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テロとの戦いとは何だったのか?タリバン政権復活に見るバイデン政権の「アメリカ・ファースト」

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(600)

葉月某日

 日本の終戦記念日である8月15日、米国を後ろ盾としていたアフガニスタンのガニ大統領が国外に脱出したというニュースが流れた。アフガニスタン政府は崩壊し、20年にわたる米国とタリバンとの戦争はタリバンの勝利で終結した。

 アフガニスタンの大統領府にタリバンの兵士が入り込み、大統領室を占拠した映像を見ると、どうしても米国がベトナム戦争に敗れた46年前の「サイゴン陥落」を思い出す。

 ブリンケン国務長官は「これはサイゴン陥落と違う」と強く反論しているが、米国の敗北であることに変わりはないとフーテンは思う。世界の歴史はまた大きく変わろうとしている。

 戦争の始まりは2001年9月11日に米国本土が攻撃された同時多発テロだった。米国本土が攻撃されたのは日本軍による真珠湾攻撃以来の出来事で、衝撃を受けたブッシュ(子)大統領は「テロとの戦い」を宣言する。これに日本も含め国際社会は支援を表明した。

 米国は同時多発テロの首謀者をアルカイダのウサマ・ビン・ラディンと断定、アフガニスタンのタリバン政権が匿っているとして身柄の引き渡しを要求する。タリバンがこれを拒否したことから、米国を中心とする有志連合は10月7日から「不朽の自由作戦」と命名した軍事攻撃を開始、11月中旬には首都カブールを制圧し、ブッシュ(子)大統領が勝利宣言した。

 アフガニスタンでは、1979年から社会主義政権とイスラム民兵のムジャヒディンとの間に内戦が起こり、そこに旧ソ連が軍事介入した歴史がある。その戦争は10年間続いて最後はソ連が敗北した。それが冷戦崩壊の原因となる。その時、米国のCIAが軍事訓練を施したムジャヒディンの一人がウサマ・ビン・ラディンだ。

 旧ソ連が勝てなかったアフガニスタンを米国はあっという間に制圧した。フーテンは当時ワシントンに事務所を置き、米国議会情報を日本に送る仕事をしていたが、ネオコンの一人であるウォルフォウィッツ国防次官が、連邦議会で米国の軍事力の凄さを滔々と述べたことを鮮明に覚えている。

 アフガニスタンの山岳地帯を攻略するため騎兵隊を出動させ、また地下要塞を破壊するため地下深くに到達する新型爆弾を使ったという話で、フーテンは騎兵隊が西部劇の時代ではなく今も健在であることを知った。そしてブッシュ(子)大統領は米国が第二次大戦で日本を打ち負かした歴史をしきりに語り、「テロとの戦い」をそれになぞらえた。

 つまり非民主的な民族に民主主義を施すには戦争で打ち負かすしかないという。日本は米国に敗れたおかげで民主主義と繁栄を手にすることができたのだから、「テロとの戦い」に勝って、中東に民主主義を広め、繁栄させるのが米国の使命だというのである。

 フーテンは、日本は民族自立の精神において他国より劣っていると感じていたので、中東諸国がブッシュの思い通りにはならないだろうと思ったが、20年後の今日の状況はそれを証明したことになる。

 その後、ネオコンが主導するブッシュ(子)政権は「テロとの戦い」の戦線をイラクに広げ、イラクが大量破壊兵器を隠しているという理由で、イラクに先制攻撃を仕掛けた。しかし大量破壊兵器がないことをそれより前にCIAは把握しており、サダム・フセイン大統領を抹殺するのが目的だったことが後に判明する。

 理由はサダム・フフセインがEUの統一通貨ユーロで石油代金の決済を認めたため米国の逆鱗に触れたのだ。米国はユーロが世界通貨になることを恐れた。ドルの地位が揺らげば米国の覇権も揺らぐ。EUの中心国フランスとドイツはこの戦争に反対し、英国や日本が米国を支援した。

 嘘をついてイラク戦争に踏み切ったブッシュは国内で猛烈な批判にさらされ、英国のブレア首相も任期途中で辞任に追い込まれたが、不思議なことに日本では自衛隊を現地に派遣した小泉総理を批判する声が出なかった。国民が「テロとの戦い」を信じ込まされたままだったからだ。

 サダム・フセインを抹殺したことでイラク国内の安定は崩れ、イスラム国(IS)が誕生してイラクとシリアにまたがる地域を支配した。ISの掃討に米国をはじめとする国際社会は膨大なエネルギーを費やすことになる。

 ブッシュ(子)政権が終わると、ついに中東からの米軍撤退を公約に掲げた大統領が登場した。オバマ元大統領である。この大統領はテロ組織が核兵器を持つことを恐れたキシンジャー元国務長官など4賢人に後押しされて、核廃絶を国際社会に訴えノーベル平和賞を受賞した。

 しかしフーテンから見ればノーベル平和賞に値するほどの話ではない。「核廃絶」と言いながら核を拡散させずに米国など核保有国だけが核を持ち続けるという話だ。そしてオバマは公約に掲げた米軍撤退を実現することができず、ウサマ・ビン・ラディンを暗殺しただけに終わった。

 オバマが実現できなかった米軍撤退を本気でやろうとしたのはトランプ前大統領である。オバマとは対照的な手法で、つまりリベラルが得意とする「綺麗ごと」ではなく、本音をむき出しにしたタフな姿勢で撤退に漕ぎつけようとした。

 平和のためとか国際社会のためとか「綺麗ごと」は言わず、「アメリカ・ファースト」のためだと言う。自国の利益を第一に考えれば、もはやこれ以上タリバンとの戦争に金や人員を割くことはできない。もう米国は「綺麗ごと」を言う余裕などないというのがトランプの考えだ。

 トランプは昨年2月にタリバンとの間で和平合意を結び、米軍の撤退を順次始めていた。そしてクリスマスまでにアフガニスタンとイラクからすべての米軍を撤退する考えを表明していた。それが大統領選挙で当選がなくなり、しかしバイデンの当選を認めない姿勢を続けてきた。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

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