
  • 北限のパッションフルーツ&チーズケーキ
前菜の「生かつお セヴィーチェ」で鮮度が抜群によく、強い薬味は必要ない/@著者撮影
前菜の「生かつお セヴィーチェ」で鮮度が抜群によく、強い薬味は必要ない/@著者撮影

「けせもい」は気仙沼の語源となった言葉で、「南端にある入り江」を意味します。「もうかの星」はモウカザメの心臓。フレッシュな状態で提供できるのも、サメの水揚げ量が日本一を誇る気仙沼ならではの一品です。カツオは鮮度がよいので臭みもなく、セビーチェのように軽いマリネでもおいしく食せます。

「気仙沼産フカヒレのトルテッローニ」は東洋の食材であるフカヒレとパスタを合わせた和魂洋才の一品/@著者撮影
「気仙沼産フカヒレのトルテッローニ」は東洋の食材であるフカヒレとパスタを合わせた和魂洋才の一品/@著者撮影

マグロの卵、フカヒレ、マグロのお茶漬けである漁師飯なども、気仙沼の特産品や郷土料理で、ここでだからこそ味わえる料理であるといってよいでしょう。

漁師の話

野外ダイニングでテーブルを囲んだ漁師(船主、船頭)は以下4名の方々でした。ケセンヌマの男ということで、ケセンヌマンと命名されています。

ケセンヌマン

  • 元マグロ船 船頭 前川栄氏
  • 元マグロ船 船頭 菊地敏男氏
  • 元マグロ船 船頭 千葉光雄氏
  • マグロ船船主 佐藤俊輔氏

ケセンヌマンからは気仙沼についての貴重で興味深い話をいくつも聞くことができました。

巻網漁や延縄漁のメリットやデメリットといった基本的なことから、適正な値で買い取ってくれることから気仙沼港には県外の漁船が数多く水揚げしていること、海洋資源のサステナビリティの問題、船首と船頭の関係性や漁業のIT化など、都市部で生活していては決して知ることのできない貴重な知見を得ることができたのです。

気仙沼の食材や郷土料理を食べながら、海についての興味深い話を聞けるダイニングなど、他にはないでしょう。

背景

概要を説明する株式会社オノデラコーポレーションのコーヒー事業部 専務取締役の小野寺靖忠氏/@著者撮影
概要を説明する株式会社オノデラコーポレーションのコーヒー事業部 専務取締役の小野寺靖忠氏/@著者撮影

「アウトドアダイニング気仙沼」では、気仙沼の漁師や海に焦点を当てており、気仙沼に住む素晴らしい人々や豊かな食材を堪能できます。

では、どのような背景があって実現されたのでしょうか。

宮城県から事業を受託した株式会社オノデラコーポレーションのコーヒー事業部 専務取締役の小野寺靖忠氏に話を聞きました。

Q:どうして漁師に焦点を当てたのか?

小野寺氏:私が育った環境には遠洋鮪船の漁師が多く、本当にかっこよく、何よりも話が面白かった。漁師たちの個性は気仙沼の魅力のひとつであるとずっと思っていたので、「アウトドアダイニング気仙沼」の事業を請け負った時に、是非とも大海原を駆け巡ってきた方々に話をしてもらうのがよいと考えた。

Q:野外ダイニングも小野寺氏の考えであったか?

小野寺氏:漁師たちと共に、話や食事をして過ごすのは私からのアイデアであったが、外で食事するようにしたいというのは宮城県のアイデアであった。

Q:実現するまでの具体的な経緯は?

小野寺氏:子供の頃から漁師たちと楽しい時間を過ごしたいと思っていたことを鑑みれば、企画から40年くらい経過している。「アウトドアダイニング気仙沼」の企画が持ち上がったのは2019年5月頃。気仙沼で一番よい場所、よい季節ということで吟味していったところ、9月の開催となった。

Q:漁師はどのようにして選ばれたのか?

小野寺氏:元遠洋マグロ漁船の漁師たちで、世界中の漁場を開拓し、世界の港知っている歴戦の猛者の方々にお声がけした。

Q:最も苦労したことは何か?

小野寺氏:フレンチ出身の松本氏にメニュー作成を依頼したが、気仙沼ではとれる食材がすぐに変わってしまうので、旬の食材の選定が難しかった。

Q:「アウトドアダイニング気仙沼」を通して何を伝えたいか?

小野寺氏:気仙沼には面白い人がたくさんいる。アンカーコーヒーグループはこれから気仙沼の魅力を創出する手段のひとつとして、旅で訪れた方々に「人」との出会いの場を提供しようと考えている。

居酒屋でたまたま隣に座った客が面白かったりすると、旅の思い出がぐっと深まる。そのような機会を生み出していき、気仙沼の「人」と「食」を旅人に提供していきたい。

Q:今後も「アウトドアダイニング気仙沼」を開催する予定はあるか?

小野寺氏:今回は宮城県主催で素晴らしい取り組みを行う機会が与えられた。この取り組みにヒントを得て、私たちなりにもっと落とし込み、より楽しくて素敵な場を提供していけたらよいと考えている。

メディアからみた格好の素材

「漁師飯 本鮪 漁師Style」のクロマグロ。そのまま食べた後で、次は醤油とワサビで食し、最後はご飯と共にお茶漬けで/@著者撮影
「漁師飯 本鮪 漁師Style」のクロマグロ。そのまま食べた後で、次は醤油とワサビで食し、最後はご飯と共にお茶漬けで/@著者撮影

気仙沼の周辺を回り、話を聞いてみると、震災の傷跡はまだ目に見える形で残っており、甚大な被害がすぐに癒えるはずがないことを痛感します。

ただ、以下に掲載した通り、残念ながら人々の関心が薄れてきているように思います。

東日本大震災が風化する危惧がある中で、小野寺氏が述べるように気仙沼の大いなる魅力である食と人を伝える「アウトドアダイニング気仙沼」が開催されたことは、よいタイミングだったのではないでしょうか。

なぜならば、質の高い食材やおいしい郷土料理、面白い職人やその貴重な体験談は、メディア向けの非常に扱いやすい素材だからです。

したがって、広範囲に発信する力のあるメディア側の人々には、日本の食と震災復興のために、是非とも「アウトドアダイニング気仙沼」について言及してもらいたいと考えています。

またメディアに携わっていない人々でも、SNSが発達した現代であれば、できることはあるのではないでしょうか。

海洋資源が豊富な気仙沼に訪れ、話を聞いたり特産物を食したり、震災地域に関心をもって話題にしたりすることが、復興への糧となるように思います。

気仙沼港は最良の港

日が沈んだ後の野外ダイニングの様子/@著者撮影
日が沈んだ後の野外ダイニングの様子/@著者撮影

小野寺氏に気仙沼についての興味深いエピソードを教えていただきました。

1611年11月27日、スペインから金銀財宝を目指して一人の探検家が三陸沿岸にやってきたといいます。

男の名はセバスティアン・ビスカイノ。アメリカ西海岸の港町「サンディエゴ」やサンフランシスコ南部の「モントレー湾」を名付けたことでも知られています。

そのセバスティアンが「考え得る限りで最良の港」と評した港こそが、気仙沼港でした。

400年も前に世界を股に掛ける探検家が絶賛した気仙沼港には、そこを我が庭のように知り尽くし、日が昇る先に続く大海原を制してきた数多の漁師たちがいます。

気仙沼港の宝である海の猛者たちによる知見や体験からは、力強い言葉と裏打ちされた理論、そして人間味溢れる魅力が醸造されているだけに、こういった「人」やその「人」たちが命を懸けて獲った「食」がきっかけとなり、より多くの人々が気仙沼へ訪れるようになることを切に願っています。

グルメジャーナリスト

1976年台湾生まれ。テレビ東京「TVチャンピオン」で2002年と2007年に優勝。ファインダイニングやホテルグルメを中心に、料理とスイーツ、お酒をこよなく愛する。炎上事件から美食やトレンド、食のあり方から飲食店の課題まで、独自の切り口で分かりやすい記事を執筆。審査員や講演、プロデュースやコンサルタントも多数。

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