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キッシンジャーとブレジンスキーの世界観そして米国の凋落

田中良紹ジャーナリスト

 米国の大統領補佐官や国務務長官として世界史に大きな足跡を残したヘンリー・キシンジャー博士が亡くなった。100歳だった。現在の米国は、欧州でのウクライナ戦争と中東でのイスラエルとハマスの衝突によって力の衰えをまざまざと感じさせる。博士にはもう少し生きて米国の取るべき外交指針を示してもらいたかった。

 第二次世界大戦後の米国は、圧倒的な経済力と軍事力を背景に「パックス・アメリカーナ」と呼ばれる国際秩序を創り出した。しかし1970年代にベトナム戦争の泥沼にはまり、そこから抜け出るためニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官は秘密交渉で共産中国と電撃的和解を果たし、ソ連ともデタント(緊張緩和)によって米国主導の世界平和を創り出そうとした。

 しかしニクソンは「ウォーターゲート事件」で失脚し、1977年には共和党に代わり人権外交を掲げる民主党のカーター大統領が誕生した。その大統領補佐官となったズビグニュー・ブレジンスキーはキッシンジャーとは対照的な世界観を持つ強烈な反ソ思想の持主である。その世界観が現在のウクライナ戦争に影を落としている。

 この米国を代表する戦略家キッシンジャーとブレジンスキーの世界観の対比を読み解けば、現在のバイデン大統領対トランプ前大統領の対立の構図と、中東における共和党と民主党の違いも明らかとなる。そこでキッシンジャーとブレジンスキーの世界観を読み解き現下の世界情勢を探ってみたい。 

 キッシンジャーは1923年にユダヤ系ドイツ人の家庭に生まれ、1933年にナチスが政権を握ったことで一家は米国に移住した。第二次大戦がはじまると、大学で学んでいたキッシンジャーは陸軍に志願、諜報部隊の軍曹としてOSS(後のCIA)に配属された。

 戦後はハーバード大学で外交史を研究し、国際秩序を維持するには力の均衡が必要であることを主張し始める。イデオロギーや正義を主張するより現実を重視し、力の均衡を図ることが世界を安定させるという世界観である。

 1968年に共和党のニクソン政権が誕生すると、ニクソンは安全保障問題担当大統領補佐官にキシンジャーを指名した。当時の米国は民主党政権が拡大させたベトナム戦争に苦しみ、軍事費の負担増大による財政悪化のため金(きん)の流出が止まらず、金とドルとの交換ができなくなっていた。

 その危機をキッシンジャーは従来の官僚機構を使わず、ニクソンと二人だけで秘密裏に解決する道を選ぶ。それが「ニクソン・ショック」と呼ばれる金とドルとの交換停止、そして秘密交渉による電撃的な共産中国との和解だった。1972年にニクソンは中国を訪問して毛沢東国家主席と会談を行い、戦後の冷戦体制に転機をもたらした。

 頭越しに共産中国との和解を見せつけられた日本は大混乱に陥り、ニクソン訪中直後に誕生した田中角栄政権は日中国交正常化に向かう。しかも台湾との関係をいち早く打ち切ることで米国より先に国交正常化を成し遂げた。これがキッシンジャーの怒りを買ったという噂がある。

 キッシンジャーは中ソの対立関係を見逃さず、中国と米国の関係正常化を北ベトナムに見せつけることで、ベトナム戦争終結の交渉を引き出した。その一方でソ連とも戦略兵器制限交渉を行い、デタント(緊張緩和)を実現することでキッシンジャー外交は力の均衡を果たした。

 1973年に第四次中東戦争が勃発し、石油危機が世界を襲うと、キッシンジャーはイスラエル寄りの姿勢を強め、同時にサウジアラビアとの交渉で石油の決済代金をすべてドルで行う「ペトロダラー体制」を確立することに成功した。ここでもキッシンジャーはイスラエルとアラブの両側に働きかけを行った。

 金との交換を停止されたドルは一時力を失ったが、石油決裁に必ず使われることになったため世界の基軸通貨に返り咲いた。世界中の国がドルを必要とするため、ドルの需要は絶えず、強い通貨となったドルを使えば世界中から安く品物が手に入る。そして米国はドルを印刷するだけでただで石油を手に入れることができた。

 キッシンジャー外交はベトナム戦争を終わらせ、さらに米国経済を潤して「パックス・アメリカーナ」を再興させた。この時、イスラエル支援を訴えたキッシンジャーに対し、中東の石油に全面的に頼る日本の田中角栄政権は、アラブ寄りになる決断をして、キッシンジャーを怒らせたという噂がある。

 それらの噂に尾ひれがついて、ロッキード事件で田中を逮捕させたのは米国のキッシンジャーというまことしやかな「嘘」になり、それを信ずる日本人は今でも少なくない。しかし私はロッキード事件で東京地検特捜部を取材し、その後政治記者となって田中角栄元総理に密着取材した特異な経験を持つ。

 キッシンジャーは田中逮捕後に目白の田中邸を3度訪れたが、いずれも日本の政局を直接取材するのが目的だった。つまりキッシンジャーは当時の中曽根康弘総理に実は権力がなく、日本政治を牛耳っていたのは田中であることを知っていたから3度も田中邸を訪れた。

 そこで二人はアラスカ産石油を船で北海道に運び、北海道を石油精製基地にする構想を話し合った。付け加えればキッシンジャーはロッキード事件をウォーターゲート事件と同様に「やってはならなかった事件」と厳しく批判している。

 ロッキード事件の真相は日本国内の権力闘争である。ロッキード社の秘密資金を受け取ったホンボシは、兵器の国産化を主張していた中曽根康弘だった。ロッキード社は児玉誉士夫を通じて中曽根に国産化をやめさせ、対潜哨戒機P3Cを日本政府に大量に買わせることに成功した。

 事件発覚当時の中曽根は三木政権を支える自民党幹事長だったから、三木総理としてはなんとしても中曽根逮捕を許すわけにはいかなかった。また自民党幹事長が逮捕されれば政権交代が必至となるが、社会党には政権を担う気も能力もなかった。

 そこで仕組まれたのが三木総理の天敵だった田中逮捕のシナリオだ。全日空にトライスター購入を働きかけた容疑で田中は逮捕され、見返りに全日空は国際路線に乗り出すことを許された。税金でP3Cを大量購入した話はどこかに消えた。

 田中は無実を主張したが、日本のマスコミはその真相を突き止めることができない。東京地検特捜部の言うままになり、日本人は田中の金権体質が引き起こした事件だと思わされている。日本中が田中批判の大合唱に沸いたが、そういう日本人をキッシンジャーは馬鹿にしていた。

 キッシンジャーは中国の周恩来首相との会談で「米国と中国には戦略的思考があるが、日本にはそれがない」と語り、日本人が憲法9条を守り日米安保条約で米国と同盟関係を結んでいることを「ビンの蓋」と表現した。

 つまり米国には日本と結託して中国を攻撃する気はなく、日本に憲法9条と日米安保体制を守らせているのは、日本が自立して軍事大国化するのを抑えるための「ビンの蓋」だと言ったのである。

 リアリズムの目で憲法9条と日米安保体制を見れば、米国の目的が日本防衛より日本を自立させないところにあると考えるのは当然のことだ。ところが日本人はリアルな目で自分自身を見ることができない。情緒の眼鏡をかけて自分を見ているからキッシンジャーは日本人を馬鹿にする。

 キッシンジャーがリアリズム外交に徹し、国際秩序を安定させるためなら敵とも手を組む柔軟な戦略家であるのに対し、米民主党の戦略家として歴代民主党政権に影響力を及ぼしてきたブレジンスキーは全く対照的な存在である。

 いや日本人を馬鹿にしているところだけは共通する。ブレジンスキーは日本を「ひよわな花」と表現したが、その意味するところは今のままを続けて行けばいつまでも自立できない国家になるという意味だ。

 そのブレジンスキーはキッシンジャーより5年遅れの1928年、ポーランドの貴族の家に生まれた。父親は外交官でブレジンスキーは小さい頃から父親についてドイツではヒトラーの台頭を目撃し、ソ連ではスターリンの粛清劇を見た。一家は1938年にカナダに移り、その後米国に定住することになった。

 祖国ポーランドがヒトラーに侵略され、その後スターリンの支配下に置かれたことからブレジンスキーの心にあるのはソ連に対する憎悪だ。ハーバード大学に学び、コロンビア大学で教授になるが、1976年の大統領選挙で民主党のカーター候補が勝利すると、政権誕生時から安全保障問題担当大統領補佐官に指名された。

 ブレジンスキーは日本人を馬鹿にするところだけはキッシンジャーと共通すると書いたが、もう一つだけキッシンジャーとの共通点がある。それは共産中国を評価していることだ。米国の民主、共和両党を代表する戦略家がいずれも中国を評価し日本を馬鹿にしていることを日本人は忘れるべきではない。

 ブレジンスキーがカーター政権時代に大統領補佐官としてやったことの最大功績は、ソ連と同盟関係を結んでいたアフガニスタン政府を打倒するため、ムジャヒディーンと呼ばれるイスラム戦士をCIAが訓練して反乱を起こさせ、軍事支援のために出兵したソ連軍を長期に足止めさせたことである。それがゴルバチョフ書記長による政治改革の端緒となり、ソ連は崩壊することになった。

 ブレジンスキーの策略によって冷戦体制は終止符を打ち、米国が唯一の超大国として世界に君臨することになった。当時、ワシントンに事務所を持って米国政治を取材していた私にも期待感が膨らむ毎日だった。しかし間もなく私の期待は失望に変わった。

 ロシアは米国との戦争に敗れたわけではない。自らの体制を変えて新しい時代を迎えようとしていただけなのに、米国は冷戦終結を民主主義の勝利と捉え、ネオコン(新保守主義)の代表的イデオローグであるフランシス・フクヤマは『歴史の終わり』を書き、米国は世界の警察官として軍事力を使って世界を米国型民主主義で統一しようとし始めた。

 その先兵となったのがクリントン大統領である。クリントンは当初は日本経済に注目し、中でも国民皆保険制度を真似しようとした。ところが米国民は日本人と異なり福祉に税金を使うことを認めない。中間選挙でクリントンの民主党は惨敗し、2年後の大統領選挙も危うくなった。

 その時アドバイスをしたのがブレジンスキーだ。米国は核戦争につながる第三次世界大戦を避けるため、「NATOの東方拡大」を認めない外交方針を守ってきたが、ブレジンスキーはそれを変えさせ、ポーランド移民の2千万票を獲得するため、ポーランドのNATO加盟をクリントン政権に打ち出させた。

 クリントン政権の次のブッシュ(子)政権は、ネオコンに取り囲まれ、米国の民主主義を世界に広める使命感に満ち溢れていた。そこに9・11同時多発テロが起き、米国は「テロとの戦い」を宣言した。その頃にロシアではプーチン大統領が誕生した。

 プーチンは米国の「テロとの戦い」に協力した。軍や保守派の反対を押し切り、旧ソ連領内に米軍基地を作ることを認め、ロシア自身もNATOに加盟しようとした。NATOの準加盟国となったロシアは、先進国で作るG7にも加盟してG8を構成した。

 ところがロシアを包囲するようにしてNATOの軍事基地が拡大していく。ロシアの安全保障に危機感を抱いたプーチンは2007年、西側世界の安全保障政策に疑問を呈し、08年からは自国の安全保障を優先して考えるようになる。

 そして14年にウクライナで起きたマイダン革命で、米国に後押しされた市民が選挙で選ばれた親ソ派政権を力で打倒した。このやり方はブレジンスキーが親ソ派のアフガニスタン政府を打倒するため、ムジャヒディーンを訓練し、ついにはソ連解体に至らせた手法と似ている。

 プーチンはこれに反撃してクリミア半島を武力制圧しロシアに編入したが、その時から米英の軍事顧問団がウクライナに入り込み、クリミア奪還の訓練を始めた。そしてロシア軍の侵攻より1年前の21年3月にゼレンスキー大統領は軍にクリミア奪還の指令を発し、22年2月のロシア軍による軍事侵攻に至るのである。

 私はそれを大統領選挙に勝つためのバイデンの選挙戦術だと思った。クリントンがブレジンスキーから教えられたように、バイデンもまたブレジンスキーの世界観に従い、世界を敵と味方に分けることで米国民の支持拡大を狙っていると感じた。

 その一方でなぜプーチンは軍事侵攻という国際法を踏みにじる行為を行ったのかを考えた。思い当たるのはキシンジャーが確立した「ペトロダラー体制」を壊すことである。プーチンは経済制裁を受けることでドルに代わる経済圏を作ろうと考えているのではないか。

 「ペトロダラー体制」が崩れても資源豊富な米国は危機的にはならない。しかし日本や欧州など資源に乏しい国は大打撃を受ける。そういう目で見ると、中国、インド、サウジアラビアが猛烈な勢いでロシア産石油を買い始め、ロシアの経済制裁に穴が開く一方、石油決裁のドル離れが起きた。

 そして「グローバル・サウス」と呼ばれる新興国は日米欧ではなく、中露を中心とする世界に接近し始めた。キッシンジャーは昨年のダボス会議で、ウクライナが領土の一部をロシアに渡してでも戦争をやめるべきだと発言した。リアリズムの目から見ればそういうことだ。

 しかしブレジンスキーの流れを汲むバイデン政権にはそれができない。民主主義の正義を主張して突き進むしかない。ウクライナ戦争を次の大統領選挙の目玉にすることができなくなったバイデンは、中東に目を向けてイスラエルとサウジアラビアの国交正常化を画策した。

 それは来年初頭にも実現する見通しだった。ところが10月7日、ハマスのテロがその計画を破壊した。サウジがイスラエルと手を組む可能性はなくなり、バイデンの大統領選挙対策はまたもや失敗した。

 バイデンはイスラエル寄りの姿勢を見せながらも、パレスチナとの2国家共存にこだわる。2国家共存はクリントン政権が実現させたオスロ合意に基づくものだからだ。しかしイスラエルはもはや2国家共存を考えていないように見える。イスラエル国内からのパレスチナ排除を強行しようとしている。

 これをどう解決していくかは相当に難しい。正義やイデオロギーでは解決できない外交術が必要だ。つまり亡くなったキッシンジャーの外交術を復活させることが米国の凋落を押しとどめる。

 私はそれができるのはトランプ前大統領だと考えている。政治の素人と見られているから反発する向きは多いと思うが、1期目のトランプを見ると、米国が主導してきた1極支配をやめ、世界を多極構造にしながら、同盟国にも厳しい姿勢を見せたところは、ベトナム戦争を終わらせた時のニクソンとキッシンジャーのやり方と同じである。

 世界を安定させるには欧州でウクライナ戦争を終わらせ、中東ではイスラエルとイランの歴史的合意を成し遂げることだ。それができるのは米国しかないと思っているが、ブレジンスキーの流れからそれは出てこない。あるとすればキッシンジャーの薫陶を受けたトランプの手によるしかないのではないか。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

「田中良紹のフーテン老人世直し録」

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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