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感染症の流行下でも、安全で安心な出産を

谷口博子東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学 博士(保健学)
ロックダウン下のスペインで、早朝、夫の運転する車で来院した出産間近の妊婦(4月)(写真:ロイター/アフロ)

5月に起きたアフガニスタン・カブールでのダシュ・バルチ国立病院の産科病棟襲撃について、病棟の閉鎖はしないとしていた国境なき医師団が先週、院内の母子やスタッフを守り切れないとして、活動を終了すると発表した。同団体にとって世界最大級の産科プロジェクトの終了により、100万人が医療の機会を失うことが懸念されている

平時でも緊急時においても、母子の命をいかに守るか

日本国内では、4月7日に発令された新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の緊急事態宣言に前後して、帰省分娩(里帰り出産)を予定していた妊婦さんが帰省できなくなったという報道が相次いだ。特に、帰省を間近に控えていた妊婦さんからは不安や戸惑いの声も多く上がった。

5月25日に緊急事態宣言は全面解除されたが、日本産婦人科学会と日本産婦人科医会は翌26日連名で声明を発表し、現時点でも長距離移動は感染リスクが高いと考えられることから、今後も可能な限り帰省分娩を控えるよう、やむを得ない場合には担当医や分娩医療機関と十分相談するよう、助言を行っている。

5月末に発表されたイギリス国内の妊産婦と新生児に関する新型コロナの論文(1)によると、感染・入院した妊産婦が重篤になる症例は極めて少ない新型コロナの母子感染は完全には否定されないものの、こちらも極めてまれとも報告された。他方、入院した妊産婦の半数以上が黒人やアジア人で、比率で見ると、黒人は白人の約8倍、中国を除くアジア人は白人の約4倍にのぼり、この傾向は黒人やアジア人の割合が高い都市部を除いた分析でも同じ結果だった。入院した妊産婦の健康状態では、69%が肥満、34%が合併症を患っていた。

ある論説(2)は、イギリスのみならず米国の研究でも感染率や症状の程度に民族による差異が見られること、理由として社会的行動や健康に関する行動、合併症の有無や遺伝的な影響が考えられることを指摘している。黒人と白人の新型コロナ入院患者の差異について調査した米国の研究(3)も、黒人は相対的に高い死亡率を示しているものの、個々の健康状態を見ていくと、黒人であること自体は高い死亡率とは関係がないとしている。

先のイギリスの研究チームは、国内の結果について更なる調査が必要としながらも、妊産婦か否かや民族の差異ではなく、社会的にぜい弱な層が、より高い感染や重篤化のリスクにさらされている可能性があると警鐘を鳴らしている。

授乳も、ケアを求めることも、あきらめないで

出産後の授乳に関してはまだ不明な点が多い中、世界保健機関(WHO)は赤ちゃんの免疫力を高めるなど授乳がもたらす効能は大きいとして、授乳を行うよう推奨している。その上で、手洗いなどの衛生管理や、息切れがするなどの場合はマスクを付けることなど、一般的な対策の徹底を促している。

今月10日に行われたオンラインセミナー*「人道的緊急事態下での新型コロナと母子保健」では、バングラデシュのキャンプに身を寄せるロヒンギャ難民についての報告があった。新型コロナへの不安は、当然難民の間にも広がり、もともと必要な妊産婦ケアを受けにくい女性たちが、感染を恐れて、ケアの機会を控える動きが出ているという。また、性暴力被害など望まない妊娠のリスクがあっても、感染の不安からそのまま放置してしまうケースもあるという。安全な妊娠・出産が当たり前ではない中、援助スタッフはケアをためらわず受けるよう広報を行っているとのことだった。

*READY Initiative, the London School of Hygiene & Tropical Medicine, the Geneva Centre for Education and Research in Humanitarian Action, the Center for Humanitarian Health at Johns Hopkins University 共催

世界各地で医療の機会を維持するための模索が続く中、今回のセミナーでは、ケニアで成功している妊産婦支援の事例も紹介された。首都ナイロビでは、ロックダウン下での夜間外出禁止を受けて、行政と民間団体が協力し、妊産婦向けに医師への無料電話相談と、夜間の病院への無料搬送サービス(WheelsForLife:命のクルマ)を提供し、妊産婦に好評を博している。

このポスターはWheelsForLife関係機関がウェブサイトやSNSで配信しているもの。
このポスターはWheelsForLife関係機関がウェブサイトやSNSで配信しているもの。

このオンラインセミナー「新型コロナと人道上の緊急事態:知識と経験の共有」シリーズは、毎週水曜日、日本時間の21時から1時間、毎回テーマを設定して開催され、国際機関・NGOなどのスタッフや研究者ら3名が活動や課題を報告する。4月から始まり6月頭で終了の予定だったが、感染拡大が続く中、現在も継続されている。母子保健の翌週17日は非感染性疾患(糖尿病、高血圧症など)がテーマだった。

新型コロナの大流行は新型コロナ以外の医療やケアにも、多大な影響を及ぼしている。日常の医療やケアをどう守るか、もともと日常のケアが厳しい国や地域で、いかに悪化を防ぎ、同時に感染症対策も行っていくか。毎回1時間のセッションの間に絶え間なく投稿される参加者からの質問は、現場での試行錯誤や、ノウハウを求める切実さ、情報共有の大切さを伝えている。

1. Knight M, Bunch K, Vousden N, et al. Characteristics and outcomes of pregnant women admitted to hospital with confirmed SARS-CoV-2 infection in UK: national population based cohort study. BMJ 2020; 369: m2107.DOI: http://dx.doi.org/10.1136 bmj.m2107

2. Khunti K, Singh AK, Pareek M, Hanif W. Is ethnicity linked to incidence or outcomes of covid-19? BMJ 2020; 369: m1548.DOI: https://doi.org/10.1136/bmj.m1548

3. Price-Haywood EG, Burton J, Fort D, Seoane L. Hospitalization and Mortality among Black Patients and White Patients with Covid-19. New England Journal of Medicine 2020.DOI: 10.1056/NEJMsa2011686

東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学 博士(保健学)

医療人道援助、国際保健政策、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ。広島大学文学部卒、東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻で修士・博士号(保健学)取得。同大学院国際保健政策学教室・客員研究員。㈱ベネッセコーポレーション、メディア・コンサルタントを経て、2018年まで特定非営利活動法人国境なき医師団(MSF)日本、広報マネージャー・編集長。担当書籍に、『妹は3歳、村にお医者さんがいてくれたなら。』(MSF日本著/合同出版)、『「国境なき医師団」を見に行く』(いとうせいこう著/講談社)、『みんながヒーロー: 新がたコロナウイルスなんかにまけないぞ!』(機関間常設委員会レファレンス・グループ)など。

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