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国家理性と国民感情、そしてG7対BRICSの対立構図を浮かび上がらせるウクライナ戦争

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(638)

弥生某日

 今や世界のヒーローになったかのようなウクライナのゼレンスキー大統領は、3月8日の英国を皮切りに15日カナダ、16日米国、17日ドイツと、欧米の各国議会でオンライン演説を行い、ウクライナへの軍事支援とロシアに対する経済制裁の強化を訴えている。

 フーテンは米国議会での演説を生中継で見たが、ゼレンスキー大統領は米国が襲われた真珠湾奇襲攻撃や9・11同時多発テロを思い出させ、またキング牧師の「私には夢がある」という有名なセリフを引用するなど、演説の中に米国民の感情に突き刺さる言葉をちりばめた。

 英国議会ではナチスと戦ったチャーチル首相の言葉を引用し、またドイツ議会ではベルリンの壁に言及したようなので、それぞれの国の国民感情を動かすことに演説の力点は置かれている。

 そして演説の途中で、ウクライナ国民の悲惨な状況映像がビデオで流され、いやでもウクライナ支援の感情が高まる仕掛けになっている。ドキュメンタリー・ディレクターとして映像で人を感動させる仕事をしてきたフーテンは、ゼレンスキーの裏に宣伝のプロがいると思いながら、こうして人々の感情を高まらせれば、戦争は終われなくなると思ってしまう。

 戦争を終わらせることができるのは感情ではなく理性的判断しかないとフーテンは思っている。だからフーテンは戦争報道を見る時、悲惨な映像に感情的に反応するのではなく、極力それを排して理性的判断で見るよう心掛けている。つまりすべての情報を疑い、時間をかけて納得するまで信じ込まない。

 そうしたところ、今週発売の「週刊新潮」に「国家理性と国民感情」と題する片山杜秀氏のコラムを見つけた。フーテンの考えと近いので内容を紹介する。コラムは「日露戦争に負けていたら、日本はロシアの一部になっていたろう」という書き出しから始まる。

 しかし日本はロシアに勝った。国民感情からすれば圧勝だった。だが冷静に考えれば、南下政策を採るロシアを北満州まで引かせたに過ぎない。しかもロシアには戦争継続の余力がある一方、日本は金も人員も生産力も限界だった。

 米国の仲介でポーツマス講和条約が結ばれたが、ロシアは負けたと思っていないので賠償金を払わない。日本は遼東半島と南樺太と南満州鉄道の権利を得ただけに終わった。

 この時の日本には国家が安全に生きるための理性が働いていた。ところが国民は納得できない。9万人以上が戦死したのに何たる弱腰か。暴動が起きて東京の交番の3分の2以上が焼かれた。国家理性を国民感情が押しのけようとしたのである。戒厳令が2か月も布かれ、軍隊が出動してようやく収まった。

 やがて大正デモクラシーの時代となり政党政治が始まる。国民感情を理解しながら、国民を説得し、国家理性でまるめて、両者の間の緩衝材の役を果たし、落としどころを探るのが政党のはずだが、それが機能しなくなるとポピュリズムが生まれる。

 国民感情の波を捕まえた英雄主義的政治家が、瞬間的な受けに走り、国家理性を消してしまうのだ。片山氏はそれが近衛文麿だったと指摘する。国民大衆に人気がある近衛首相は、日中戦争を早期に終わらせようと考えたが、南京が陥落すると国民は熱狂し、近衛は引けなくなる。

 ポピュリストの首相は国民受けの良いことをやるしかなくなり、戦争は終われなくなった。そこで片山氏はこう書く。「一国の指導者は、国民を煽って後で恥をかくよりも、宥めて国民に踏みつけられるくらいがちょうどよい。今、世界の運命を握る、ヒロイックに振る舞いたがるポピュリストたちに、この国の失敗を捧げます」と。

 片山氏は「ポピュリストたち」と複数にして、誰か一人を指しているわけではないが、フーテンの脳裏にはウクライナのゼレンスキー大統領が浮かんだ。彼はそもそもウクライナ軍と東部地域の親露派武装勢力との戦争を終わらせようとする和平派だった。しかしそれは国民から弱腰と見られ、支持率は20%台に落ち込み、大統領再選も絶望的だった。

 それを巻き返そうと思ったのか、ゼレンスキーはトルコからドローンを輸入し、それを親露派武装勢力の攻撃に使ってプーチンを激怒させる挑発行為に出た。プーチンが戦争の理由とする東部の親露派勢力を守るためというのはそのことだ。彼はプーチンに戦争の口実を与えた。

 ウクライナが軍事大国ロシアを敵に回すとなれば、NATOの後ろ盾がなければならない。しかしプーチンはウクライナのNATO加盟を絶対に認めない。ロシアの安全が守れなくなるからだ。第三次世界大戦を引き起こしてでも認めない覚悟だ。

 欧米はそれを知っているから、実はウクライナのNATO入りは絵に描いた餅に過ぎなかった。しかしウクライナ国民はそんなことを知らないからNATO加盟を熱望する。ゼレンスキーはNATOがウクライナ加入の覚悟がないことを「かなり前に知った」と語ったが、本来ならその時点で国民を説得し、他の方法を模索するのが政治家の務めである。

 国民感情を国家理性で宥めていかねばならなかったのだ。しかし現実はまったく異なる展開となり悲惨な戦争が始まった。世界最強国家であり、戦争を止めることのできる米国は、この戦争を止めようとしないどころか、これをプーチン潰しの好機と捉え、戦争を長期化させる方向にもっていこうとしている。

 バイデン政権が支持率を低下させた去年8月のアフガン撤退の記憶を消し去り、国民が被害を受けるインフレもすべてプーチンのせいにできるからだ。戦争が長期化すればソ連崩壊の一因となったアフガニスタン戦争の再現で、米国に訓練されたゲリラがロシア軍の足を引っ張り、ロシア財政を破たんさせる。

 しかしその間にウクライナの国土は荒廃していくだけだ。ゼレンスキーがやるべきはそれを止める事ではないのか。バイデン大統領は国際社会は結束し、プーチンだけが孤立しているというが、本当だろうか。

 確かにG7(先進7か国)の米、英、加、仏、独、伊、日は経済制裁で結束している。しかしその7か国の後を追う新興勢力のBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南ア)の5か国はそうではない。

 BRICSは21世紀に入って目覚ましい経済発展を遂げた新興勢力である。中でも中国とインドの経済成長は著しい。BRICSの世界に占める規模を見ると人口で43%、国土面積で29%と大きく、経済規模では30%とEUの16.6%、米国の15.9%を上回っている。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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