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台湾との「断交50年」 世界で初めて実現した形はなぜ生まれたのか

田中美帆台湾ルポライター
断交後にできた日本台湾交流協会前。事件直後、安倍元首相を追悼する市民(筆者撮影)

世界初の断交を果たした台湾と日本

 「台湾と日本の断交は、世界で初めて実現した形です。外交関係というのは、皆さんが考えているようにスパッと切れるわけではありません。断交後にどうやってビザ発給するかなどを双方で話し合い、合意してから、断交したんですよ」

 こう話すのは鄭世松さん。日本式で数えると91歳になる。戦前日本統治下にあった台湾で、1931年に生まれた。戦後、台湾大学卒業後、台湾銀行に勤め、長く金融界の第一線で活躍したバンカーである。2013年には日台関係への多大なる功績が認められ旭日中授章を受賞した。

 今年5月から筆者は鄭さんの子ども時代から遡るライフヒストリーを伺っている。その中で、日本と台湾が断交した当時の話にも及んだ。

 通常、両者の断交は「日華断交」と呼ばれる。日本と中華民国の間で外交関係が断たれたからだ。聞き慣れない人がいるだろう。断交は1972年で、2022年の今年50周年を迎える。学校では近現代史を習わなかった筆者が、にもかかわらず記憶している1972年の歴史的事柄は「日中国交正常化」である。恥ずかしい話だが、この日中国交正常化によって日本が台湾との正式な外交関係を断った、そう理解できたのは比較的最近のことだ。

 1972年は日中国交正常化であると同時に、日華断交の年でもある。50年続くこの事態が、どのようにして起きたのか。最近の揺れ動く状況をどう受け止めればよいのか。

大使館のない台湾

 日本の外務省サイトには、世界各国地域の面積や人口、言語といった一般事情とともに、当該地域と日本がどのような関係にあるかが記載されている(リンク)。

 たとえば、アメリカ合衆国との二国間関係の項には「日米両国は、基本的価値及び戦略的利益を共有し、日米安保体制を中核とする強固な同盟関係にある。我が国は日米同盟を外交の基軸とし、地域情勢や安全保障、経済、地球規模課題等について、米国と緊密に連携して取り組んでいる」とある。

 では台湾はというと「非政府間の実務関係として維持されている」。台湾とは正式な外交関係にない現実が明記されている。

 正式な外交関係にないため、台湾には日本大使館も領事館もない。大使館がないとどうなるか。たとえば、大使館のある場所では国政投票ができる。だが台湾にはないから、戸籍のある役所から自分で投票用紙を取り寄せ、投票用紙を送る、という一段煩雑な手続きを踏まなければならない。ただし、日台関係民間団体として、「公益財団法人日本台湾交流協会」があり、パスポートの更新や証明書の発行といった手続きは可能だ。

 この状況が生まれた経緯を、鄭さんは次のように話す。

 「断交しても断交していないような交流ができるにはどうすればいいかを日本と台湾で相談して、日本は交流協会、台湾は亜東関係協会という団体をつくった。日本と台湾の50年の植民地の関係があったからできたことです。国際的にも珍しいんですよ」

「日中国交正常化」に含まれた意味

 改めて「日中国交正常化」について、ひも解いておく。

 日本の首相として戦後初めて、田中角栄元首相が中国に渡ったのは1972年。9月29日、「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する」に始まる日中共同声明によって日本と中国は国交を回復させた。共同声明の全文は、外務省のページに掲載されている。

 ずっと意識したことはなかったが「正常化」という文言に、共同声明でいう「不正常な状態」だった、という外交上の前提が色濃い。これについて、外務省入省後、日中交渉の場にいた外交官・栗山尚一氏は著書で、次のように振り返る。

 サンフランシスコ体制を受け入れることによって得られた利益は(略)極めて大きかったと言えるが、その代償として失ったものは何だろうか。吉田総理にとって不本意だったのは、米国の強い要求で、中国との国交回復の相手として台湾の中華民国を選ばざるを得なかったことである。その結果、大陸の中華人民共和国との関係正常化が20年遅れた。しかし、その間の中国の混乱を考えると、正常化の遅れがわが国の国益を害したとは思われない。(『戦後日本外交』岩波書店、2016)

 そのうえで栗山氏は、「この間に育った台湾との友好関係は、日本の重要な資産であることも忘れてはならない」と付け加えている。

今と真逆だった国際情勢

 日本と台湾が断交し、日中国交正常化が成立した背景も、今とは違った国際情勢が横たわっていた。先述の栗山氏の著書から再度、引用する。

 1969年に米国にニクソン政権が登場し、客観情勢が大きく変わったことにより、日本の対中外交に大きな展望が開けた。ニクソン政権にとって焦眉の急の外交課題は、米国のグローバルな地位と威信を失わずに、泥沼化したベトナム戦争を収拾することであり、そのためには、北ベトナムを支援している中華人民共和国の協力を取り付けることが不可欠であった。しかし、ニクソン大統領の念頭には、より大きな戦略的構図があった。すなわち、近年尖鋭化しつつあった中ソ対立に着目し、中国との対話を通じ、米vs中ソの二極関係に代わる、米ソ中の三角関係を構築することにより、冷戦の主たる相手であるソ連との関係において、米国を優位に置こうという狙いであった。(同掲書)

 今年8月4日に米下院のナンシー・ペロシ議長が訪台したことに端を発し、中国は台湾海峡で演習を繰り返すと、今度は米上院議員が訪台。台湾を挟んで、米中の対立構図がにわかに浮かびあがってきた格好だ。新しい局面を求めているのは、中国でも台湾でも、ましてや日本でもないようだ。

台湾のある位置

 現在の中台の関係について、鄭さんはこう話す。 

 「今、台湾があるからこそ台湾海峡が自由に通れるわけ。台湾が中国に取られたら、それこそ台湾海峡が通れなくなりますよ。昔、なぜオランダが台湾まで来たか。その時のアジアの中国と日本を押さえるために台湾に来たわけです。それだけ台湾は、太平洋における地政学上の一番大事なポイントです。だから中国も下手に手が出せないし、アメリカも同じ。台湾を現在の状態に置いて存在させたほうが世界のためにいい。それで今、台湾は保っているわけです。でなければ、とうの昔に中国にやられてますよ」

 確かに、中国が軍事演習を始めたのも、議長が台湾を離れた後だった。

 台湾問題は、ともすると、中国が台湾にどうするか、両者の関係が日本にどう影響するか、主に軍事的な文脈で語られがちだが、それだけで事態を判断するのは視野狭窄ということだろう。

 「結局、台湾が中国とうまく外交関係を築くことができれば、日台関係、日韓関係もうまくいきます。そのためには、まず中国にとって台湾が、今の形で存在するのが中国にとってベストだという関係をつくる必要がある。たとえばハイテク技術。中国は他の国から取れないけれども、台湾を通して技術を得ている。逆に言えば、台湾は中国に対して、いつでもそういうものを渡すことができる政治的経済的体制をつくればいい。それがあれば、中国は台湾を今の形で残すはずですよ」

 相手ばかりを見るのではなく、視野を縦にも横にも広げてみると、景色はずいぶんと異なるものになる。ただし、それには今、問題がある。先の栗山氏の著書にこんな一節があった。

 「外交交渉は政府、外務省、与党、そして世論が一本となって当たらなければ、十分の成果を挙げることができない」とは、当時外務省の条約局長として交渉の裏方を支えた下田元大使が日ソ交渉の『貴重な教訓』として残した言葉である。(同掲書)

 外交関係は、政府、外務省、与党だけがつくるものではない、ということだ。経済関係や文化交流、民間レベルでの交流など、違う形で相手との関係を築き、強固にする道はある。そういった「友好関係」を地道に築いてきたのが、日本と台湾ではなかったか。

個人生活にも及ぶ外交関係

 台湾と中国、そして日本との正式な外交関係なんて、個人にはまるで関係ないと考える向きもあるだろう。筆者もそうだった。台湾人夫と日本で入籍するまでは。

 通常、国際結婚では、日本と相手国の両方で婚姻の手続きを行う。日本での手続きをした役場で受け取った書類の夫の欄には「国籍 中国」と書かれていた。その文字を見た夫は、怒りに震えた。正式な外交関係にない、ということに正面から向き合わされた瞬間だった。

 今考えると、無知がもたらした動揺だったといえる。今もなお、あの時どうすればよかったのか、答えはない。あれから10年近く経ち、やっと自分の身に起きたことの根本に近づいた、という程度だ。

 それでも思う。外交問題、政治課題も大事だが、主語が大きくなると、途端に人の顔が見えなくなる。国の優位性のために、個人の生活が犠牲にされていいはずはない。どちらも人の暮らしを支える最善の道を歩むよう願う。

台湾ルポライター

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。雑誌『& Premium』でコラム「台湾ブックナビ」を連載。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。

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