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日本ではありえない?書店の店舗閉店イベントに5万人の人出 誠品書店に見る台湾の「読書」カルチャー

田中美帆台湾ルポライター
記者に囲まれ、マスクを外して会見に臨む誠品書店グループ董事長呉旻潔氏(撮影筆者)

撤退の本当の理由

 2020年5月31日の台湾台北。日本ではコロナで三密回避が叫ばれる中、まるで芸能人の結婚会見か謝罪会見のような密集ぶりを見せた場所がある。といっても行われたのは、離婚でも謝罪でもなく、台湾の代表的書店チェーンの店舗の閉店会見である。集まったテレビ、雑誌、新聞、さまざまなメディアの記者とカメラマンは全員、マスクを付けている。本来そこまで人が集まることを想定していない書店の一角は、その人いきれでうだるような暑さになっていた。

ビルの外には市が立ち、多くの人で賑わう。マスク装着の有無、体温チェックを受けて中へ(撮影筆者)
ビルの外には市が立ち、多くの人で賑わう。マスク装着の有無、体温チェックを受けて中へ(撮影筆者)

 誠品書店敦南店--

 台北中心部やや東よりに、環状型の交差点がある。敦南店は、その近くのビルの中。建物の前方から階段状になったエントランスをあがると、またすぐに大きな階段がある。少しきしむ音を確認しながら2階へ入ると、フローリングの床に包まれた本の海が待ち受ける。台湾に来てすぐの頃、ガイドブックでもとっくに誠品のことは紹介されていて、ホームステイ先の台湾人に行き方を聞き、ひとりでバスに乗った。店に着き、初めて訪ねた台湾の書店に幸せな気持ちに浸っていたのに、帰りのバス停が見つけられず、大汗かいたのを覚えている。

 誠品書店といえば、台湾きってのカルチャースポットだ。グループは、台湾だけでなく、香港、中国蘇州、そして昨年秋にオープンした日本の東京日本橋を加えて50店舗あった。このうち、敦南店は度重なる改装を経つつも、中核を担う店舗として位置づけられていた。手元のメモによれば、遅くとも去年の夏の段階で敦南店は2020年半ばにクローズすると聞いていた。だが、閉店の話を最初に耳にしたのは、それよりずっと前のことだ。

 ここで誤解のないように強調するが、今回のクローズは、日本ではすでに定説となってしまった出版文化の衰退といった類の話では決してない。

 理由は別のところにある。政府による都市再生計画の一環として、敦南店の入っていたビルの建て替えが行われるのだ。台北では連日あちこちで建物の取り壊しと再生が行われているが、それも「築30年以上の建物60万戸、それが全体の67%」という老朽化が背景にある。誠品敦南店はやむなく閉店した、という格好だ。地下5階地上12階あった同じビルの借主が次々と立ち退く中、誠品は最後の最後まで借主として残っていた。建て替え後は、地下6階地上28階の複合商業施設となる予定という。

敦南店最後の日と新コンセプトを得た信義店

 さて、最終日である。

 数日前から閉店のニュースはテレビで連日報道されており、映像からも、別れを惜しむ人の多さが見て取れた。覚悟はしていたものの、最終日の店内は桁違いだった。誠品書店に確認したところ「最終的に5万人が店舗までお別れに訪れ、オンラインでも100万人がアクセスした」という。驚異的な数だ。

5月31日午後の敦南店内の様子。閉店セールも行われ、レジの前にも会計を待つ列ができた(撮影筆者)
5月31日午後の敦南店内の様子。閉店セールも行われ、レジの前にも会計を待つ列ができた(撮影筆者)

 昼過ぎに到着すると、ビルの外には雑貨やスイーツを売る市が立ち、入店を待つ長い列ができていた。人の流れは止まらない。フルーツタルトを販売していた店員に話を聞くと「誠品さんからお話があって、今日だけここに店を開いたんです」という。店内だけでなく、店の外までプロデュースされていた。

 1階のエントランスには、閉店する夜12時までのカウントダウンを示す時計が置かれ、記念撮影コーナーが設けられていた。ここも、長い列だ。2階の書店部分に向かう階段は、全段を人が埋め尽くしている。そして、店内はどこも人、人、人。台湾の書店では恒例の、座って本を読む姿も健在だ。絵本の並ぶ一角には親子連れ、歴史書のコーナーには階段に座って読みふける年配者の姿があった。

カウントダウンの記念撮影コーナー。ここにも行列ができ、最後の別れを惜しんだ(撮影筆者)
カウントダウンの記念撮影コーナー。ここにも行列ができ、最後の別れを惜しんだ(撮影筆者)

 雑誌コーナーだった場所は、イベントスペースに替わり、一日中、作家や研究者、文化人のトークイベントが行われ、数十人単位の参加者が皆、チーク材を敷き詰めた床に座り込んで話を聞いている。誠品書店が標榜する、イベントなどの「動的な読書」と本を読む「静的な読書」は、最後の日までしっかり息づいていた。

元は雑誌コーナーだったスペースは、午前0時から午後6時まで1時間半単位で計12本のトークショーが行われた(撮影筆者)
元は雑誌コーナーだったスペースは、午前0時から午後6時まで1時間半単位で計12本のトークショーが行われた(撮影筆者)

 午後2時半、敦南店のアートコーナーに設けられた会見場に、大量のフラッシュ音とともに誠品書店グループの董事長であるマーシー・ウー(呉旻潔)氏が現れた。取り囲んだ記者たちは全員マスクを着けていると促され、彼女はマスクを外して会見が始まった。

「誠品の社員に向けてこう話したんです。生きていると、予期しない出来事や予期しない別れがあるものです。まだ余地があるのではないかと考えてしまうのは、仕方のないことです。それで考えると、私たちはむしろ幸運です。かなり早い段階で別れの日を知ることができ、それに向けて準備して、しっかりとお別れできるのですから。青春やさまざまな時期をこの店と過ごした人がたくさんいる。そのことを胸に、さらなる勇気とパワーをもって進んでいきましょう、と」

 数日後、敦南店の「24時間営業」を引き継いだ誠品書店信義店に向かった。

 2006年にできたこの建物は地下2階地上6階で、面積は敦南店の2.5倍、選定された本や雑貨は17万点を超える。本来、「閲読的博物館」というコンセプトで設けられた店舗である。MRT市政府駅からそのまま店内に入ることができ、書店、文房具はもちろん、地下のグルメ街から各種ブランドショップにセレクトショップ、体験型の店舗もある。3階の書店フロアのうち、料理本コーナーには、キッチンもある。

6月1日にグランドオープンした信義店。ここの3階が24時間営業を引き継ぐ(撮影筆者)
6月1日にグランドオープンした信義店。ここの3階が24時間営業を引き継ぐ(撮影筆者)

 平日の午後にもかかわらず、来店者の数は多く、店内に設けられているあちこちの座席スペースはどこも満席だった。そして、キッチンスペースでは、新刊紹介とともに、著者が料理を披露していた。24時間営業となるのは、全フロアではなく、3階限定だ。やはりここでも、動的な読書と静的な読書は同時に行われていた。

台湾の40代、50代が青春を過ごした場所

 閉店という感慨に浸っていたのは、むしろ集まった人たちのほうなのかもしれない。ふと、お客さんたちのやりとりが耳に飛び込んできた。

「うちがこの近所で、いつもここで本を買ってたんですよ」

「残念ですよね。私は若い頃から仕事帰りに必ずここに寄り道してから帰っていました」

 誠品書店の創業は1989年。どの店舗にも、それぞれオリジナルのコンセプトが設けられている。今回閉店した敦南店は、1999年に「24時間営業」を掲げてスタートした。思い出もひと際だろう。これまた訪れていたお客さんの漏らした一言が耳に残った。

「親が自分の若い頃を思い出すのに、もう学生になった子ども連れてきてる、って感じだな」

 以前台湾で独立書店を営む50代の女性を取材した際、「誠品書店といえば、若い頃の読書体験と切っても切れない場所だった」と語っていた。それまで受験参考書ばかりを扱う場所が「書店」だった。それが、誠品の登場によって、教養やアート、デザインといったジャンルの書籍を扱うようになった。それまで国際社会との関係を絶っていたともいえる台湾の人たちにとってみれば、海外の書籍を目にする体験は、とても鮮烈な印象を残したのだろう。だからこそ、青春を過ごした場所がなくなる、それは人によって多少なりとも痛みを伴ったのかもしれない。

外来者から見た誠品のすごさ

敦南店前の緑豊かなクスノキ並木も、この日の人出の多さには驚いたに違いない(撮影筆者)
敦南店前の緑豊かなクスノキ並木も、この日の人出の多さには驚いたに違いない(撮影筆者)

 敦南店と信義店、2つの店舗を歩きながら考えていた。日本の書店チェーンはいくつも思い浮かぶ。ただし、その基幹店が閉店になったからとて、ここまで人やメディアが集まるだろうか。こんなにもたくさん閉店を惜しむ人がいるだろうか。

 近年、日本で誠品が注目されるようになっていく一方で、台湾の人たちの中には、「誠品のパワーは初期と比べものにならない」「単に文学青年を気取りたい人たちを増やしただけ」という厳しい声があること、誠品離れといった傾向があることも、知らないわけではない。だが、それはある意味で誠品の生み出したカルチャーが、すでに台湾の人々の暮らしに定着したからではないか。外来者である筆者にはそう映る。

 というのも、誠品が台湾にもたらしたのは、海外の見たこともなかった本を台湾に持ち込んだだけでもなければ、世界初の24時間書店営業という特殊な営業を始めただけでもないからだ。

 日本では「読書」というと文字を追う行為を指す。だが、先に紹介した店内の様子にもある通り、誠品は、読書を本を読む行為にとどめることなく、文字も音楽も料理もひっくるめてコンテンツを愉しむ、という意義にまで拡大させている。そしてこれは、書店という場所をプラットフォームとした、コンテンツプロデュースにあたるのではないか。

 台湾各地にある独立書店では、個人商店であるにもかかわらず、本を置くだけでなく、独自に店の世界観をつくり、地域に向けて本とともに各種のイベントやサービスを提供している。筆者がこれまでに取材した独立書店のうち、イベントスペースを開店前から考えに入れていた店舗は少なくない。つまり、そんなふうに書店人を育てたのもまた、誠品ではなかったか。

 記者会見の会場で、広報担当者が筆者に「2日前(5月29日)から、日本橋の誠品生活は通常営業が始まったんです。同僚たちも、『ようやく』と喜んでいました」とうれしそうに教えてくれた。誠品もまたコロナの波を被っている。

 読書を今もなお、本を読む行為や書籍単体で考えがちな日本と、読書もイベントも文化を構成するコンテンツの一つとして早くから取り組んできた台湾。日本が勝てないでいるのは、何もコロナ対策だけではないのではないか。だからこそ、誠品書店は日本への余地を感じたのだろう。紙もネットも、多種多様なコンテンツが競合する現代、書店をプラットフォームとする業態はこれからどこへ向かうのか。引き続き、注目したい。

台湾ルポライター

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。雑誌『& Premium』でコラム「台湾ブックナビ」を連載。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。

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