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誰も首に鈴をつけられない森喜朗とはいったい何者か

田中良紹ジャーナリスト

 自民党は4日、派閥のパーティ資金を所属議員に還流し、それを政治資金収支報告書に記載していなかった安倍派と二階派の議員39人の処分を決めた。

 安倍派の座長を務めていた塩谷立氏と参議院のトップだった世耕弘成氏には離党勧告、この2人と共に一度は中止した還流の再開を協議した下村博文氏と西村康稔氏は党員資格停止1年、再開した時の事務総長だった高木毅氏は党員資格停止6か月で、処分らしい処分はそこまでだった。

 昨年暮れに大がかりな捜査体制を組んだ東京地検特捜部の自民党裏金事件は、それまでの検察捜査がロッキード事件、東京佐川急便事件、陸山会事件など旧田中派の政治家をターゲットにしたのに対し、今度は安倍派と二階派の派閥事務所を同時に家宅捜索するなど、旧福田派と旧中曽根派という保守傍流をターゲットにした事件のように当初は見えた。

 しかし捜査は「大山鳴動鼠一匹」で、安倍派と二階派の会計責任者が在宅で起訴された他は、裏金の金額が3千万円を超えた安倍派の小物政治家3人が摘発の対象となり、政治資金規正法の趣旨を真っ向から否定する裏金還流の仕組みを作ったのが誰で、いつから裏金還流が始まったのか、目的は何かなど事件の根幹にかかわる部分は解明されずに終わった。

 捜査が手ぬるいと批判されるのを恐れたためか、特捜部は議員1人を証拠隠滅の容疑で逮捕したが、それは事件の本筋とまるで関係ない。私はロッキード事件を取材して以来、特捜部の極めて恣意的な「でっちあげ」ともいえる政界捜査の数々を見てきたが、これほど事件の本質に切り込まない捜査を見たことがない。

 検察幹部は「捜査が不十分だという批判はあるだろうが、事案の輪郭は明確に示された。後は政治がこれを受け止め、法改正や制度改革にどう取り組むかだ。そして最後は有権者がどう判断するかだ」と述べたという。

 要するに事件の真相解明より、これを機に法改正をやらせ検察に都合の良い仕組みができることを目的にしている。しかし私の目にはそれと同時に検察が自民党最大派閥の力を削ぐことに苦労している岸田総理への忖度があると思った。

 そう思わせたのは特捜部が昨年夏に洋上風力発電汚職事件を摘発し、河野太郎デジタル担当大臣の右腕と言われた秋本真利衆議院議員を逮捕したからだ。河野大臣のバックには菅義偉前総理がおり、次の自民党総裁選挙で岸田総理の最大のライバルになる存在だった。

 その最大のライバルはこの逮捕で痛手を負った。そしてその頃に自民党派閥の裏金疑惑の任意捜査に特捜部は着手していたのだ。派閥の会計責任者を事情聴取した結果、安倍派では組織ぐるみのパーティ資金還流が長年続けられていた。これを事件化すれば岸田政権を側面支援することができる。

 安倍派と同じ仕組みは二階派にもあるが、二階派で還流を受けていたのは派閥の幹部クラスだけだ。しかし安倍派ではノルマを超えればすべての議員に還流される。さらに参議院選挙の年には参議院選挙の候補者に全額還流されていた。安倍派の仕組みは所属議員にとって極めて面倒見が良い。

 これまで報道されてきた情報から類推すると、この還流が始まったのは1999年の政治資金規正法改正にある。93年夏に自民党が初めて野党に転落した後、細川護熙総理と自民党の河野洋平総裁は94年1月に「政治改革」で合意した。

 政党交付金制度が導入されることになり、企業・団体献金は個人ではなく政党と政治家の資金管理団体に限定された。この法改正は5年後の99年に見直されることになっていたが、その間に与野党は入れ替わり、与党側は小渕恵三総理と森幹事長が取り仕切っていた。

 自民党内には企業・団体からの個人献金を復活すべきという声が強かった。政党や政党支部が受け取る仕組みでは地方議員が恩恵を受けられないというのである。野党民主党の代表は鳩山由紀夫氏だったが、鳩山氏は自民党が企業・団体の個人献金を復活すると見ていた。

 これに対し森幹事長は「企業の個人献金を廃止し、新しい制度を作るべきだ」と主張した。新しい制度として森氏は、個人の資金管理団体を活用することで政党が集めた企業献金の「抜け道」を作ろうとしていた。

 この時、自民党執行部の中で村上正邦参議院議員会長は森幹事長の考えを支持し、自民党は企業・団体の個人献金復活ではなく禁止する方針となった。こうして99年に企業・団体の個人献金を禁止した政治資金規正法改正案が成立した。

 その前年に森氏は福田派の流れを汲む「清和政策研究会」の会長となり、中曽根派の流れを汲む「志帥会」会長は村上正邦氏だった。私は特捜部が今回の事件で安倍派と二階派の派閥事務所を強制捜査の対象とした淵源はそこにあると見ている。

 つまり企業・団体の個人献金を禁止する見返りに、派閥の政治資金パーティで集めた企業・団体献金を所属議員に還流するというのが、森幹事長が主張し、村上参議院議員会長が支持した「新しい制度」ではないか。それを地方議員に流すためには収支報告書に記載せずに裏金にする方が良い。

 おそらく森氏は選挙に弱い若手議員のためにこれを考えた。名前がまだ売れていない若手議員は大物議員の名前に頼ってパーティ券を売る方が売りやすい。それを収支報告書に記載せず裏金とするのは、その金を地方議員に流して選挙に協力させるためだ。それが森氏の狙いだったのではないか。

 だから本人は悪いことをしたとは微塵も思っていない。もしかすると政治資金規正法の方がおかしいと思っている。違法であることを安倍派の議員は頭では分かっている。しかしこれを断れるかと言えば誰も断れない。ただ安倍晋三元総理だけは自分が派閥の会長になった時にやめようとした。検察が摘発する可能性があったからだ。

 安倍政権時代に安倍元総理は菅官房長官と組んで、黒川弘務東京高検検事長の定年を延長し、検事総長人事に介入しようとしたことがある。森友問題や加計学園、桜を見る会の問題などから検察を操る必要を感じていたからだ。

 これに検察庁はOBも含めて強く反発した。その報復として安倍派の裏金問題に捜査が及ぶ可能性があった。菅政権でその恐れはないが、岸田政権では起こり得る。そのため安倍氏は森氏が作った仕組みの中止を決めた。しかし直後に安倍氏は銃撃されて帰らぬ人となった。

 安倍氏が不在となったことで力を復活させたのが森氏である。安倍氏は将来の三選を狙っていたため後継者を作らなかった。その間隙に入り込んで森氏は安倍派を岸田総理にとって都合の良い派閥に作り変えた。会長就任を熱望する下村氏を排斥して森氏の言いなりになる「五人衆」という集団指導体制を作り、岸田総理を喜ばせた。

 しかし特捜部の自民党裏金事件の摘発は森氏を恐怖に陥れた。もしかすると岸田総理が自分も含めて安倍派解体を画策する可能性がある。森氏は定期的にインタビューに応じて自分の政治的影響力を誇示してきた地元新聞の企画を終わらせ、自宅を出て介護施設に入居し、検察捜査が通り過ぎるのを待った。

 その結果、自分も五人衆も検察から摘発されることなく、派閥事務所の会計責任者と小物政治家3人が摘発されただけに終わった。森氏は元気を取り戻したが、新たな神経戦が始まっている。

 まず菅前総理と小泉進次郎議員が「派閥解消」を呼びかけると、岸田総理がそれに乗って突然「宏池会」の解散を宣言し二階派がこれに続いた。安倍派は同調せざるを得なくなった。

 岸田総理はこれで人事権を完全に握り、解散権と併せて自らの権力を強化したが、突然の派閥解消宣言にそれまで岸田政権を支えてきた麻生派と茂木派が反発し、自民党内の構図に大きな変化が生まれた。

 茂木幹事長と岸田総理の対立が表面化し、茂木幹事長が1月末に安倍派幹部に厳しい処分を科すことを表明すると、森氏がものすごい剣幕で麻生、茂木氏に面会を求めたことが永田町で評判になった。

 続いて岸田総理がやったことは茂木幹事長が動かないため、自らが動いて政治倫理審査会を公開で開かせたことである。そこで国民に印象づけられたのは安倍派の組織ぐるみの裏金作りを誰が始めたのか、全員が「知らぬ、存ぜぬ」を繰り返したことだ。

 それが森氏であることを国民は薄々知っている。しかし安倍派の議員でそれを言う者は一人もいない。そのため野党は岸田総理の追及に矛先を転ずる。だから追及は本筋の話からずれていく。そしてこの事件がどういう事件か分からぬまま自民党による処分が下された。

 だから誰もがすっきりしない。それは誰も森氏の首に鈴をつけることができないからだ。もはや森氏は触れることのできない聖域の人になってしまったようだ。それが日本の政治を停滞させている。

 世界ではウクライナと中東ガザで戦闘が続き、下手をすれば第三次世界大戦の可能性もある。冷戦後の世界が大きく構造変化しようとする時、日本では「政治とカネ」で政治が止まってしまった。

 そして真相も分からないのに処分が下され、さらに与野党は政治資金規正法改正の特別委員会をスタートさせようとしている。こんなおかしなことが許されてよいのか。まるで真相を解明せずに法改正だけさせようとしている検察権力の思い通りになるだけではないか。

 いったい森喜朗とは何者なのか。日本経済新聞に連載された『私の履歴書』を読んでみた。印象に残ったのは「コネクション」である。良く言えば「人間関係を大事にする」、悪く言えば「コネの世渡り」だ。

 早稲田大学に入学できたのも、産経新聞社に入社できたのも試験ではなく父親や知人の紹介状のおかげだった。総理に上り詰めたのは小渕総理が突然急死し、密室で青木幹雄、野中広務、亀井静香、村上正邦の各氏と5人で協議した時、村上氏から「あんたがやれよ」と言われたことによる。

 総理になろうと切磋琢磨した結果ではなく、突然転がり込んできたような話だ。その頃米国はクリントン大統領だったが、クリントン政権はIT革命に力を入れていた。ところが森氏は「イットってなんだ」と役人に質問した。「アイティ」と読めなかったのである。

 またこんな記事も現れた。沖縄サミットで来日したクリントン大統領に挨拶した時、事前に挨拶の英語を誰かから教えられた。「ハウ・アー・ユー?(お元気ですか?)」「ファイン・サンキュー、アンド・ユー?(元気です、あなたは?)」「ミー・ツー(私も元気です)」というのを暗記したらしい。

 ところが森氏は「フー・アー・ユー?(あなたは誰ですか?)」と言ってしまった。ホスト国の総理から言われて驚いたクリントンは「アイム・ヒラリーズ・ハズバンド(私はヒラリーの夫です)」とふざけて答えた。すると森氏は「ミー・ツー(私もそうです)」と真面目に答えたというのだ。まさか記事は嘘だろうとは思いながら、しかし森氏ならありうると思った人間が多くいたのである。

 ともかく森総理は1年で辞めることになったが、その後は「自民党をぶっ潰す!」と絶叫して国民を熱狂させた小泉純一郎総理のおかげで自民党も派閥も数を増やし、さらに安倍総理が「一強体制」を確立したことで、その後見役として森氏の影響力もマックスになった。

 それが今、誰も首に鈴をつけることができない聖域の人間に上り詰め、その人物が作った裏金作りの仕組みの話を指摘できなくなっている。それが真相究明を阻み、真相とは別に処分が行われ、法改正まで行われようとしている。

 日本の政治は「狂」の世界に入ってしまったと思う。誰か森氏の首に鈴をつける人物が現れることはないのであろうか。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

「田中良紹のフーテン老人世直し録」

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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