Yahoo!ニュース

「研究とアクションをつなぐ」 ―― 紛争地の母子保健対策改善に向けた学術連携

谷口博子東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学 博士(保健学)
エチオピア、ティグレ州で続く紛争で避難所となった学校に身を寄せる母親と子ども。(写真:ロイター/アフロ)

前回、5月に発表された報告書『Ineffective Past, Uncertain Future (非力な過去と不確実な未来)』[1]を紹介して、医療に対する暴力の激化と、それがもたらす医療アクセスへの影響をお伝えした。医学界でもこうした紛争や暴力の影響を科学的に実証し、政策者や援助機関に検討材料の提供や働きかけを行おうとしている。

紛争地の母子保健に特化した学術連携

その一例が「BRANCH*コンソーシアム」という学術連携で、「研究とアクションをつなぐ」と題して、紛争地における女性と子どもの健康と栄養に関して効果的な対策を行っていくためのエビデンス及びガイダンスを改善することを目指し、研究を進めている。

*Bridging Research & Action in Conflict Settings for the Health of Women & Children 

BRANCHコンソーシアムは米国と英国の大学を中心とした運営委員会が軸となり、援助機関や紛争地の研究者も参加して情報の収集・分析を行い、それを国際機関や財団、医学誌が資金面や研究発表の場の提供といった形で支援している。医学誌は『LANCET』、『BMJ』、『BMC CONFLICT AND HEALTH』がシリーズを組み、現在までに28本が投稿されている。

研究対象国は、コンソーシアムの基準に沿って選定された、アフガニスタン、パキスタン、シリア、イエメン、コンゴ民主共和国、マリ、ナイジェリア、ソマリア、南スーダン、コロンビアの10カ国。研究は国別のものもあれば、複数国をまたいだ研究もある。

複数の研究手法、データを用いて分析

国別研究では、多くの場合、定量調査と定性調査の組み合わせから成り、定量調査では、紛争被害の規模、医療施設の稼働・設備状況、母子保健のサービス・カバレッジ(サービスが受けられること)を年ごとに追い、紛争の有無や規模の大小で、保健サービス・カバレッジや医療施設の機能がどのように影響を受けているかを見ている。

紛争の影響は、例えばスウェーデン・ウプサラ大学データベース「ウプサラ・紛争データプログラム(the Uppsala Conflict Data Program:UCDP)」から、攻撃の日にちや場所、攻撃の種類、死者数などのデータが利用されている。また、母子保健のサービス・カバレッジは、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の指標でもある、出産前ケアや医療施設での出産、子どもの予防接種や病気の治療などが指標として用いられている。

一方、定性調査は、保健サービス提供の仕組みや財政、優先順位付け、モニタリングと評価などについて、各国保健省や国際機関、NGO、支援国などの担当者に聞き取りを行う。

紛争地ゆえにデータが存在しない場合も

紛争が続く国では、定量調査自体が行えない国(データがない国)もあり、紛争による攻撃や医療施設の状況を、定性調査によって情報収集している場合もある。

2020年5月に発表されたパキスタンに関する研究[2]では、紛争地域であるバロチスタン州と連邦直轄部族地域(FATA)を対象としているが、後者については定量調査に耐えうるデータが得られていない。バロチスタン州については、紛争が激しい年は、いくつかの指標:家族計画のための避妊具の使用や医療施設での出産、熟練者による分娩介助、子どものBCGワクチンの接種及び急性呼吸器感染症の治療が、深刻な影響を受けていることがわかった。他方、こうした年は、紛争が小規模な年と比べ、5ヵ月までの乳児に母乳だけをあげている率が高いことが確認された。

また、聞き取りからは、行政内での連携不足、モニタリングやデータ管理のぜい弱性、保健人材の不足(特に女性)、心理ケアや慢性疾患への対応の遅れなどが確認された。

こうした研究結果をもとに、論文では、国や支援国、支援組織に対して、サーベイランス・システムを活用した国・地方行政間のコーディネーションや官民連携の強化、都市部・へき地に関わらず保健人材を育成するための政策の必要性、医療施設で標準的な手順が遵守される仕組みの構築などを提言している。

実態把握から政策・戦略提言、アクションへ

国・地域・年によって科学的データの有無に課題はあるが、紛争によって、どれだけの保健サービスやその機会が失われているか、こうした影響を明らかにしていくことは、実態把握への第一歩となる。また、BRANCHコンソーシアムに限らず、こうした研究が入手できる限りの信頼できるデータを用いて、取るべき保健政策や戦略、その優先順位を明らかにしていくことは、喫緊の保健医療ニーズへの対応に向けても、その後の国の保健サービスの回復に向けても、重要な材料となる。各国や援助機関がどのようにこれらの材料を生かし、保健サービス・カバレッジにどのような効果が生まれたか、注視していきたい。

[1] Insecurity Insight. Ineffective Past, Uncertain Future. The UN Security Council’s Resolution on the Protection of Health Care: A Five-year Review of Ongoing Violence and Inaction to Stop It. Geneva, Switzerland: Insecurity Insight; 2021.

*内容の責任は著者らにあり、政府や所属機関の立場を代表するものではない。

*報告書書名やサイト名は、本稿筆者の仮訳。

[2] Das, J.K., Padhani, Z.A., Jabeen, S. et al. Impact of conflict on maternal and child health service delivery – how and how not: a country case study of conflict affected areas of Pakistan. Confl Health 14, 32 (2020). https://doi.org/10.1186/s13031-020-00271-3

東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学 博士(保健学)

医療人道援助、国際保健政策、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ。広島大学文学部卒、東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻で修士・博士号(保健学)取得。同大学院国際保健政策学教室・客員研究員。㈱ベネッセコーポレーション、メディア・コンサルタントを経て、2018年まで特定非営利活動法人国境なき医師団(MSF)日本、広報マネージャー・編集長。担当書籍に、『妹は3歳、村にお医者さんがいてくれたなら。』(MSF日本著/合同出版)、『「国境なき医師団」を見に行く』(いとうせいこう著/講談社)、『みんながヒーロー: 新がたコロナウイルスなんかにまけないぞ!』(機関間常設委員会レファレンス・グループ)など。

谷口博子の最近の記事