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国益というより私益に振り回される暑い暑い夏を迎える

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(312)

文月某日

都議選で自民党が記録的な惨敗を喫し、議席数を半減させ第一党の座を都民ファーストの会に譲ったことは、否が応にも10年前の7月を思い出させる。

2007年の7月に自民党は参議院選挙で改選議席を半減させ初めて第一党の座を民主党に明け渡した。地方選挙と国政選挙の違いはあるが、いずれも安倍政権下で起きたことである。 

参議院選挙に敗れた総理は責任を取って辞任するのが自民党の常識だった。しかし安倍総理はその常識を守らずに「続投」を表明したことから様々な波紋が生まれ、2か月後にはぶざまな退陣劇を演ずることになった。それが10年前の出来事である。

自民党は冷戦体制に符合するように結党され一貫して政権を維持してきたが、初めて国政選挙に敗れたのは冷戦崩壊寸前の1989年の参議院選挙であった。リクルート事件、消費税、宇野総理の女性スキャンダルが国民の反発を買い、社会党が大躍進する結果になった。宇野総理は直ちに退陣を表明、海部内閣が誕生した。

次に自民党が参議院選挙に敗れたのは1998年で、橋本総理の経済政策が批判され、改選議席を16減らした。橋本総理は即日退陣を表明し小渕内閣が誕生する。参議院選挙で敗れても衆議院が多数なら政権交代にはならないので総理を続けることは可能である。しかし参議院の過半数を失えば予算以外のあらゆる法案が成立しなくなる。宇野、橋本の両総理はいずれもその責任を取って辞任した。

ところが10年前の安倍総理は敗北が確実な選挙開票の途中で「続投」を表明した。党内から退陣要求が出る前に「続投」路線を固めておかなければと思ったのだろう。しかし衆参の「ねじれ」で予算以外の法案が成立しなくなることを安倍総理は分かっているのか、またリーダーの責任を感じていないのかと当時のフーテンは思った。

今回は地方選挙の敗北であるから参議院選挙ほどのインパクトはない。しかし開票当日の夜に安倍総理がとった行動は10年前の記憶、すなわち開票が終わらぬうちに「続投」を表明した総理の不安心理と権力者としての資質を再びフーテンに思い起こさせた。

その夜、安倍総理は麻生副総理、菅官房長官、甘利衆議院議員という第二次安倍政権を誕生させた三人の中心人物をフランス料理屋に招き、安倍政権の「続投」を確認し合ったのである。おそらく確認しあわなければその後の政権運営が不安でたまらなかったのだろう。

10年前の開票中の「続投」表明も批判にさらされたが、今回のフランス料理屋の会合も党の総裁が今後の党運営に大いに影響する選挙当日に党本部に顔も見せず、「お友達」とだけ高級料理店で結束を確認しあったと批判されている。

これからの政局は10年前と同様、内閣改造人事と国会の召集時期が焦点になる。その駆け引きが暑い夏に展開される。10年前は国全体が弛緩するような猛暑だったが、今年もまた暑い夏になることが予想されている。

安倍総理は秋葉原駅前で「帰れ!」コールをした人たちを一部の「反安倍」活動家として批判をかわそうとしているが、「反安倍」は都議選の始まる前からむしろ自民党の中に逆風として吹いていた。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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