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ハワード・ベーカー氏の忘れえぬ想い出

田中良紹ジャーナリスト

先月末、アメリカ政界の重鎮であったハワード・ベーカー氏が亡くなった。ベーカー氏は日本で言えば幹事長に当たる共和党上院院内総務を1977年から85年まで務め、議員を引退してからはレーガン政権で大統領補佐官、ブッシュ(息子)政権では駐日大使を務めた。大統領になってもおかしくなかった人物である。そのベーカー氏に私は忘れえぬ想い出がある。

私がベーカー氏にお目にかかったのは1989年の秋、氏が大統領補佐官を退任しワシントンで弁護士事務所を開いていた頃である。アメリカの政治専門チャンネルC-SPANのブライアン・ラム社長から紹介された。

私は1985年から自民党田中派を担当する政治記者であった。ロッキード事件の一審判決で有罪となった田中角栄氏が、復権を目指して派閥の膨張に力を入れる一方、自派閥からは総理候補を出さず、中曽根康弘氏を総理に据えて陰で操っていた時代である。

有罪判決で野党から突きつけられた「議員辞職要求」をかわすため、角栄氏は「自重自戒」と称して目白の私邸に引きこもっていた。「誰とも会わずに退屈しているから話の聞き役になってくれ」と秘書の早坂茂三氏から頼まれ、私は目白通いを始めた。

顔を合わせると角栄氏は溜まっていた思いをぶちまけるように一方的にしゃべりまくる。政治の昔話も裏話も実に面白く、しかし新聞やテレビが報道する政治と実態とはまるで違っていた。私は「目からウロコ」が落ちた。

メディアは自民党と社会党を「対決している」と報道したが、実は誰も知らないところで手を握り、絶妙な役割分担で、様々な要求を突き付けてくるアメリカに立ち向かっていた。しかしそれは政治家もほとんどが知らない。

角栄氏の話は政治の奥深さを感じさせるが、一方ではロッキード事件が国民の「政治不信」を高め、自民党単独政権そのものが危機的状況に陥っていた。そして私は国会審議の形骸化に強い危機感を持っていた。

国民の多くはNHKの国会中継でしか国会を見る事は出来ない。すると野党は国民受けを狙ってスキャンダル追及ばかり行う。それで国民の「政治不信」はさらに高まる。そしてNHKは国会審議のごく一部しか中継しない。そうなると議員はますます中継される審議だけを意識する。そして国民には政治の真の姿が見えなくなる。

NHKがすべての審議を中継すれば良いのだが、NHKは国会ばかり中継する訳にはいかないと言う。そこで私は世界の議会はどうなっているかを調べた。すると欧米が議会中継を認めてこなかった事、70年代の終わりにようやくアメリカに議会専門のケーブルテレビ局が誕生した事を知った。

欧米がテレビ中継を認めなかったのは、議員がテレビを意識し国民受けを狙うポピュリズムが蔓延するからである。ポピュリズムは民主主義を最悪にする。一方でアメリカは70年代半ばにベトナム戦争に敗れ、建国以来最大の政治危機に陥っていた。そこにポピュリズムを排した議会中継を考えた男が現れた。

ペンタゴンで広報を担当していたブライアン・ラムという男である。ラムは、編集も解説も行わず、しかも視聴率を追求しないチャンネルをケーブルテレビに作る事を提案した。ケーブルテレビのベーシック・サービスに組み込めば、視聴世帯すべてに行き渡り、しかも加入者が支払う基本料から分配を受け取ることが出来る。

しかしこの構想に連邦議員たちは反発した。自分たちの力量を国民に知られてしまう事になるからだ。その時、議員の中から賛成に回ったのがハワード・ベーカー共和党上院院内総務である。ベーカー氏は、ニクソン大統領が民主党事務所の盗聴に関与したウォーターゲート事件で特別調査委員会の副委員長を務め、党派を超えた公正な姿勢で名声を高めていた。

その大物議員が賛成した事もあり、議会中継専門局C-SPANは1979年にアメリカに誕生した。89年に私がC-SPANを訪れ、ラム社長と意気投合した事から、日本にもC-SPANのようなテレビを実現させようと思った時、ラム社長からベーカー氏を紹介された。

しかし日本にC-SPANを作ることは至難の業であった。放送業界でのケーブルテレビの位置づけがアメリカと日本とでは全く違ったのである。アメリカでは既存の地上波テレビに挑戦する新規参入業者は政治が普及を支持した。しかし日本では地上波テレビに挑戦する事を許さない空気があった。政治も一筋縄ではいかず、紆余曲折があって時間だけがかかった。

1998年にようやくCS放送に「国会TV」という専門チャンネルを誕生させた時、ワシントンのベーカー氏から私にビデオメッセージが送られてきた。「田中さんは長い苦労をしたが、日本にもアメリカのC-SPANのようなテレビが誕生した。C-SPANは今やアメリカ民主主義に欠かせない存在です。きっと国会TVも日本の民主主義に不可欠のものになるでしょう」という励ましのメッセージだった。

ベーカー氏のビデオメッセージを流すところから「国会TV」の放送は開始された。しかしやはりアメリカと異なり、ベーシック・サービスとして全加入者に視聴させ、基本料から分配を受け取る仕組みが日本にはできなかった。

ベーカー氏が駐日大使として赴任してきた2001年、残念ながら「国会TV」は衛星料金が支払えないとの理由でCS放送を打ち切られた。アメリカでは公共性のあるC-SPANは衛星料金を免除されている。そこもアメリカと日本は違った。従ってベーカー大使がC-SPANの日本版である「国会TV」を目にする事はなかった。私は合わす顔がないという心境だった。

昨今の政治はアメリカも日本も党派性とポピュリズムが強まり、ベーカー氏のような政治家は少なくなった。少なくなったというより絶滅状態と言った方が良いかもしれない。それでもアメリカにはC-SPANが存在している。しかし日本では今でも予定された審議以外テレビ中継される事はない。そして国会審議の形骸化は全く昔と変わらない。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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