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今、なぜ「米原ルート」が浮上?~北陸新幹線敦賀延伸が結ぶもの、離すもの

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
いよいよ東京駅から敦賀駅までが直結したが。(画像・著者撮影)

敦賀駅の乗り換え問題

 「判っていたこととは言え、実際に行ってみると、年寄りには辛いよ。」

 石川県のある中小企業の会長は、がっかりしたと言う。それは敦賀駅での在来線特急サンダーバードと、北陸新幹線の乗り換えだ。

 「あれだけ歩かされるのは、高齢者には辛い。関西方面から高齢者の旅行は、無くなるんじゃないだろうか。私もこれまで京都が好きで、よく行っていたんだけど妻も私も歩くのが遅くなっているし、ちょっとなあ。」

 特急サンダーバードは12両編成で、この会長が利用するグリーン車は先頭車両だ。ところが、敦賀駅の乗り換え用のエスカレーターやエレベーターはホーム中央部にあり、先頭車両から降りると、ホームを延々と歩かされる。

 在来線特急と新幹線の乗り換えは、新潟駅(上越新幹線・在来線特急)や武雄温泉駅(長崎新幹線・在来線特急)などでは同じホームで乗換を行う「対面乗換方式」が採られている。しかし、敦賀駅での乗り換えは、在来線特急の地上ホームから、2階に上がり、乗り換え改札口を抜けて、さらに3階の新幹線ホームへと移動しなくてはいけない。

 多くの人が利用した場合には、乗り換え改札口がボトルネックになり、激しい混雑になる。外国人観光客など旅慣れていない乗客が、有人改札に集中し、長い列ができてしまうことも問題だ。JR西日本は、ホームやコンコースに警備員などを配置し、誘導しているが、新幹線と在来線特急の両方から乗客が溢れると充分な対応が行われているとは言い難い状況だ。

 JR西日本のキャッチフレーズの「つながる北陸」とは裏腹に、首都圏と北陸はつながったが、関西地方とは分断されてしまった感が強くなっている。

サンダーバードのグリーン車は1号車だ。ホーム中央にあるエレベーターやエスカレーターまでは、ホームを歩かねばならない。(画像・筆者撮影)
サンダーバードのグリーン車は1号車だ。ホーム中央にあるエレベーターやエスカレーターまでは、ホームを歩かねばならない。(画像・筆者撮影)

乗り換え改札がボトルネックとなっている。外国人客も多い。(画像・筆者撮影)
乗り換え改札がボトルネックとなっている。外国人客も多い。(画像・筆者撮影)

関西経済圏と日本海経済圏をつないだ北陸本線

 北陸本線は、1913年に米原から糸魚川まで全通し、第二次世界大戦後の1962年には北陸トンネルの開通、そして1969年には全線電化・複線化が完成した。

 大阪からは東海道本線、1974年以降は湖西線を経由し、北陸本線、さらには信越本線、羽越本線、奥羽本線などが繋がり、青森まで結ばれた。

 北陸本線が最盛期を迎えたのは、多くの特急、急行、夜行列車、貨物列車が運行された1970年代から2000年代までだ。
 1961年に運転が始まった特急「白鳥」は、大阪と青森を結び、さらに北海道と関西地方を結ぶ役割も果たしてた。しかし、1990年代に入ると国内航空路線の拡充などの影響で利用客が低迷し、2001年で廃止された。

 1989年からは寝台特急列車「トワイライト・エクスプレス」が、大阪・札幌間で運行され、豪華列車として人気があった。しかし、これも2016年に運行が終了した。車両の老朽化や、北海道新幹線開業、さらに北陸新幹線の並行在来線がJRから第三セクター鉄道へ移管されたことも廃止理由として挙げられた。

1989年から2016年まで、大阪・札幌間で運行されていた寝台特急列車「トワイライト・エクスプレス」(画像・筆者撮影)
1989年から2016年まで、大阪・札幌間で運行されていた寝台特急列車「トワイライト・エクスプレス」(画像・筆者撮影)

日本海国土軸の分断

 北陸本線含む日本海側を青森まで結ぶ鉄道路線は、関西経済圏と日本海経済圏、さらには北海道経済圏を結ぶ重要路線として機能してきた。しかし、その役割は、国内航空路の拡充、東京と新潟を結ぶ上越新幹線の開業、北海道新幹線の函館延伸開業、さらには北陸新幹線の金沢開業などにより、急速に低下してきた。

 古代から日本海を利用した船運によって発達し、その後、北陸本線、信越本線、羽越本線、奥羽本線と鉄道で結ぶことによって形成されたのが日本海国土軸だった。しかし、「トワイライト・エクスプレス」の廃止理由の一つに挙げられているように、並行在来線がJRから第三セクター鉄道へ移管され、分断されることとなった。

 さらに北海道・東北新幹線は函館、青森、秋田新幹線は秋田、山形新幹線は山形、上越新幹線は新潟、そして北陸新幹線は富山、金沢、福井と、日本海側の各都市と東京とを放射状に結ぶことになった。

 北海道・東北新幹線、東海道・山陽新幹線、さらには九州新幹線と、国土軸が強化されてきた太平洋軸と比較すると、日本海国土軸の鉄道網の分断と衰退は明らかだ。

新幹線が整備され、重要度が増す太平洋軸に比較して、日本海国土軸の鉄道網はむしろ分断されてしまっている。
新幹線が整備され、重要度が増す太平洋軸に比較して、日本海国土軸の鉄道網はむしろ分断されてしまっている。

関西経済圏の縮小

 1964年から2011年まで大阪から富山まで運転されていた特急「雷鳥」は、別名「繊維特急」と呼ばれていた。青森、新潟、富山、石川、福井といった日本海沿岸の地域は、古くから繊維産地として発展してきた。大阪には、明治以降、繊維を扱う商社が成長し、繊維製品を扱う卸売業が集積した。そのため、繊維メーカー、アパレルメーカー、卸売業者、素材メーカー、さらには機械メーカーなどの多くの関係者が、石川、富山に向かう特急「雷鳥」、青森に向かう特急「白鳥」、新潟に向かう夜行急行「きたぐに」などを利用してきたのだ。

 しかし、1970年代を境にして日本国内の繊維産業は急速に衰退し、さらに新幹線の開業によって、2000年代に入ると、利用者が減少し、これらの特急列車や急行列車は次々と廃止されていったのである。

 関西経済、特に大阪経済の衰退に関しては、様々な原因が考えられるが、日本海国土軸の分断による経済圏の縮小も、大きく影響してきたと言える。

 「北陸側は東京と直結した段階で完了だ。関西側が関心を持たないのであれば、正直なところ、あとはあまり関心がない。しかし、関西の政財界は、関西経済圏が縮小していることには、あまり気にしないのですね。」

 このように以前に、北陸地方のある政治家が筆者に話したことがある。この政治家だけではなく、北陸地方の政財界の方々と話をすると、北陸新幹線の京都、大阪への延伸に対する大阪府や京都府の姿勢を批判する意見を耳にすることが多い。実際、都構想、大阪万博、IRなど政治的な問題が相次ぎ、関西地方の政財界の北陸新幹線への関心が今後も高まる兆しはなさそうだ。

 ある北陸地方の自治体の幹部職員は、「北陸地方の自治体も財界も、新幹線建設に対して、政治家にも働きかけ、熱心にやった結果だという自負がある。関西地方の関心が薄いのであれば、年月のかかる小浜経由に固執せず、北陸地方にとって経済効果が早くに得られる米原経由をという意見が増えるのは当然だ」と言う。

北陸新幹線の延伸は、関係自治体の活発な促進運動の結果だ。(各種資料で筆者作成)
北陸新幹線の延伸は、関係自治体の活発な促進運動の結果だ。(各種資料で筆者作成)

北陸新幹線米原ルートの再浮上のわけ

 2016年12月に政府与党整備新幹線建設推進プロジェクトチームが、北陸新幹線敦賀・大阪間は小浜・京都ルートに決定したと発表した。

 しかし、小浜から京都へ南進するルートは、山岳地帯を抜け、京都の市街地の地下を通るルートであり、工事の困難さや巨額の建設費用、環境問題などが当初から問題視されてきた。すでに沿線の住民や自治体の反対運動なども起きており、着工のめども立っていない。

 こうした中で、北陸地方の政財界の中でも、米原ルートの再検討を口にする政治家や企業経営者が増えている。富山県のある企業経営者は、「このままでは100年経っても大阪への延伸なんかできないだろう。人口減少や高齢化で日本経済は衰退する中で、早く北陸新幹線を米原駅で東海道新幹線とを接続させるべきだ」と言う。

JR西日本の運行情報より筆者作成。
JR西日本の運行情報より筆者作成。

敦賀駅の不便さに加えて湖西線の問題も

 敦賀駅の不便さに加えて、建設に時間のかかる小浜ルートよりも、米原ルートを再評価する声が強まっている理由の一つが、湖西線の問題である。

 湖西線は、琵琶湖の西岸、比叡山や比良山の麓を高架線で走り抜けるため、強風の影響を受けることが問題だった。強風によって湖西線が運行できない場合には、特急サンダーバードは東海道線を利用し、米原駅を経由して北陸本線に入る。この場合、湖西線経由よりも40分から1時間程度遅延することになる。

 これまでも特に冬場に運休や遅延が起き、問題となってきたが、表は2024年3月の湖西線の遅延情報だ。実に4日に一回は、強風で運休や大幅な遅延が起きている。JR西日本の遅延情報によれば、4月に入っても、ほぼ毎日、20分以上の遅延が起きている。(参考:JR西日本運行情報・北陸線・琵琶湖線(近江塩津~長浜・長浜~京都)

 石川県のあるホテル経営者は、「ここまで運休や遅れが多いと、観光客誘致にもマイナスだ。冬のオフシーズンだけではなく、春の行楽シーズンもこれでは」と言う。

 これまでも問題となっていたことであるが、今回、敦賀駅で新幹線への乗り換えが必要になったことで、以前よりもこの強風による遅延問題が顕在化している。

新潟駅に到着した在来線特急「いなほ」から新幹線への乗り換えは、同じホームできる。(画像・筆者撮影)
新潟駅に到着した在来線特急「いなほ」から新幹線への乗り換えは、同じホームできる。(画像・筆者撮影)

米原ルートを再検討するべきではないか

 東京・名古屋間のリニア開業は、2027年以降と延期され、2030年代になるとされている。名古屋・大阪間に関しては、現在のところ見込みも立っていない。東海道新幹線の老朽化や大規模災害への備えとして、首都圏と中部圏、近畿圏との第二の路線の重要性は、かつてから指摘されてきたことだ。

 こうした中で、敦賀駅から米原駅への新幹線ルートの建設は、経済効果、災害対策の両面から考えても、現実的な策であろう。北陸新幹線の敦賀駅延伸開業によって、様々な問題が明確化してきていると言える。

 敦賀駅から米原駅までは、直線距離では約40キロだ。東海道新幹線に余力がなく、米原駅からの乗り入れ困難であるならば、リニア開業までは米原駅乗り換えで運行すればよい。長浜駅・敦賀駅間をトンネルで直線化すれば、大幅な時間短縮であり、ほぼ直線が続く米原駅・長浜駅間は、在来線を高速化、広軌化するミニ新幹線での開業といった方法も検討すべきではないだろうか。否定から入らず、様々な手法を、もう一度、検討しなおすことが重要だろう。

 整備新幹線が定められた整備計画が策定されたのは、1973年だ。さらに、リニア新幹線の計画も大きく変化している。我が国の人口減少の状況や経済の衰退も深刻になりつつなる中で、迅速にかつ経済的にインフラ整備を行っていくべき時期だ。

神戸国際大学経済学部教授

1964年生まれ。上智大学を卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、山形県川西町総合計画アドバイザー、山形県地域コミュニティ支援アドバイザー、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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