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安倍総理はコロナに敗れた世界初のリーダーと記録されるかもしれない

田中良紹ジャーナリスト

 安倍総理が病気を理由に突然辞任を表明した。政治家なら病院に通う姿を取材させることなど絶対にないが、事前にメディアに情報を流し、堂々と取材させていたことから、辞任しなければならなくなった時、病気を理由にするためだろうとは思っていた。しかしこれほど早く辞任するとは思わなかった。

 なぜなら安倍総理はコロナ禍で東京五輪の開催が危ぶまれた今年3月、東京五輪組織委会長の森喜朗氏が「2年延期」を提案したのを断り、自分の任期中の「1年延期」で小池百合子東京都知事と手を組み、IOC(国際五輪委員会)のバッハ会長と合意した。

 その時に安倍総理は「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証として完全な形で東京大会を開催するためにバッハ会長と緊密に連携していくことで一致した。日本は開催国の責任をしっかりと果たしていきたい」と述べた。

 安倍総理が「1年延期」を主導したのだから、まずは「コロナに打ち勝つ」ことに全力を上げるだろうと思っていたが、どういう訳かコロナ対策を陣頭指揮する姿が見えない。加藤厚労大臣と西村担当大臣に任せきりで、たまに本人が前面に出ると失態を演じる。

 例えば、専門家の意見を無視して学校の全国一斉休校を要請し教育現場や家庭を混乱に陥れた。アベノマスク配布やコラボ動画の配信では国民の失笑を買った。いったんは閣議決定した支給金の方針も与党からひっくり返される醜態を演じた。

 危機が起これば普通は政治リーダーの支持率は上がるものだが、安倍総理は米国のトランプ大統領やブラジルのボルソナロ大統領と並んで支持率を下げる珍しい存在となった。

 それでも東京五輪の「1年延期」を主導したのは安倍総理だから、その責務として来年夏の開催が無理だと判断されるまでは総理の職を辞することはないと思っていた。それが突然の辞任で裏切られたのである。

 辞任会見で東京五輪についての言及はなく、記者から質問されてはじめて「既に作成されたロードマップに沿って開催国の責任を果たしていかなければならない。次のリーダーも当然その考え方のもとに目指していくんだろうと思います」とまるで他人事の答弁だった。

 政治家は病に倒れても意識がはっきりしてさえいれば、その責務を果たそうと頑張るものだ。辞任会見を見る限り安倍総理が職務を果たせないほど深刻な状態にあるとは見えず、本人の説明も、新しい薬で持病に改善の効果は認められたが、コロナ禍が深刻になった時に正しい判断ができずに迷惑をかけることのないよう辞任するというものだった。

 その文脈からは「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として東京五輪を開催する」という決意が消えている。病気というより「コロナに打ち勝つ」気力がなくなったようだ。新しい薬が免疫力を下げコロナにかかりやすくなることを恐れたとする見方もあり、そう考えると安倍総理の辞任はコロナに敗れたと言うしかない。

 私は第二次安倍政権のロードマップは東京五輪と共にあったと考える。経済産業省が支える形の安倍政権には、経済産業省の政策が色濃く反映された。福島原発事故がありながら原発再稼働に力を入れ、海外に日本の原発技術を輸出しようとしたのはその一つである。

 また「貿易立国」を主導した旧通産省の路線が日米摩擦を激化させた反省から、それに代わる「観光立国」路線を敷いたのも経済産業省だったと思う。そのための最大の材料が「五輪」と「万博」の日本招致だった。

 「五輪」と「万博」で海外からの旅行者を呼び込み、そのインバウンド効果で経済を成長させる。軍事的に米国に従属を強める安倍政権にとって、米国との貿易摩擦は避けたい。一方で経済成長著しい中国の富裕層をインバウンドの目玉にすれば、米中の狭間で生きる日本の国家戦略になる。

 東京都の主催であるにもかかわらず、安倍総理が自ら五輪招致の先頭に立ち、スーパーマリオの真似までしたのはそのためだ。そして招致に成功すると安倍総理は開催の時まで総理でい続けるロードマップを作製した。

 祖父の岸信介が東京五輪招致に成功しながら日米安保条約を巡って退陣を余儀なくされ、開催の時まで総理を続けられなかったことから、安倍総理は「招致も開催も自分」にこだわった。それが実現すれば総理として戦前の桂太郎の憲政史上最長在任記録を抜き、また戦後の佐藤栄作の連続在任記録をも抜くことができる。

 そのロードマップに沿って、安倍政権の経済や外交政策は立案され、勝てる時に解散総選挙を実施して必ず勝つ方式が考え出された。安倍総理の政治は「やってる感を見せる政治」とよく言われるが、私はアベノミクスが騒がれた時から、国民という馬の鼻先に「ニンジン」をぶら下げる政治だと書いてきた。

 国民にはおいしそうに見えるが決して口には入らない。でももう少しで口に入ると思わせて国民の支持を取り付ける。ロシアとの北方領土返還交渉も鼻先にぶら下げられた「ニンジン」だった。前進しているように見せるが決して成就しない。拉致問題も同様である。狙いは問題を解決することではなく、解決しないようにして時間を稼ぐところにある。

 政治の世界には昔からあるやり方だ。例えば「ここに道路を作る」と公約して選挙で当選した政治家が道路を作ってしまえば、有権者はその政治家の役目は終わったと考え、次の選挙で応援しなくなる。それをさせないために、少しだけ道路を作り、自分を当選させないと道路は完成しないと訴える。その連続が選挙に勝つ方法だと言われてきた。

 安倍総理が東京五輪まで総理を続けるためには、次から次に「ニンジン」を国民の鼻先にぶら下げる必要があった。世間は「経済の安倍」とか「外交の安倍」と言うが、それらはいずれも「ニンジン」だったと私は思う。一見魅力的だが実現しない。実現しないから政権は継続する。ただし目標である東京五輪だけは実現しなければならなかった。

 コロナ禍がなければ東京五輪は今年の8月9日が閉会式だった。その2週間後の23日に安倍総理は佐藤栄作の連続在任記録に並ぶはずだった。東京五輪の時に現職総理でいればその日は歴史的記録達成の日としてメディアで盛大に報道されていたはずだ。そして安倍総理は岸田政調会長に総理の座を譲り岸田氏を裏から操る。

 ハト派色の岸田氏に憲法改正の旗を振らせ、野党を巻き込んでの憲法改正に道をつける。国民もハト派の憲法改正なら警戒しないので、初の国民投票が実現する。そこで安倍氏は再登板に乗り出し、郷里の先輩桂太郎と同じ3度目の総理就任を果たす。そして祖父の悲願だった9条改正を果たすのである。

 その構想は今年の1月までは生きていたと思う。通常国会冒頭の施政方針演説はだから東京五輪一色だった。東京五輪の後は岸田氏に「禅譲」する気でいたから、その先の方針は演説に盛り込まなかった。ところが直後にコロナが安倍構想に襲い掛かる。コロナは「観光立国」を直撃し東京五輪開催を阻んだ。安倍総理の計画は根底から覆された。

 それでも安倍総理は東京五輪中止ではなく1年延期で踏みとどまった。そして「コロナに打ち勝った証として」と来年の五輪開催を決断した。かすかな望みだが米国大統領選挙を勝利するためワクチン開発に力を入れるトランプ大統領に頼み、ワクチンの力で開催にこぎつけることを考えた。

 6月下旬に予定されていたG7サミットで直接交渉するつもりでいたが、日本以外の各国はサミット開催に否定的で、トランプも11月の大統領選挙後に日程を繰り下げ、安倍総理の望みはかなわなくなる。逆にトランプが選挙勝利を確実にするため、日本に在日米軍駐留経費の大幅増額を要求してくる可能性が出てきた。さもなければ在日米軍撤退を言ってくる可能性もある。それはこれまでの日米同盟を変質させ、安倍総理の外交力が問われる一大問題となる。

 安倍―トランプの親密関係の中で導入されたイージスアショアの導入断念を日本側が言い出したことや、自民党内で敵基地攻撃論が出てきた背景に、日米同盟の変質があるのではないかと私は考えているが、それらはいずれも安倍総理にとって難しい選択を迫る。

 また6月には河井克之・案里夫妻が公職選挙法違反の買収容疑で逮捕され、この8月25日から12月18日までの裁判で、100人を超える地元議員らが証言を行う。この事件の背景には、安倍政権が黒川東京高検検事長を検事総長に就任させようと人事介入した問題があり、検察と安倍政権の熾烈な戦いが予想される。

 場合によっては安倍総理の秘書が案里氏の選挙応援を行った問題や安倍総理と買収問題との関りが裁判で明らかになる可能性もある。安倍総理にとっては厳しい情勢が待ち受けていた。そうした場合、「クビを差し出す」ことで追及を免れるということがある。権力者が権力を手放せば追及する側も「武士の情け」でそれ以上のことはやらない。

 安倍総理が予想より早く辞意を表明した背景に何があるかについては、これ以外にも様々な事情があるかもしれない。しかし総理が病気を理由に退陣を表明した以上、そうした問題が発掘される可能性は低い。表向きはあくまでも病気の再発が原因とされて終わる。

 だが自らが主導した東京五輪の1年延期が実現する前に退陣することは、「コロナに打ち勝った証として」と発言した以上、コロナに敗れての退陣と受け取られることはあり得る。後世の歴史にはそう記録される可能性があると私は思う。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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