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聖徳太子の墓の記録は無いとする宮内庁 法律で記録が義務付けられているのだが

立岩陽一郎InFact編集長
大阪府太子町にある聖徳太子廟(撮影:立岩陽一郎)

天皇皇后、皇族が埋葬されている陵墓の記録は法律で整理して残すことが義務付けられているが、一部について宮内庁は「不存在」としている。その中には聖徳太子の墓の記録も含まれていた。では、大阪府太子町にある聖徳太子廟は宮内庁の中でどの様な扱いになっているのだろうか?卑弥呼伝説の場となった箸墓古墳も記録が無い。それはなぜなのか?その議論が大阪地方裁判所で始まった。(文、写真:立岩陽一郎)

宮内庁が管理する聖徳太子廟

大阪の南部にある太子町。人口1万3000人余りの小さな町だが、その町民が誇りに思っている場所がある。聖徳太子の墓だ。それは叡福寺という歴史ある寺の奥にある。

叡福寺の境内 奥に見えるのが聖徳太子廟
叡福寺の境内 奥に見えるのが聖徳太子廟

行ってみると、玉砂利の敷き詰められた境内の奥に廟はあった。さほど歴史に詳しくない私でも、感動を覚える。聖徳太子廟と書かれている。それは母の間人大后(はしひとのおおきさき)の廟に、聖徳太子の意向で妃の大郎女(おおいらつめ)とともに埋葬されたのだと伝えられている。

周囲は柵で囲まれ、宮内庁の立て看板が立っている。看板には、「みだりに域内に立ち入らぬこと、魚鳥等をとらぬこと、竹木等を切らぬこと」と書かれている。柵には菊の御紋も掲げられており、宮内庁の管理であることを訪れた人に印象付けるものとなっている。

聖徳太子廟
聖徳太子廟

叡福寺に尋ねると次のように話した。

「叡福寺は聖徳太子のお墓を守っていますが、お墓の管理は宮内庁です」

週に一度は宮内庁の担当者が視察に来て、墓の状況を見ているという。

聖徳太子廟 
聖徳太子廟 

勿論、その特別とも言える扱いは理解できる。聖徳太子は「皇族」の中でも別格だ。用明天皇の子として生まれ、女帝、推古天皇の摂政として活躍した話は多くの人に知られている。仏教を含め大陸の進んだ文化を積極的に取り入れた他、冠位十二階を布告し十七条憲法を制定するなど、この国の礎を作ったとする話は誰でも一度は教わった記憶が有るだろう。その真偽は今となっては定かではないが、その神話性を含めて、日本史最大のスーパースターと言って良い。

そのスーパースターの墓が、実は宮内庁には記録が残されていない可能性が高まっている。つまり、この太子町にある聖徳太子の墓は、宮内庁の記録としては、正式に墓になっていないということだ。

皇室典範27条には、「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬るところを陵、その他の皇族を葬る所を墓とし、陵及び墓に関する事項は、これを陵籍及び墓籍に登録する」と定められている。つまり、法律で記録を残すことが義務付けられている。

大阪地裁で始まった裁判

このため、陵墓の記録の開示を大阪の弁護士で古墳マニアでもある徳井義幸氏が求めたところ、宮内庁は天皇・皇后などの陵籍については初代の神武天皇から昭和天皇まで開示した。ところが、「その他の皇族」については、神武天皇から51代の平城天皇までに関わる墓籍、つまり「その他の皇族」の墓の記録を不開示とした。そして、その理由を、「不存在(作成又は取得していないため)」とした。この話は既にYahoo!ニュース個人で書いている。

2019年12月16日掲載の記事

原告の徳井義幸氏
原告の徳井義幸氏

このため、この徳井氏が不開示決定の取り消しを求めて大阪地方裁判所に訴えた(2019年12月16日)ことも上記の記事で報じている。

その第一回目の口頭弁論が2020年2月6日に開かれたのだが、被告の宮内庁は、訴えを棄却するよう求めたものの、「追って、準備書面において明らかにする」としか答えなかった。つまり、「不存在」と言っただけで、その詳細については何も明らかにしなかったのだ。

これについて原告の徳井氏は、「宮内庁の言う『不存在』が本当だとしたら、箸墓古墳の様な古墳マニアにとって重要な場所や、聖徳太子の墓といった誰もが知っている場所が、実は宮内庁の認めたものではないということになる。しかし実際には宮内庁が管理しており、専門家のまとめた資料などを読むと記録が残されているようにしか思えない。不思議な話だ」と首をかしげる。

開示された陵籍

ここで、開示された天皇陵の陵籍についてみてみたい。聖徳太子の父にあたる用明天皇の記録だ。

用明天皇の陵籍
用明天皇の陵籍

登録事項として、用明天皇の陵であること、その所在地、その陵の名称、崩御の年月日、埋葬された年月日、陵の形、面積、設置された構造物などが書かれている。面白いのは、空白もある点だ。用明天皇の陵については設営の年月日は記されていない。記録が無いということだろう。

つまり、わからない点は空白にして陵墓籍を作ることは可能だということだ。残された記録からわかっていることを書き込めば記録として残すことは可能だ。そこが徳井氏の、合点のいかない点でもある。

それにしても、仮に、聖徳太子の墓が宮内庁に記録として残されていないとしたら、太子町の人々はショックだろう。太子町の町名は勿論、聖徳太子に因んだものだ。

太子町のウェブサイトには次の様に書かれている。

「聖徳太子は、推古天皇の摂政となり、十七条憲法や冠位十二階の制定や遣隋使の派遣などによる大陸外交の推進によって、多くの大陸の制度や文化を積極的に取り入れた人物として、歴史上、もっともよく知られている人物の一人です。太子町では、この聖徳太子の「和を以って貴しと為す」をモットーにまちづくりを推進しています」

「和を以て貴しと為す」は、十七条憲法の第一条にある「和を以て貴しとし、さからうことなきを宗とせよ」のことだ。願わくば、裁判の結果、「和を以て」となることを期待したい。

次回の口頭弁論は5月7日に開かれる。原告だけでなく太子町の人々は勿論、多くの人が納得するような答弁を宮内庁が行うのか。注目したい。

InFact編集長

InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。

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