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日本没落の「三十年」を終わらせることはできるのか

田中良紹ジャーナリスト

 平成の「三十年」が終わった年の大晦日、衝撃的なニュースが飛び込んできた。保釈中の日産のカルロス・ゴーン元会長が秘かに日本を出国し、レバノンに入国したのである。

 4月に裁判が開かれる予定で、そこで無罪を主張すると見られていたことから、なぜこの時期に保釈条件を破り、15億円の保釈金を没収されても出国を決意したのか、様々な憶測が生まれる。

 報道によればゴーン元会長は米国の広報担当者を通じて声明を発表し、「私はレバノンにいます。もはや私は有罪が前提とされ、差別がまん延し、基本的人権が無視されている不正な日本の司法制度の人質ではなくなります。私は不公正と政治的迫害から逃れました。ようやくメディアと自由にコミュニケーションできるようになりました」と述べている。

 日本とレバノンの間に犯罪人引き渡し条約はなく、レバノン政府が引き渡しに応じなければ、ゴーン元会長が再び日本に帰国して拘留されることはない。そうなればゴーン被告の裁判は開かれないままとなり、一緒に逮捕されたグレッグ・ケリー被告の金融商品取引法違反の裁判だけとなる。ゴーン元会長の特別背任罪は幕引きが図られる。

 ゴーン元会長が「米国の広報担当者」を通じて声明を発表したのは、グレッグ・ケリー被告が米国人であることと無関係ではないだろう。この事件では米国も東京地検特捜部によって逮捕されたケリー被告を擁護する立場にある。二人は日本の司法制度が基本的人権を無視し、政治的思惑によって動かされていることを告発することになる。

 そしてその後に何が残るか。国家の体をなしていない日本という国のかたちが世界に知られることになる。ゴーン元会長が言う通り東京地検特捜部が摘発した事件が無罪になることはまずない。特に世間を騒がせた事件であればあるほど無罪は無理だ。

 日本では被告が捜査段階での自供を翻し無罪を主張すれば裁判は長引き、資金が尽きるまで裁判を終わらせない。例えば「リクルート事件」で江副浩正氏は検察に誘導された自供を翻し、無罪を主張したため一審判決が出るまでに13年もかかった。

 そして一審で「判決文をよく読めば無罪に読めるがしかし有罪」という判決を受けた。「控訴すれば20年を超える裁判になる」と江副氏は考え、一審の有罪判決を受け入れてそれ以上戦うことを止めた。

 収賄容疑で逮捕された佐藤栄佐久元福島県知事は、一審で「有罪だが事実上は無罪」の判決を受けた。納得できずに控訴すると、二審でも有罪だが刑は軽減され、さらに収賄金額がゼロと認定された。そこで佐藤氏は最高裁に望みをつなぐ。しかし有罪は覆らない。東京電力の原発に協力的でない佐藤氏を日本の司法は無罪にできない「国家の敵」とみていたのだ。

 1年前のゴーン逮捕を私は「日本対フランス」の政治がらみの摘発と考えた。英国のブレグジットをフランス経済のチャンスと見たマクロン大統領は、ルノーによる日産子会社化を画策し、日本政府は子会社化を阻止するために民間企業の内部問題に東京地検特捜部を投入した。

 証拠が薄いためか、特捜部は被疑者の拘留を長期化させ、それが国際社会から「人質司法」の批判を浴びる。しかし批判を浴びれば浴びるほどゴーン被告が無罪になる可能性は低くなると私は見ていた。これまで検察と裁判所のもたれ合い、日本の司法制度の歪みを見てきた私からすれば、無罪は特捜部の解体的危機を意味し、日本の司法制度の根幹が揺らぐ。

 何をどう主張しても無罪にならないと考えたゴーン元会長は身の危険を犯しても、15億円を捨ててでも日本を脱出し、国際社会に日本の異常な司法と政治とメディアの関係を訴えようと思ったのかもしれない。

 これに対し日本の司法と政治とメディアは、ゴーン元会長がいかに「悪」かを強調して反論することになるだろう。そうした一連の攻防からこの国の歪んだかたちが炙り出されることになると私は思っている。

 そしてこの衝撃のニュースは私に、敗戦後の焼け野原から立ち上がり、44年かけて格差の少ない経済大国を作り上げた日本が、その後の「三十年」でものの見事に没落していった姿を、年の終わりに象徴したように思わせる。

 「三十年」前の1989年は、日本が明治以来の夢であった欧米に追い付き「坂の上の雲」に上り詰めたと言っても良い年である。世界の企業の時価総額ランキングで上位50社中32社が日本の企業、次いで米国が17社、そして英国が1社だった。

 それが「三十年」後、50社の中で米国が31社、中国7社、スイスが3社で、あとは英国、オランダ、ドイツ、フランス、ベルギー、メキシコ、韓国、台湾と並んで日本は1社に過ぎない。その1社はトヨタ自動車で50社中42位だが、韓国と台湾の企業が24,25位なのと比べると見劣りする。

 「三十年」前、つまり平成元年には世界企業時価総額ランキング上位10社中7社が日本企業で、トップのNTTと9位の東京電力以外はみな銀行だった。その頃の日本の銀行は世界に冠たる大銀行で、日本には世界中からマネーが流れ込んできた。なぜならその4年前の1985年に日本は世界一の債権国になり、世界中に金を貸しまくっていたからだ。

 敗戦国の日本がなぜそこまでになれたのか。日本人は勤勉だからと考える日本人が多い。しかし日本人は真面目で器用かもしれないが労働の生産性(価値を生み出す力)は昔から極めて低い。優秀な人間にどんどん仕事をさせるより、みんなで協力して仕事をする。あるいは落伍者を出さないように仕事をする国民性があるからだ。

 それでも日本は経済大国になれた。その理由はただ一つ米ソ冷戦があったからである。戦後すぐの米国はドイツと日本の報復を恐れて両国に軍隊を持たせない平和憲法を押し付けた。GHQのマッカーサーは日本を自分が統治していたフィリピンのような農業国にし、米軍基地も撤退させようとしていた。

 ところが1949年に中国に共産党政権ができると冷戦は本格化する。米国はソ連を仮想敵としてきたドイツと日本からの情報を必要とし、いったんは追放した旧軍人を秘かに復権させる。そして両国を経済的に優遇し共産主義化を防ごうとした。

 1950年に朝鮮戦争が起きると米国はそれまでの方針を転換する。西ドイツと日本に再軍備を求め、西ドイツは要求を受け入れて憲法を改正、ナチス時代とは異なる民主主義的軍隊を作って徴兵制を敷いた。上官の命令に反抗できることや兵役を拒否できる仕組みを導入したのである。

 この時に日本の吉田茂首相は憲法9条を盾に再軍備を拒み、代わりに武器弾薬を作って米軍を支援することにする。追放されていた軍需産業経営者が復権し、日本は工業によって戦後復興を遂げることになった。朝鮮戦争による戦争特需はまさに「天祐」だった。

 そこから日本政治のしたたかな構造が生まれる。国民の脳裏に9条神話をすり込み、それを社会党が主導する形にして、米国に対し、自民党に不利な要求をすると社会党政権が出来てソ連側に付くぞと思わせ、外交上の牽制の道具にしたのである。

 しかし社会党は選挙に決して過半数を超える候補者を擁立しない。だから全員が当選しても政権は奪えない。それをみんなで秘密にして米国をまんまと騙すことに成功した。自民党は表では憲法改正を主張しながら、しかし選挙で必ず社会党に憲法改正が発議できない3分の1の議席を与える。中選挙区制がそれを可能にした。それが「55年体制」の裏の構造である。

 米国を騙すには国民を騙す必要がある。国民の目にはいかにも自民党と社会党が「激突」しているように見せ、しかし互いが「万年与党」と「万年野党」の役割分担をする。国民は9条を守ることが世界を平和にすることだと信じ込まされ、それを梃子に日本はベトナム戦争でも自衛隊を派遣せず、後方支援することで金儲けに励んだ。

 朝鮮戦争とベトナム戦争で高度成長の波に乗った日本はその力で自動車や家電などの製造業を発展させる。しかし米ソ冷戦体制がある限り、米国は口が裂けても社会党政権が出来ても良いとは言えない。米国は日本の自民党に憲法改正しろと要求したが、その裏の構造には気づかない。

 米国がベトナム戦争に消耗する一方で、日本は出兵せずに金儲けに励んでいる。朝鮮戦争以来韓国の面倒を見てきた米国はその日本を看過できない。米国は日本に日韓国交正常化を要求し、米国の代わりに日本に金を出させて韓国の面倒を見させようとした。いま問題になっている日韓請求権協定はその時の話で、どさくさ紛れと言えばどさくさ紛れである。

 そしてそれでも日本の勢いは止まらない。日本経済の強さの理由は戦時中に作られた経済体制にあった。企業は株式市場から資金を得るのではなく、銀行からカネを借りて事業を起こす。銀行はカネを貸している企業を監督する。その銀行を大蔵省が監督する。そのため国家の政策があまねく企業にも行き渡る仕組みである。

 一方で企業は年功序列賃金と終身雇用制によって従業員の面倒を一生見る。国民健康保険制度や国民皆年金制度によって生活不安をなくし、企業のために国家のために頑張ろうという気を起こさせる。戦争のために作られた仕組みが戦後も残り、それがうまく機能した。

 また吉田茂の戦後復興はマルクス経済学者らの考えを採用していた。戦前特高警察に逮捕された経済学者有沢広巳を中心に日本の戦後復興はスタートした。大蔵省の税制は金持ちを作らない税制で、それが格差の少ない経済大国を作ることになる。

 日本経済の成長はいわば米国の富を吸い尽くすやりかただった。日本企業は外国で安売りを仕掛けることで市場シェアを獲得する。それはその国の企業を廃業に追い込む。「日本は失業を輸出する」と各国から批判された。特に米国はその被害を大きく受けた。

 トランプ大統領を支持する白人労働者のいる地域を「ラスト・ベルト」と呼ぶが、日本製品に押されて損害を受けた地域である。だからトランプ大統領の登場は米国の日本に対する「逆襲」と見ることが出来る。

 しかし「三十年」前までの日本はひたすら坂を上った。戦後の44年間は上り坂であった。それが下る一方の「三十年」を迎える。(続く)

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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