立憲民主党の代表選は、4名の候補者のうち上位2名の決選投票で、国民民主党から合流した泉健太候補が立憲民主党生え抜きの逢坂誠二候補を破り新代表に選出された。

 決選投票で泉候補は国会議員票の6割、都道府県連票ではそれを上回る7割以上を獲得した。それによって地方党員に人気のある候補者が国会議員票によって覆ることの多い自民党代表選とは違いを見せた。

 そもそも枝野前代表の辞任を受け、党風を一新する必要があった代表選だから、枝野前代表が顧問を務めるグループから推されて出馬した逢坂候補が選出されなかったことは、ここで変わらなければ国民から見放されるという危機感が党の内外にあったのだろう。

 しかしほとんど国民から注目されない代表選によって、立憲民主党に国民の期待が高まるとも思えない。立命館大学の上久保誠人教授などは「立憲民主党は誰が代表になっても将来性なし」と厳しい。

 上久保教授によれば、そもそも立憲民主党の結党自体が間違いだったということになる。立憲民主党が結党されたのは、旧民主党と維新が合流してできた「民進党」の前原誠司代表が、小池百合子東京都知事が結党した「希望の党」に合流しようとしたことから始まる。

 それが実現すれば、自公政権は衆議院選挙で大敗する可能性があった。安倍政権は終わり、誰が総理になるかは別として「希望の党」が政権を奪い、保守二大政党制が誕生する。それが現実味を帯びていた。

 保守二大政党制とは、安全保障政策を政争のテーマにせず、経済財政政策や社会福祉の分野で改革を競い合う政治体制だ。政権交代を繰り返す先進民主主義国では、外交・安保政策で与野党が対立する構図は基本的にない。しかし日本では冷戦時代の昔から日米安保や自衛隊を巡って対立があり、冷戦が終わった今でもそれは続いている。

 前原代表にすれば「民進党」のまま選挙に臨んでも、「希望の党」に食われて「民進党」は議席を減らす。そのため解党的な合流の道を選んだと思うが、小池都知事は「排除の論理」を掲げ、安全保障政策で考えの異なる議員を「排除」すると宣言した。

 これで左派の議員は公認されないことが分かり、排除される議員たちから悲鳴が上がった。小池都知事の「非情さ」と前原代表の「詰めの甘さ」が国民から厳しい批判を浴び、この時「希望の党」から公認されない議員の救済のため立ち上がったのが枝野前代表だ。こうして「立憲民主党」は結党された。

 一連の経緯から国民の同情が「立憲民主党」に集まり、衆議院選挙では55議席を獲得した「立憲民主党」が野党第一党となり、「希望の党」は50議席に終わった。小池代表は辞任し、党は解党されて「国民民主党」になる。上久保教授はこれによって日本に「分極的一党優位制」が確立されたという。

 「分極的一党優位制」とは、左右に大きく政策のウイングを広げた自民党に対し、左に寄った小規模の野党がいる体制をいう。その結果、安倍政権は前原代表が主張していた社会民主主義政策を取りこみ、「中流層=消極的保守主義者」の支持を自民党に集めたと上久保教授はいう。

 私もブログに書いたが、「アベノミクス第二幕」はまさに旧民主党が主張していた政策を安倍政権が「パクった」形だ。安倍政権は賃上げや教育無償化を言い始め「成長と分配の好循環」を掲げた。それは現在の岸田政権にも受け継がれている。

 一方の立憲民主党は共産党と共闘し「何でも反対」の姿勢を強めていく。これは自民党と共産党の両方にとって誠に都合が良い。自民党は野党が現実的な議論をしないでくれた方が「中流層=消極的保守主義者」の支持を奪われる恐れがなく安泰である。

 一方の共産党は、安倍政権のように「保守色」を強めてくれる自民党がありがたい。「何でも反対」の姿勢を強めれば共産党の存在感が増す。共産党にとっては「万年野党」でいることが支持者を繋ぎ留めておく必須条件だ。自民党と共産党はお互いを必要とする関係にあるのである。

 その自民党と共産党との間で、保守二大政党制に向かわなかった立憲民主党は、結党そのものが間違いだったと上久保教授は批判するが、私はこの代表選で国民民主党から立憲民主党に合流した泉候補が、国会議員の6割、都道府県連の7割以上の票を集めたことで、わずかながら政権交代可能な構図に戻す可能性は残されたと思う。

 ただしそれには立憲民主党が「野党病」と「野党業」を克服する必要がある。「野党病」とは自らの過ちを認めて反省しない病気をいう。「野党業」とは権力を握って国家の経営に当たるより、野党であり続ける方が商売になると考えることをいう。

 自民党は右から左まで様々な考えを持つ議員がいるが、野党のように頻繁に分裂することはない。それに比べ野党はたやすく分裂する。何が違うのかを観察すると、自民党の議員はどちらが利益になるかを考え、利益になる方に自分の考えを合わせていく。

 一方の野党議員は、自分の主張の正当性が利益を上回る。政治を正義の実現のためと考え、正義のためだから妥協しない。しかし世の中には様々な正義があり、それら異なる正義を調和させるのが政治だが、野党議員は損をしても自分の信じる絶対的正義を主張する。だから分裂が起こる。

 そして過ちを認めることをしない。人間誰でも過ちはあるのだから反省してやり直せば良いと思うが、過ちの原因を他人の責任にして他人を責める。私は東日本大震災の時の民主党政権の対応を評価していない。しかし当時の菅直人総理も枝野官房長官も自分たちは頑張ったと言い張り反省することがない。

 私は冷戦後の米国政治を10年余り見続け、大統領が危機にどう対処するかを観察してきた。私が驚いたのは菅総理が地震発生の翌日、ヘリコプターで福島の原子力発電所を訪れたことだ。最高権力者は大所高所から物事を判断しなければならない。その日本に一人しかいない人物が真っ先に現地に向かうことなど米国では考えられない。

 全ての情報を把握し、そのうえで何をどうするかを判断し、国民に向けたメッセージを用意し、それから現地に向かう。米国大統領ならそういう行動をとっただろう。ところが菅総理はただ自分の目で現場を見てきただけだ。この差は何だろうと思った。

 枝野官房長官は原発事故で国民にパニックを起こさせないよう、ひたすら安全であることを強調する会見を行った。それがどれほど住民に危険を与えたかを反省していない。そして自分たちは頑張ったが、原子力保安院や経済産業省、東京電力など「原子力ムラ」がどうしようもなかったと、他に責任を転嫁する。

 「原子力ムラ」を責めるのは良いが、それらの組織の頂点にいるのは自分たちである。国民に対し責任を負っているのは権力者だ。それとも彼らは権力者であるという自覚がないのか。野党を長く続けていると、他人を批判攻撃するのが癖になってしまうのか。

 枝野前代表は最近もコロナ禍に対する自民党政権の対応を批判し、東日本大震災の時の民主党政権の対応を自慢した。おそらく私のような目で見ている日本人がいるとは思っていないのだろう。それは困ったことだし恐ろしいことだ。

 2009年に民主党に政権交代した後、「事業仕分け」と言って各役所の官僚を呼びつけ、枝野幸男衆議院議員や蓮舫参議院議員が無駄な予算を削る儀式をやったことがある。官僚を追い詰めて無駄を認めさせる儀式だった。これに国民は熱狂し、連日テレビで報道された。

 内部でやるのなら良いが国民の前でやるのはただのパフォーマンスだ。政権与党の政治家はいわば官僚の上司に当たる。部下を上司が会社の内部で叱るのは良いが、対外的に責任を取るのは上司の方だ。その上司が国民に見えるようにして部下を叱れば部下は仕事をしなくなる。

 私は愚かなことをやっていると思ったが国民は熱狂した。国民は長い間「万年野党」が政府を鋭く追及する姿を見て鬱憤ばらしをしてきた。政権交代の時代になっても国民はまだその延長で政治を見ている。「野党病」の責任の一端は「万年野党」の記憶を引きずる国民の側にもある。

 「事業仕分け」には何の意味もなかった。それを反省せず、立憲民主党は再び役人を呼んで「野党合同ヒヤリング」という追及の場を作った。凝りもせず国民の熱狂を取り戻そうとしたのだろう。自分たちのやることを正義だと思っているから過ちが繰り返される典型的な例だ。

 泉新代表には「万年野党時代」の因習を一掃してもらいたい。やるのなら官僚を追及するのではなく、国会で政治家と論戦を交わすべきだ。岸田総理と「党首討論」で渡り合ってもらいたい。安倍元総理と違って「聞く耳」を持つ岸田総理なら断るはずはあるまい。

 そして「野党の方が責任がなくて楽」という「野党業」からの脱却だ。私が思うに本当に野党は楽だ。かつての「55年体制」は野党が自ら「万年野党」になった時代である。だから自民党の「補完勢力」は社会党と共産党だった。社会党と共産党ほど自民党に都合の良い政党はなかった。

 それを国民は逆に理解している。維新のように自民党と似た主張をする政党を「補完勢力」と呼ぶ。とんでもない勘違いだ。自民党にとっては自分たちと似た主張をする政党ほど恐ろしいものはない。本気で切磋琢磨しなければ支持者を奪われることになる。

 そして立憲民主党が自民党と対抗するならウイングをなるべく広く右から左まで広げるのが良い。そのためには「野党業」で生きる共産党を「野党業」から脱却させることだ。自民党政権が極右に偏らずに行けば、いずれ共産党は「野党業」だけでは生きていけなくなる。

 共産党にはかつて野坂参三という指導者がいた。冷戦崩壊後にソ連のスパイであった事実が判明したため党を除名されたが、戦後初の総選挙で衆議院議員となり「愛される共産党」というキャッチフレーズ」を作った。戦前から天皇制を認め、戦後も憲法9条の戦争放棄には賛成しても自衛の軍隊は持つべきだと主張した。非武装を主張する吉田茂と国会で論戦した話は有名である。

 共産党がそれほどの柔軟性を持てば、冷戦が終わった後のイタリアで、欧州で最大の勢力を有していたイタリア共産党が共産党の看板を下ろし、左翼民主党となって政権交代に参画した例が日本でも生まれる可能性がある。

 それがかつて小沢一郎が提唱した「オリーブの木」の構想だ。泉新代表の出馬表明に際し真っ先に支持を表明したのが小沢だったから、新執行部が小沢を使って政権交代の構想を練るようになれば、これまでと異なる展開が生まれるかもしれない。

 いずれにしても日本の政治は、特に野党勢力の側はいまだに「55年体制」の記憶を引きずっている。それを早く脱却することだ。「野党病」と「野党業」からの脱却が望まれる。