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米国の思惑通り隷属化の道を歩んだ平成の政治

田中良紹ジャーナリスト

 あと4か月ばかりで平成の時代は終わる。私は日本が高度経済成長を成し遂げ、米国がソ連に代わる脅威として「日本叩き」に力を入れた昭和の時代から、バブル崩壊を機に日本が「失われた30年」を迎える平成の時代まで、政治記者としてそのプロセスを見てきた。

 一言で言えば、昭和の時代は、戦争に敗れた日本が東西冷戦構造を巧みに利用し、経済で米国に追いつき追い越す一歩手前まで上り詰めたチャレンジの時代だが、一方の平成は、米国から逆襲され、日本経済の「血管」と言われた銀行が「血管」でなくなり、軍事面ではひたすら米国への隷属を強いられた時代だと思う。

 昭和の日本がチャレンジングでありえたのは、世界が米ソ対立という二極体制であったことによる。米国に占領された日本は米国に服従するしかないのだが、吉田茂は平和憲法を盾に再軍備を拒否し、朝鮮戦争に出兵しない代わりに軍需産業を復活させ、戦争で金儲けして日本を工業化する道を拓いた。

 その道を歩むには平和憲法を護り続けなければならない。第一次吉田内閣で農地解放を担当した大臣は後に社会党左派の理論的支柱となる和田博雄であり、また私的ブレーンには労農派マルクス経済学者の有沢広巳がいた。有沢は「傾斜生産方式」を提唱し戦後日本の経済復興に貢献するが、後に共産中国に市場経済と社会主義が両立することを教えた。

 いわゆる「55年体制」で万年野党の役割を演じた社会党は、政権交代を目指さずに護憲政党であることを基本としたが、憲法改正を阻止する3分の1以上の議席を得ることが可能だったのは中選挙区制のおかげである。自民党中枢は社会党の議席を減らさないことを暗黙の了解事項としていた。

 そして自民党は米国に対し、軍事的要求が大きすぎると日本国民が反発して社会党政権ができると米国を脅し、米国は冷戦構造がある以上日本の言い分を聞かざるを得なかった。こうしてベトナム戦争でも日本は人的貢献をせずに戦争特需で金儲けに励むことができた。

 その結果、日本は驚異的な経済成長を実現する。これに対してニクソン大統領は、共産中国と手を組むことで日本の政治的立場を弱め、また為替を変動相場制にすることで日本の輸出を押さえようとしたが、それでも日本経済の勢いは止まらない。昭和60(1985)年ついに日本は世界一の債権国となり、米国が世界一の債務国に転落した。

 そこから米国の逆襲が始まる。その年9月の「プラザ合意」で米国は大幅な円高を要求し、それで日本の輸出産業は大打撃を受けた。また2年後の「ルーブル合意」で日本は低金利政策を飲まされ、さらに米国から「内需拡大」を強制された。日本が貿易で稼いだ巨額マネーは株と土地に向かい、そこからバブルが生まれた。

 日本型資本主義の特徴は、企業が株式市場で資金を集めるより、銀行から融資を受けて事業を行うところにあった。貸し手の銀行は企業の経営に口を出し、その銀行を旧大蔵省が監督することで、国家が間接的に国内企業をコントロールする。そのため日本経済を人体に例えれば銀行は「血管」に当たると言われた。

 低金利は銀行の利益を減少させる。バブルで値上がりするのは株と土地だから、日本中の銀行が株と不動産に投資した。その結果、銀行は地上げを通じて闇社会とつながり、闇社会に付け込まれて莫大な不良債権を抱えるようになる。

 平成元(1989)年12月、株価が4万円近い史上最高値を付けたのを最後にバブルは崩壊する。日本経済の「血管」は不良債権に苦しみ、米国の「ハゲタカ」ファンドに食い散らかされ、経営統合せざるを得なくなり、日本経済は変質を余儀なくされた。

 しかも平成元年にベルリンの壁が崩れて冷戦構造は終焉に向かう。冷戦構造がなくなれば、昭和の時代に日本政治が米国をけん制したレトリックは通用しなくなる。つまり平和憲法を盾に社会党に国民運動をやらせて米国を脅す手法は無効になった。

 冷戦構造が崩壊した後の日本は、昭和とは異なる戦略を作り出さなければならなかった。しかしバブルに酔った日本人にはそれが理解できていないように私には見えた。私はその頃米国議会を取材していたが、湾岸戦争を巡って忘れられない苦い思い出がある。

 平成2(1990)年8月、イラク軍がクウェートに侵攻して領有を宣言した。明らかな侵略行為である。米国のブッシュ(父)大統領は国連の安全保障理事会でソ連も含めた賛成を得、国連加盟の36か国が自主的に軍隊を派遣する多国籍軍を作り、イラク軍を撤退させることにした。冷戦が終わったからこそできた集団安全保障の行使である。

 この時、ドイツは軍隊を派遣して非軍事的任務を行った。しかし日本は135億ドルという巨額なカネを支出して自衛隊を派遣しなかった。当時の小沢一郎自民党幹事長だけは自衛隊派遣を主張したが、野党のみならず与党からも反対された。これが平成政治の最大の分岐点だったと私は思う。

 国際社会は日本に厳しく反応した。当時の日本は米国を上回る勢いの経済大国である。米国議会からは「日本経済の生命線は中東の石油である。その中東で戦争が起きている時に自分の問題と考えず、ひたすら米国にカネを差し出して頼って来た。大国になれると思っていたが、この国は永遠に米国の従属国だ」という声が聞こえてきた。

 日本を侮蔑の目で見た米国は、嵩にかかって日本を攻め立てる。「ショウ・ザ・フラッグ」とか「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と言って、日本に人的貢献を迫って来た。すると情けないことに湾岸戦争に自衛隊を派遣しなかった日本が、今度は無原則に米国の言いなりになったのである。

 平成15(2003)年のイラク戦争は国連が認めた戦争ではない。米国のブッシュ(子)大統領が9・11の報復として行った米国のための戦争である。だから多国籍軍ではなく有志連合だった。しかもイラクが大量破壊兵器を保有しているという開戦の理由は全くの嘘であった。

 その戦争に日本は自衛隊を派遣した。ドイツもフランスも反対した戦争になぜ日本は自衛隊を出したのか。訳の分かる説明は全くない。さらに有志連合に軍隊を派遣した米国はもちろん、英国も、ポーランドも、オーストラリアも開戦の理由が嘘だと分かると、政治リーダーはみな批判され、英国のブレア首相は任期途中で退陣させられた。しかし日本では誰も批判されず、誰も責任を取らない。なぜそうなるか。

 協力すべき戦争と協力してはならない戦争との区別がつかないからだ。冷戦時代の「平和憲法を護れ」の一点でしか戦争を考えないため、戦争はすべて悪だと考える傾向がある。それは倫理上は正しい。しかし現実を見れば、日本は自衛隊を戦場に送らなかったが、戦争で金儲けしたのは事実である。そこは倫理上どうなのか。

 国連主体の集団安全保障としての戦争に協力することと、米国が主体となる戦争に協力することでは全く意味が異なる。昭和の政治は冷戦構造を利用し「平和憲法を護れ」の一点を国民運動にすることで米国をけん制し、経済成長を達成したが、冷戦構造が終わった平成の政治は「平和憲法を護れ」の一点だけでは対応できない。

 沖縄総領事を務めた元米国務省のケヴィン・メアは「日本の平和憲法は米国の利益になる」と語っている。日本に平和憲法を護らせれば、日本は軍事的に米国に従属するので、何でも言うことを聞かせることが出来るという意味だ。平和憲法は今や米国が日本から金儲けする道具なのである。

 そう考える時、平成の政治にもう一つの分岐点があったことを思い出す。平成19(2007)年11月に福田康夫総理と民主党の小沢一郎代表との間で交わされた「大連立構想」である。参議院選挙で自民党が大敗し、福田政権は「衆参ねじれ」で何も決められなくなった。その時、福田総理と小沢代表は大連立の条件として日本外交を「日米基軸」から「国連基軸」に移すことで合意した。

 冷戦が終わった時、宮沢総理は「これで日本も平和の配当を受けられる」と発言したが、私が取材していた米国議会では、ソ連崩壊後の世界が平和になるとは誰も考えておらず、むしろ世界は混沌とすると考えられてCIAは強化された。

 また国務省と国防省が作成した国防計画指針(DPG)には、冷戦後の米国の敵として「ロシア、中国、ドイツ、日本」の名前が明記された。にもかかわらず日本では冷戦後の生き方についてどこにも議論がなかった。私が初めてそれらしいと感じたのが、この「大連立構想」に於ける外交基軸の転換を知った時だ。

 しかし「大連立構想」は民主党内から反対されて実現せず、幼稚な民主党政権の誕生で外交基軸の転換は図られなかった。私は民主党政権は官僚をコントロールできないとみていたがその通りになり、そのマイナスの印象によって再び安倍晋三政権が誕生する。

 昭和の時代が米ソ二極体制だとすれば、平成の時代は米一極体制である。安倍政権はそのせいかとにかく米国の言いなりになった。私の知る米国は日本を隷属させてカネをむしり取るのが利益と考えている。そのため自立のための憲法改正はさせない。自衛隊を軍隊にせず米軍の一部として使えれば良い。

 在日米軍基地を維持するには日本の周辺に脅威の存在が必要である。従って北朝鮮は米国にとって必要な存在だ。安倍政権は北朝鮮の脅威を理由に平成26(2014)年、集団的自衛権を容認する解釈改憲を行った。これが米国には最も利益になるやり方である。だからそれ以降、米国から憲法改正の要請はないと安倍総理は語っている。

 こうして安倍総理の憲法改正は、米国の思惑通り自立への道ではなく隷属化への道を極めることになった。憲法改正に賛成するのも反対するのも馬鹿馬鹿しいと思える程度の憲法改正の動きが始まった。しかし平成の終わりになると、米一極体制に終焉の気配が訪れる。それはトランプ大統領の登場によって決定的になる。

 トランプは米一極から多極化させることを狙っているように私には見える。中東をロシアの管轄下に置き、力を入れるのは北朝鮮の金正恩との間での冷戦体制の終結である。北朝鮮を第二のベトナムにして国際社会に取り込む。そのためにはロシアと中国の協力も必要になる。現在は中国と激しい覇権争いをしているが、これもどこかで手を組むことはありうる。

 昭和の終わりに日米が激しく経済戦争をしていた時、米国は日本を徹底的に批判しながら、しかし同時に日本の持つ凄さを評価していた。そして日本を押さえるために育て上げたのが韓国と中国だ。そのため日本の家電メーカーは韓国に追い抜かれ、また米国と中国は軍同士が日本製電池を上回る性能の電池を共同開発していた。

 中国で優秀なIT技術者を輩出している精華大学を作ったのは米国である。米国人が学長を務めていた記憶が私にはある。そして中国共産党の若きエリートたちはみな米国留学を経験している。米国と中国の関係は表に見えているほど単純ではない。

 日本は湾岸戦争で大国になり切れない弱さを露呈したが、中国は米国との貿易戦争で決して譲歩せず大国の振る舞いをやめない。私は両者が最後は共存の道を探る可能性があるとみている。行きつく先は米中ロの三極構造ではないか。

 とにかく平成が終われば、紆余曲折はあるだろうが、世界は米一極から多極化に移行する。その時が米国に隷属するしかなかった平成の政治が次へと転換する時になる。そのための戦略を今から磨いておかなければならないと思う。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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