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虐殺報道でウクライナ戦争の長期化は避けられなくなった

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(640)

卯月某日

 ウクライナの首都キーウ近郊で、ロシア軍が撤退した後、路上のいたるところに「遺体」が放置された見るに堪えない映像が報道された。ウクライナ側によれば「ロシア軍が民間人を大量虐殺した戦争犯罪の映像」だという。おぞましい映像で世界の「反プーチン感情」は沸騰した。

 これに対してロシア側は、ウクライナが画像処理した「フェイクニュース」として関与を全否定している。ロシア国営放送は、路上に放置された「遺体」が起き上がろうとしているように見える車のバックミラーに映った映像を放送した。すると英国のBBCがバックミラーの映像そのものが歪んでいるためだとロシアの報道を否定する。

 またロシア側が、3月30日にロシア軍が撤退するまで「遺体」はなかったと主張すると、米国のニューヨーク・タイムズ紙は3月19日に道路上に「遺体」が映っている衛星写真を掲載し、「遺体」は撤退前から路上に放置されていたと主張する。

 フーテンは戦争報道の編集された映像の嘘に散々騙されてきた経験があるので、バックミラーに映った映像も衛星写真もすぐには信用しないことにしている。何が起きたかの真相は当事者ではなく第三者が調査して解明する以外に方法はないとも考えている。

 しかし「民間人が、しかも女子供までが、大量虐殺された」と聞けば、人間だれしも頭に血が上るほどの怒りを覚える。だからこの数日の世界は頭に血が上った状態での発言が相次いでいる。

 ポーランドのモラヴィエツキ首相は4日の記者会見で、「マクロン大統領、あなたはプーチンと何回交渉したのか? それで何を成し遂げたのか? スターリンやヒトラー、ポル・ポトとも交渉するのか」と言い、また「ショルツ首相、今あなたが聞くべきはドイツ企業の声ではない。罪のない女性や子供の声だ」と名指しで独仏の首脳を批判した。

 ポーランド首相は独仏の経済制裁に対する姿勢が手ぬるいとして、更なる制裁強化を呼び掛けているのだが、しかしロシアの天然ガスに頼るEUは、とりあえずは石炭のロシアからの全面禁輸を制裁強化のカードとする。それへの不満がNATO内から吹き出たのだ。

 しかしそのポーランドもウクライナが米国に戦闘機の提供を要求し、米国がポーランドにソ連製の戦闘機をウクライナに提供することを要請すると直ちに断った過去がある。ロシアとの戦争の可能性が高まるからだ。

 そして次にポーランドが戦闘機をドイツの空軍基地に配備するから米国がウクライナに移送するよう要求すると、今度は米国がロシアとの戦争を恐れてこれを断った。

 虐殺の報道でポーランド首相の頭に血が上っても、ウクライナに戦闘機を提供すると言わないところを見ると、ロシアとの戦争を避けたいという国家理性はまだ働いている。しかし今回の「虐殺」で国民感情に火が付き、それに世界の政治家が揺さぶられるようになると、第三次世界大戦の可能性が現実になる。

 ゼレンスキー大統領は5日の国連安全保障理事会でオンライン演説を行い、「ロシア軍の民間人虐殺は、第二次大戦後、最も恐ろしい戦争犯罪」と断罪し、速やかに法の裁きを行うことを求め、国連安全保障理事会の常任理事国からロシアを排除すべきと訴えた。

 しかし米国のトーマスグリーンフィールド国連大使の直後の発言は、国連安保理からのロシア排除ではなく「国連人権理事会のロシアの資格停止」に言及するにとどめ、フーテンは米国が「虐殺」の証拠をロシアに突きつけるのではないかと思っていたがそれもなかった。

 そしてゼレンスキー大統領の批判の矛先は、ドイツのメルケル前首相とフランスのサルコジ元大統領に向かった。2008年にウクライナとジョージアをNATO入りさせなかったことが、今回の「虐殺」を生んだと主張したのである。

 2008年に米国のブッシュ(子)大統領が、ウクライナとジョージアのNATO入りを強く推した時、メルケルとサルコジは「将来は加盟させる」として事実上の先送りにしたが、あの時NATO入りできていれば、ロシア軍が侵略しても同盟国であるから米国もNATOも軍事支援してくれたはずとの思いがゼレンスキーにあるのだろう。

 しかし今回の戦争で証明されたことは、米国にもNATOにもそもそもウクライナをNATOに加盟させる気がなかったことである。先送りとはそういう意味だったのだが、ゼレンスキーは「将来のNATO加盟」を信じてプーチンを挑発し、それがこの戦争に繋がった。

 実は米国もNATOもウクライナがNATOに加盟していないから軍事支援を行わないのではない。NATOに加盟していなくとも軍事支援に乗り出さなければ自分たちに被害が及ぶと思えば集団的自衛権を行使することは可能である。

 しかし米国もNATOも、ウクライナがNATOに加盟していないのを口実に軍事支援を行わず、武器の提供にとどめている。本音はロシアと戦争したくないからだ。ウクライナにロシアとの戦争をやらせ、米欧は武器だけを提供し、日米欧が強力な経済制裁をやることでプーチンの力を削ぐことができれば、プーチンに核を使わせることなくプーチン体制を崩壊させることができるからだ。

 頭に血が上っているゼレンスキーはそれが理解できていないように思う。そしてメルケルやサルコジを批判したが、当のメルケルは「2008年の判断は正しい判断だったと現在も考えている」という声明を発表した。

 虐殺の報道に接した時、フーテンがまず思ったのは「これで停戦協議は進まなくなる」だった。停戦協議はトルコが仲介し、ウクライナ側が提案した条件をロシア側が検討し、ロシア側の提案が行われる運びとなっていた。

 その一方で大方の共通した見方は、ロシアにとって重要な国家行事である5月9日の対ナチス戦勝記念日までに東部地域とクリミア半島をウクライナから独立させ、ロシアが勝利した形にして戦争を終わらせるのではないかということだった。

 それがこの「虐殺」ですべてが白紙になった。ゼレンスキーは最後はプーチンとの首脳会談で決着させると言っていたが、「戦争犯罪人」と呼ぶ相手と交渉する訳にはいかないだろう。もはやどちらかが倒れるまで戦争は終われなくなった。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

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