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透明性のない電波利権が日本の未来を凋落させる

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(568)

弥生某日

 1都3県に出されている緊急事態宣言を、2週間再延長する方針を発表した3月5日の菅総理の記者会見は、これまでとは異なり1時間を少し超える会見となった。

 あのメディア嫌いのトランプだって1時間を超える会見をこなしていたのだから、これが当たり前なのだが、1時間を超える会見に「やっと世界標準になったか」と妙に安心する反面、これまでそれがなかった日本政治の貧しさを思った。

 しかし会見の内容について感心する訳には行かない。納得できる内容でなかったからだ。感染者数が500人を下回れば解除するとしていたのを、下回っても解除しないのは病床の空きが懸念されるからだという。

 人口当たりの病床数世界一と言われる日本で病床数がひっ迫するのは、感染とは別のところに問題があるとフーテンは考えるが、その疑問については言及がなく、記者の質問にもそれはなかった。

 延長幅の2週間についても納得できる説明はない。1か月が2か月になり、さらに2週間と言われると、時間で区切るのをやめたらどうかと言いたくなる。コロナウイルスは消えないのだから、「いつ解除」という考え方を改め、常在戦場の考えに立ったらどうか。必要なのは生活の仕方を推奨することだ。

 例えば飲食店に時短営業を要請するより客が黙って食べる工夫を奨励する。おしゃべり は店を出た後にマスク姿でやってもらい、店は純粋に料理や酒を味わう場にしてもらう。飲食中に音楽、落語、講談、朗読を客に聞かせて黙らせる方法もある。知恵を絞れば時短要請しないで済む方法を見つけることはできると思う。

 そして菅総理はようやく検査を強化する考えを表明した。それを初めからやれば良かった。私権を制限する欧米のロックダウンの真似などせず、検査と隔離を軸にした対策を講じていれば、ここまで右往左往しなくて済んだというのがフーテンの考えである。そしてそれよりワクチン入手の遅れが深刻だ。ところがその話がほとんど出なかった。これはなんだ。

 会見でもっともひどかったのは総務省接待に対する菅総理の答えだ。調査中であることを理由に全く答えようとしない。さらに問題だと思ったのは、電波と放送行政の権限を総務大臣が握る日本の制度に対する認識である。国家戦略上、総務大臣が一元的に執行する制度が望ましいと菅総理は言った。

 電波と放送行政の問題は、菅総理の言う通り国家戦略に関わる重大問題である。先進国では政府が一元的にその権限を握ることをしない。政府とは独立した機関が監督するのが普通だ。OECD(経済協力開発機構)によれば、加盟37か国のうち日本とトルコとポーランドの3か国だけが例外だという。

 会見でビデオジャーナリストの神保哲生氏は、「接待問題が生じたのは総務省が強い権限を握っているからだ。先進国では政府が放送行政に直接権限を行使しない。なぜ日本ではそれと違うのか」と質した。

 すると菅総理は、「情報通信分野は技術革新や国際競争が激しく国家戦略的な対応が求められる。かつて電波監理委員会があったが責任の所在が明確でなく、今は総務大臣が責任を持って執行する制度になっている。ただ通信と放送の境がなくなってきているのも事実で、もう少し検討する必要がある」と答えた。

 これを聞いてフーテンが思ったのは、国家が電波と放送を一元的に管理した戦前の日本の思想がまだ生きていること、そしてそれが日本の国家戦略に関わるとするなら、情報化時代が進展する世界の中で、果たして日本は生き残れるかという問題である。

 そこで菅総理が指摘した「電波監理委員会」という組織がなぜ生まれ、なぜ廃止されたか。次に土光臨調によってなぜ電電公社は民営化されたか。当時の通信と放送に関わる議論を紹介しながら、2009年に誕生した民主党政権が「通信・放送委員会」という独立機関の設置を公約に掲げていたことについて、フーテンの考えを書くことにする。

 戦前の日本には放送媒体としてNHKラジオしかなかった。電波と放送行政は逓信省が一元的に監督していた。敗戦によって日本を統治したGHQは日本の民主化を図るため、米国と同じ仕組みを導入しようとした。それが「電波監理委員会」である。

 米国には連邦通信委員会(FCC)という第三者機関がある。職員数は約2千人で、組織を監督する5人の委員が大統領から任命され、5年ごとに議会上院で承認される。5人の中から大統領が委員長を任命する。それが通信放送事業の規制や許認可を行う。

 5人の委員は大統領から指名されるので大統領寄りと見られるが、5人のうち同じ政党に所属するのは3人までとされ、全員が同じ立場ではない。また政権交代もあるから一方に偏ることにはならない。

 GHQはそれと同じ組織を作ろうとしたが日本側が反発した。逓信省から変わった郵政省は「合議体では責任の所在が曖昧になる」と言って抵抗した。5日の記者会見で菅総理が言ったのはこれと同じだ。それでも占領下であるからGHQの力は強く、1950年に職員数3500人余の「電波監理委員会」が誕生した。

 その頃、民放ラジオ局とテレビ局への免許問題が起きた。電波監理委員会が行ったのは学識経験者や放送関係者などを呼んで広く意見を聞く「聴聞」である。「聴聞」はすべて記録され、それはすべて国民に公開された。つまり電波の割り当てや放送局の許認可を国民の知らないところで行うことはなかった。

 1952年に日本が独立すると、日本政府はすぐさま電波監理委員会を廃止し、郵政大臣の諮問機関として「電波監理審議会」を作る法案を提出した。しかし政府から独立した第三者機関と大臣の諮問機関とでは月とスッポンの差がある。国会の委員会では反対意見も多く賛否が同数となる。最終的に委員長の判断で電波監理委員会は廃止された。

 この時佐藤栄作電気通信大臣は、「電波監理委員会が行っている仕事は重大なので、積極的に専任の国務大臣を決め、その仕事を遂行して参りたい」と言った。電波や放送の免許は言論の自由と直結する。つまり民主主義にとって重大な意味を持つことを、理解しているのか疑問に思わせる発言だ。

 こうして郵政省が放送免許の許認可権を握る。田中角栄氏が郵政大臣としてテレビ局の大量免許を行い、放送界に絶大な影響力を持つことになる。田中に取り入った朝日新聞社が「テレビ朝日」を傘下に収めたのを機に、日本の新聞とテレビの系列化が完成し、日本のメディアは政府の許認可権に縛られることになり、言論の自由は狭められた。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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