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秦剛外相の解任劇はバイデンの「終わりの始まり」を意味するのではないか

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(708)

文月某日

 6月25日から消息を絶っていた中国の秦剛外相が、1か月後の7月25日に全人代常務委員会から解任され、後任には前の外相で中国の外交問題を統括する王毅政治局委員が就任した。

 昨年12月に習近平国家主席が秦剛氏を駐米大使から外相に抜擢し、異例のスピード出世と言われたが、それは対米関係改善を狙った人事だと見られていた。ところがわずか半年余りで秦剛氏は解任された。

 スピード出世も異例だったが、解任劇はさらに異例である。1か月も消息不明にして世界の注目を集め、その結果が解任だった。しかも解任の理由は明かされないままだ。習近平政権の中で何が起きていたのか。

 SNS上では、香港のテレビ局の女性キャスターとの不倫関係が伝えられた。駐米大使時代にその女性キャスターが司会する番組に出演したことから関係ができ、女性キャスターは仕事を辞め、米国で秦剛氏の子供を出産したという。

 さらにその女性キャスターは米国とのダブルスパイだとも言われ、そのため2人は中国当局から取り調べを受けていたというのである。真偽は分からないが、しかし不倫問題だけで外相という重責を解任されることはあり得ない気がする。

 秦剛氏が何らかの理由で習近平国家主席の怒りを買ったことは確かだろう。しかしその背景には習近平が中国外交を「対米融和」から「対米強硬」に転換させる意志が働いたのではないかとフーテンは思う。だから「対米融和」の象徴である秦剛外相を劇的に解任し、「対米強硬」の王毅外相を復活させた。

 後任となる王毅政治局委員は、外相兼務が決まった25日、南アフリカで開かれたBRICSの会合でプーチン大統領の最側近であるロシアのパトルシェフ安全保障会議書記と会談し、「ロシアとの戦略的な意思疎通をさらに強化したい」と述べ、欧米に対抗して多極化した国際秩序を構築していく考えを明らかにした。

 習近平の考えは、このところの米国要人の北京詣でに対する対応からも見て取れる。5月末から中国には、米国の産業界からイ―ロン・マスク氏やビル・ゲイツ氏、バイデン政権からブリンケン国務長官とイエレン財務長官、そして50年前に米中関係を正常化させた100歳のキッシンジャー元国務長官までもが相次いで訪中した。

 これに対する中国政府の対応が興味深い。イ―ロン・マスク、ビル・ゲイツ、キッシンジャーら民間人は歓迎されたが、対照的にバイデン政権の閣僚たちは尋常でないほど冷遇された。

 特にブリンケンとの会談で習近平は、あからさまに「格下」の席に座らせ、見下す姿勢を世界に公開した。米国務長官の訪中は5年ぶりである。しかも米国は今年中に米中首脳会談を行いたい。その下準備のためブリンケンはこの時期に訪中する必要があった。

 にもかかわらず習近平はブリンケンを冷たく扱い、さらに米中経済の安定化と米国債の購入をお願いしに行った財務長官のイエレンには会おうともしなかった。それでもバイデン政権は「米中関係は前進した」と、成果がなくとも成果を強調して見せた。

 「民主主義対専制主義」を掲げるバイデンは、台湾有事を煽って台湾への軍事支援を強化し、また中国に対する経済的締め付けを行って米国内の対中強硬派に迎合する。しかし一方では軍同士の偶発的な衝突を避けるため、対話チャンネルの再開を望んでいる。

 また米産業界からは米中デカップリング(経済切り離し)に反対の声が上がっていて、バイデン政権の方針に反するようにイ―ロン・マスクやビル・ゲイツが訪中した。産業界の声に応えるためには財務長官のイエレンが訪中する必要もあった。

 ところが軍同士の対話チャンネル再開を実現させようとしたブリンケンは格下の扱いを受け、一方でイ―ロン・マスクやビル・ゲイツは歓迎されながら、イエレンは相手にもされなかった。

 だから秦剛外相解任劇は、習近平政権がバイデン政権との関係改善に見切りをつけたことを劇的に示す狙いがあったと思うのだ。これからバイデン政権は対米強硬派の王毅外相を交渉の窓口にしなければならなくなった。

 しかもウクライナ戦争はバイデンの思い通りに進んでいないとフーテンは見る。ウクライナの反転攻勢は弾薬不足のためらしいが予定より遅れている。そのためバイデンはNATOの中に反対がある非人道的なクラスター爆弾の提供に踏み切った。

 またプーチンがウクライナの穀物輸出合意から離脱したことで、プーチンは国際社会から批判を浴び、ロシアが孤立しているように見えるが、ウクライナの穀物がオデーサから海上ルートで輸出できないことになると、ポーランド、ルーマニアなどウクライナの周辺国は一斉にウクライナ産穀物を輸入させない措置を講じた。自国の農業を守るため安いウクライナの穀物流入を阻止したのである。

 これもNATOの結束を弱める効果を持つ。その反面、ロシアと中国の結束は強まる方向に進んでいる。習近平は10月に巨大経済圏構想「一帯一路」を巡る国際会議に合わせてプーチンを北京に招待すると発表した。

 米国は11月15日からサンフランシスコで開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に合わせて米中首脳会談を開催するつもりだが、習近平はその前にプーチンとの結束をアピールしようとしているのだ。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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