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紛争下の医療従事者及び医療施設の保護に関する決議第2286号採択から5年

谷口博子東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学 博士(保健学)
空爆を受けた家屋と診療所の前で立ち尽くす人々(2018年1月イエメン・サアダ)(写真:ロイター/アフロ)

1年前の5月12日、アフガニスタンの首都カブールで、国境なき医師団(MSF)が運営していたダシュ・バルチ産科病棟が何者かに襲撃を受け、16人の母親、2人の子ども、そして医療従事者を含む7人の命が奪われた。当時病棟にいたスタッフは、なぜ母親たちが分娩台の上で、なぜ出産間近の赤ちゃんたちがおなかの中で亡くならなくてはならなかったのかと、当時を振り返る。事件後、MSFは安全が確保できないとしてこの活動を終了し、地域に住む100万人あまりが、今も医療へのアクセスに影響を受けたままだ。

非力な過去と不確実な未来

今月発表された報告書『Ineffective Past, Uncertain Future (非力な過去と不確実な未来)』(Insecurity Insight発行)[1] によれば、2016年1月から2020年12月の5年間で、約1000の医療施設が攻撃により破壊や損傷を受け、約700人の医療従事者が死亡、400人以上が誘拐され、1500人が負傷した。2020年には、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の世界的流行下で、インドやメキシコなど戦争をしていない国も含め、医療に対する暴力が増加している。

本報告書は、日本政府も起案に加わり、2016年5月3日に国連安全保障理事会で全会一致で採択された、紛争下の医療従事者及び医療施設の保護に関する決議第2286号から5年になるのを受けて発表された。イギリス政府、スイス政府の資金援助を受けて、マンチェスター大学、ジョンズ・ホプキンス大学などの研究者、医師・看護師・医学生などが情報収集、分析、報告書作成に参加している。

この調査・分析の対象となっている暴力は、以下のとおり。紛争下にない国も含まれる。

- 病院や診療所への空爆や砲撃

- 医療従事者の拉致・殺害

- 医療施設や車両の損害、破壊、略奪

- 医療を必要としている人が医療にアクセスできないような行為

- 緊急医療対応者、ワクチン接種者などへの暴力的な妨害

- 医療従事者の逮捕

報告件数は5年間で4094件にのぼるが、こうした報告が制限されている国も多く、この数字は実際よりも、かなり少ないと見られている。

世界各地で新型コロナに関連する医療への暴力

Insecurity Insightのウェブサイト「Attacked and Threatened: Health Care at Risk(攻撃、脅威:危機にさらされる医療)」では、これらすべての暴力、また「紛争」「新型コロナ」「エボラ」「政治」「予防接種」などの背景別に、発生地(国)、暴力の種類・件数、報告に基づく加害者などが地図上で確認できる。また、新型コロナについては、暴力の動機、例えば「病院や治療に使う施設に反対して」「医療行為に反対して」などの区分もある。地図を見ると、新型コロナに関連する暴力が、先に述べたインドやメキシコだけでなく、世界各地で起きていることがわかる。この地図は、現在も更新が続いている。

「Attacked and Threatened: Health Care at Risk」(Insecurity Insight)
「Attacked and Threatened: Health Care at Risk」(Insecurity Insight)

アフガニスタンのダシュ・バルチの例に限らず、こうした暴力は医療施設・設備の破壊、スタッフや患者さんの死やケガをもたらすだけでなく、医療サービスの大幅な減少や停止にもつながる。事件そのものも、慢性疾患の治療や出産に関わるケアなどが受けられなくなる状況も、地域の人々に、肉体的、精神的、経済的に重くのしかかる。

紹介した報告書は、過去に採択された安保理決議2286が非力なまま、世界が不確実な未来に向き合っていると警告する。国際社会のいっそうの努力が問われている。

1.傷病者、医療要員と医療の職務に専ら従事している人道要員、彼らの移動手段や装備、並びに病院やその他の医療施設に対する暴力行為、攻撃および脅威を強く非難し、そして関係する諸国の一般住民と健康管理制度に対するそのような攻撃の長期の結果に憂慮する。

4.国家および武力紛争の全ての当事者に対し、適切な場合には、自らの関連する国際的な法的義務、医療要員と医療の職務に専ら従事している人道要員、彼らの移動手段および医療施設に対する障害、脅威と物理的攻撃に関するデータの収集に対する尊重を確保する国内の法的枠組の策定を通したものを含めて、武力紛争における医療要員と医療の職務に専ら従事している人道要員、彼らの移動手段と装備、並びに病院とその他の医療施設に対する暴力行為、攻撃および脅威を予防しそして対処する効果的な措置を策定することを、そしてこれに関連した課題と良い実践を共有することを強く促す。

国際連合広報センター公式サイト「安全保障理事会 2286(2016)」より一部引用

[1] Insecurity Insight. Ineffective Past, Uncertain Future. The UN Security Council’s Resolution on the Protection of Health Care: A Five-year Review of Ongoing Violence and Inaction to Stop It. Geneva, Switzerland: Insecurity Insight; 2021.

*内容の責任は著者らにあり、政府や所属機関の立場を代表するものではない。

*報告書書名やサイト名は、本稿筆者の仮訳。

東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学 博士(保健学)

医療人道援助、国際保健政策、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ。広島大学文学部卒、東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻で修士・博士号(保健学)取得。同大学院国際保健政策学教室・客員研究員。㈱ベネッセコーポレーション、メディア・コンサルタントを経て、2018年まで特定非営利活動法人国境なき医師団(MSF)日本、広報マネージャー・編集長。担当書籍に、『妹は3歳、村にお医者さんがいてくれたなら。』(MSF日本著/合同出版)、『「国境なき医師団」を見に行く』(いとうせいこう著/講談社)、『みんながヒーロー: 新がたコロナウイルスなんかにまけないぞ!』(機関間常設委員会レファレンス・グループ)など。

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