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台湾旅行ガイドブックの裏側に見える構造的課題。メディアのコンテンツ軽視は海外にも及ぶ。

田中美帆台湾ルポライター
台湾旅行にまつわる情報はすべて現地の誰かが時間をかけて集めてきたものだ(写真:イメージマート)

露呈しはじめたメディアの構造的課題

 2024年1月は、メディアのあり方について次々と議論が起きた月だった。

 1つはバラエティ番組。ロケ取材を受けたことのない飲食店を探す企画だった。ロケ担当の出演者たちが店探しの段階で「取材しようと思わない」「これが最初で最後の取材」などと発言し、スタジオ出演者まで「失礼」と言い出した。放送後のSNSでは視聴者から、失礼すぎる、チャンネル変えた、もう見ない、といった指摘が相次いだ。

 2つめはドラマだ。ドラマで実写化されたコミックの原作者が自死という事態になった。関係者やファンからは、メディアミックスの際にトラブルが生じやすいこと、クリエイターの権利保護が必要、という声が挙がっている。

 2つのタイミングが重なったのは偶然ではない。SNSでは以前から、メディアの謝礼問題として取材する立場と取材を受ける立場、あるいはコンテンツ提供側に対するコンテンツ制作者の姿勢や倫理観に疑問をもつ声が後を絶たない。

 類似する事例はかなり前から台湾でも起きている。今回は、筆者が台湾で遭遇した事例から見えるメディアの課題を整理したい。

現地で遭遇した傲慢な姿勢

 筆者が台湾に定住してしばらく経つと、知人を通じて編集やライターの仕事に声がかかるようになった。なんのことはない、渡台前に出版社で編集者をしていた経験があったからだ。

 最初に疑問を感じたのは、渡台したその年のこと。

 ガイドブックの編集者が来ると知人から紹介を受け、台北で会うことになった。待ち合わせには、相手の宿泊するホテルのロビーを指定された。

 携帯の番号は伝えていたが、当日、時間になっても約束の相手が来ない。ウロウロしていたら、食事を受け取ったばかりという相手に遭遇した。聞けば、注文していた朝食がずっと出てこなかった、と言い訳だか遅刻の詫びだかわからぬ挨拶を交わし、相手の食事に付き合う形で面接を受けた。

 「で、どんなお仕事なさってきたんですか」

 語学留学で台湾に来たばかりという話は、どうやら伝わっていないようだった。

 「うちに署名入りで原稿書くことになったら、それなりに認められたってことにはなると思うんですけどね」

 大手の版元だったが、話の大半はこれまでに相手が遭遇したライターの失敗例で、合間に権力をちらつかせる口ぶりにドン引きした筆者は、紹介者に事情を説明して断りを入れた。

 それから1、2年経った頃、ある大手ガイドブック案件が舞い込んだ。編集者の説明によれば、取材先への謝礼はないことが前提となっていた。であれば、せめて見本誌の提供はあるだろうと思いながら「取材先への見本誌の送付はどうなるのでしょうか」と訊ねた。

 「弊社では通常、見本誌はお送りしていません」

 呆気にとられた。ガイドブックの取材先といえば台湾にある各種店舗である。飲食店への取材なら料理の提供を受ける。こちらが料金を払おうとしても受け取らない店がないわけではないが、取材中は、お客さんに席を譲ってもらったり、待たせたり、あるいはせっかく来てくれたお客さんが入れないことだってある。営業に支障を来すのだ。そうやって誌面制作に必要な情報を提供してもらうのに、なんの礼もない、という。そのやり方に納得できず、返すメールで断りを入れた。

 次に仰天したのは、通訳として参加したガイドブックと全く同じ内容の、ミニ版を書店で見た時だった。関係者に確認したら、版元から連絡はなかったという。写真も原稿も買い切り契約で印税契約ではないとしても、二次使用料という概念はどこへ?とぶん殴られたような気持ちになった。

 昔、筆者が担当していた月刊誌は、毎号、執筆者だけでなく、取材協力者や情報提供者に掲載誌を送付した。社によって対応は異なる、と言われたらそうかもしれない。あの予算は、そんなにも特別なことだったのか。「掲載してやるんだから、広告料をもらいたいくらいだ」という声も聞いた。

 考えてみてほしい。もしあなたが取材を受ける立場だったとして、どんな内容で掲載されたのか確認したい、と思うのは当然のことではないだろうか。もちろん掲載する情報量によって1冊でなくてもいい場合はあるかもしれない。

 台湾で取材を続ける知人は、去年、取材先でこんなことを言われたと明かしてくれた。

 「日本からの取材が増えてきたけど、え?無料じゃないの?と言われることが時々あってびっくりする。こちらがお願いして広告出しているわけじゃないのに」

 その通りだ。ガイドブックの側がお願いして、取材に協力してもらっているのである。その協力に対する礼を、経費削減を理由に拒むこと自体、相手の善意をないがしろにする行為で、実に失礼ではないか。

悪質な対応は現地で筒抜け

 海外在住のライターにとって大きな収入源となるのは、やはりガイドブック案件だろう。台湾は旅行者が多いから余計かもしれない。それでも、上記のような体験に加えて、刊行まで時間的に余裕のない企画が持ち込まれることは多い。最初から料金提示のない業務依頼もよくある話だ。取材先に確認したものとは違う内容の記事が掲載されてしまい、話が違うと定期案件を手放したこともある。

 「時間的にある程度の余裕をもって、業務内容と謝礼を明らかにした上で依頼する。そして取材先には見本誌を送る」

 そんな、ごく初手と思われる事柄がクリアされない。違和感でスタートした案件は、たいてい痛い目を見る——そんな経験を重ねるうちに、周囲に「ガイドブック案件はやりません」と公言し、ライターとして別の道を開拓しようと決めた頃、台湾に暮らして3年を過ぎていた。

 日本からのガイドブック案件が増え始めたのは2010年代に入ってからの傾向だ。その頃から現地で抱える課題も増えた。一度、台湾在住のライターや編集者に声をかけて情報共有の場を設けたことがある。台湾企画を進める日本メディアの担当者ともめた、という話を皮切りに、それぞれの抱える問題が次々と明らかにされた。

 その日、ベテランの方に対応の基本を教わり、悪質と思われる媒体名と担当者の情報をシェアした。それから業務請負の際の指針となる項目を洗い出し、各業務の参考価格や注意事項を一覧表にまとめた。資料は今も関係者に共有している。

良好な関係構築の積み重ねあってこそ

 ところで、ガイドブック案件を受けないと宣言した理由はまだある。

 ガイドブックは街歩きとトレンドウォッチが企画の核だ。ところが、グルメやファッション、雑貨にあまり興味を持つことができず、人気メニューより店の歴史に思わず身を乗り出してしまう筆者には、端的にいえば「向いていなかった」のである。実際にやってみて、自分の不向きを実感したといっていい。

 では通常、「現地の旅行情報」はどのような流れでガイドブックに掲載されるのだろうか。

 海外取材には、たいていコーディネーターが入る。コーディネーターは現地取材の要で、情報を把握しつつ、取材全体を仕切る役割を担う。

 こうした役割を担う人たちは、普段からリサーチを重ねている。GoogleマップやFacebook、InstagramなどSNSの他、現地メディアでの下調べはもちろん、気になった店舗には自ら足を運び、交通の便や味、店内の様子、客層、オペレーションなどを確認する。どれも旅の安全と快適のためといっていい。

 ガイドブックの場合、まず企画にあわせた取材先リストの選定が始まる。だから普段から取材につながる情報収集は欠かせない。積み重ねた情報の束から、編集部の求めに応じて店舗や商品情報をまとめて提供し、取材先の検討が行われる。

 そうして取材先への企画説明にアポ入れ、日程調整、ドライバーを含めた取材班のケア、取材中の通訳、原稿執筆から内容チェック、そして完成品の送付——下準備から完成後まで、現地で担う役割は幅広く、そして重い。

 日本から取材班が来ると、1日に回る取材先は10軒近くに及ぶ。1媒体の滞在は1週間前後で、取材は連日行われる。

 特に台湾の場合は、ガイドブックの他、女性誌、男性誌、ライフスタイル誌など紙媒体だけでなく、ネットメディアも取材に来るし、最近ではテレビ局やフリーランスの取材も増えた。メディアの種類と数が多様化しているだけでなく、エリアも台北から地方都市や離島まで分散・細分化する傾向にある。

 それでも他国に比べたら、人口は少ないので、現地情報は比較的入手しやすい。ただ、それだけに取材は一度きりということはなく、現地での関係は継続していく。だからこそ、現地在住者は対応をおろそかにできないのだ。

協働はリスペクトに始まる

 今回、筆者が過去の事例を持ち出したのは、同様の事例が最近でも起きている上に、経費削減のあおりで、さらに状況が悪化していることを見聞きしたからだ。

 今や台湾情報は、観光情報以上の内容と量が求められる時代に入った。ひとつだけわかっているのは、ガイドブックも雑誌もテレビもネットメディアも「さまざまな情報を編み直してできる情報の集合体」ということだ。当然のことながら、パーツとなる個別の情報がなければ成り立たない。そしてコンテンツ制作者が必要とするのは、その個別のコンテンツやその元となる情報だ。

 ここで言うコンテンツや情報とは、冒頭のバラエティ番組なら「ロケを受けたことのない飲食店」であり、ドラマなら原作コミック、そしてガイドブックなら台湾の店舗にあたる。それがなければ成立しない。

 昨今の出版業界は斜陽産業といわれ、メディアの影響力は弱まっている。今や個人で発信できるプラットフォームが増え、個人による収益化はコロナ禍で一気に加速した。

 そこへ追い討ちをかけるようにして、メディアのコンテンツ軽視が露わになったのである。

 経営する店が掲載されたはずの見本誌が提供されないと聞いた店の人は、果たしてどんな気持ちだっただろう。初めてテレビロケに協力した店の人たちは、番組のオンエアを見た時に、笑うことができただろうか。実写ドラマを見たコミックの原作者は、自ら命を絶ってしまった。目の前の売上部数やPV、視聴率を追い「葉を截ちて根を枯らす」行為が招いた結果、と言っていい。

 「メディア」とは本来、媒介者を意味しているに過ぎない。メディアがあるから情報やコンテンツがあるのではなく、情報とコンテンツがあってはじめてメディアがあるのだ。

 SNSの登場によって個人が情報発信でき、メディアリテラシーが叫ばれる今、メディアの側も媒介としての役割を見つめ直し、情報やコンテンツへの向き合い方を考え直すべきではないだろうか。さもなくば、情報やコンテンツのほうが、メディアから逃げてしまう。そんな日はそう遠くないところまで来ている。

 最後に。筆者が5年ほど寄稿している雑誌では、版元が見本誌を直送する。台湾の協力先に届くと、飛び上がるような喜びのメールをもらう。時に立ち寄った店舗で「紹介されました!」と日本の掲載誌を見かける。相手に対する感謝やリスペクトは、関係構築の第一歩だ。仕事や国境にかかわらず、取材相手に礼を尽くして気持ちよく仕事をしたい——それほどに難しい願いなのだろうか。

台湾ルポライター

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。雑誌『& Premium』でコラム「台湾ブックナビ」を連載。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。

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