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日常を取り戻しつつある台湾 感染者情報をどう活用し、どう保護しているのか

田中美帆台湾ルポライター
感染者と同時に同一地点にいたため、適宜指揮センターに連絡を、とある(撮影筆者)

届けられたショートメッセージと感染者の行動ルート

 「自主隔離するように、ってショートメッセージを受け取ったんです」

 筆者が現在通う台湾の大学院で同じ授業を受けていた台湾人クラスメート2人の言葉に、ギョッとした。折しも学内で感染者が出て、授業はオンラインで行われていた時のこと。そして次の授業を引き続きオンラインにするか、それとも教室で行うのか話し合っていた際に、聞かされたのである。気になったので後日、当のメッセージを見せてもらった。

 シンプルだが、具体的な指示が書かれてある。感想を聞いてみると、「普段だったら『えっ!?』だけど、今はこういう時期だから、特に驚かなかった。それに、ショートメッセージのことは記者会見でも言われていたしね」と実にあっさりした反応。

 このショートメッセージはなぜ送られたのか。

 クラスメートらは、新型コロナ感染者が通過したのとほぼ同じ時間帯に、同じ場所を訪れていた。

 話は遡ること4月18日、台湾中央感染症指揮センターは新型コロナの集団感染が発生したと発表した。航海訓練に出ていた海軍の軍艦3隻で結果として36人が感染。これまでに判明している台湾の域内感染者数は55人に抑えられていることから考えると、この数は際立っていた。

 問題視されたのは、海軍という国を守るべき組織から多くの感染者を出したこと自体もだが、指揮センターが周知していたはずの症状を甘く見て確認を遅らせたまま、航海訓練期間中の4月15日に台湾南部の高雄市で下船して台湾内を往来し、わずか3日間で数多くの濃厚接触者を出したことだった。

下列中央が台湾域内の感染者数、下列右が海軍の感染者数。5月24日現在、台湾の累計感染者数は441人、死者は7人。(衛生福利部公式Facebookページより)
下列中央が台湾域内の感染者数、下列右が海軍の感染者数。5月24日現在、台湾の累計感染者数は441人、死者は7人。(衛生福利部公式Facebookページより)

 筆者のもとには知人から20日の段階で彼らが立ち寄ったポイントや店名の一覧が届き、21日には立ち寄った時間帯が含まれた一覧表が送られてきた。受け取った当初、筆者は情報の出所を知らず、なんだか怪しげな気さえしていた。ところが調べてみると、この事実発覚の翌日に中央感染症指揮センターが発表した情報だった(公式サイトはこちら)。

(敦睦艦隊COVID-19感染者の行動ルート:衛生福利部疾病管制署公式サイトより)
(敦睦艦隊COVID-19感染者の行動ルート:衛生福利部疾病管制署公式サイトより)

 最初こそ36人という数も手伝って圧倒されたが、その表を見ながら自ら(記載された場所には行ってないし、感染の可能性はない)と判断できていることに気づかされた。

 事態を脳内で地震に置き換えてみればいい。先の2人が受け取ったショートメッセージは、いわば緊急地震速報にあたる。SMSによってその身に迫る危機を知らせ、適切な行動を取るよう促す、という役目を果たす。そして36人の行動ルートは、多少無理があるかもしれぬが、各地の震度情報といえる。危険性の高い場所はどのあたりで、自分との距離感を認識、把握できる判断材料となる。

 そう脳内変換してはじめて、ショートメッセージも指揮センターによる公式メッセージであり、行動ルート一覧も指揮センターによる公式情報だということに合点がいった。

 ただし、この一件を通じて気になったのは、新型コロナウイルス感染症という特殊状況下での、個人情報の取り扱いである。

台湾の感染者に関する公表内容は?

 台湾で連日行われる指揮センターの記者会見では、新たな感染者が判明すると、関連情報が公開される。まず、これまで指揮センターによって公表された例を見てみよう。

【公表例1】

 台湾北部の50代女性。1月13日から15日に中国武漢を旅行した後、華南海鮮市場には行かず、16〜25日までヨーロッパを旅行。1月22日にせきの症状が出始め、25日に悪化したため、同日に1人で台湾に戻った。帰途の機内では、ずっとマスクをしており、「新型コロナ肺炎予防のための旅客入境健康宣言カード」を記入し、台湾に戻った際には自主的に空港の検疫担当者に申告し、即、病院に送致され、病室で隔離された。その後、検査を受け26日に感染が確認された。現在、健康状態は落ち着いている。(1月26日発表のニュースリリース。拙訳)

【公表例2】

 中央感染症指揮センターは本日(9)日、国内にCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)による台湾本土の感染例(第380例)が新たに増えたことを公表する。同患者は第322患者と同室の宿舎のルームメイトで20代の男性である。症状はなく、322患者の濃厚接触者であるため、3月30日から自宅隔離を行い、4月6日に衛生局による検査を行ったところ、本日感染が確認された。(4月9日発表のニュースリリース。拙訳)

 内容はどちらも、感染経路、性別年代、そして発症した日付と病状の経過に絞られる。たとえば後者の「宿舎」とは某大学の宿舎で、記者会見では記者が学校名を口にしたが、センターの担当者は校名を口にせず、校名を否定もしていない。リリース上に校名の記載はなかった。その後、指揮センターの記者会見直後に当該の大学側がその事実を公表し、校内の全面消毒を行ったほか、当面の間はオンラインなど遠隔による授業が行われた。

 では、こうした情報公開は、どういう考えに基づいて行われているのか。筆者は指揮センターに取材を申し込んだ。

指揮センターの会見は、今年1月21日から連日実施され、多様なチャネルでライブ配信される。5月24日は経済的打撃が深刻な南部・屏東県をセンター関係者が視察した(衛生福利部疾病管制署公式YouTubeより)
指揮センターの会見は、今年1月21日から連日実施され、多様なチャネルでライブ配信される。5月24日は経済的打撃が深刻な南部・屏東県をセンター関係者が視察した(衛生福利部疾病管制署公式YouTubeより)

指揮センターから届いた回答

 蔡英文総統2期目の就任式を終えた5月20日、指揮センターからメールで回答を得ることができた。その回答には、今年4月1日の記者会見で、情報公開に関する原則が示されていたこととあわせて、以下の原則が記されていた。

  1. 政府情報公開法第5条に基づき、政府による情報は法に基づき自主的に公開、あるいは市民の申請によってこれを提供すること。
  2. 伝染病予防法第7条に基づき、主管機関は感染症の発生を防止するため、各項目を調査し、予防に有効な措置を実施すること。感染症がすでに発生、あるいは流行した際にはできるだけ速やかにコントロールし、その蔓延を防止すること。
  3. 個人情報の保護にかかわる場合、伝染病予防法第10条を原則とし、感染症およびその疑いのある患者の氏名、病歴および病史にかかわる情報は、これを漏らしてはならない。ただし、「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の予防・治療および救済・振興特別条例(嚴重特殊傳染性肺炎防治及●(糸偏に予)困振興特別條例)」第8条第2項に基づき、防疫期間においては、中央流行感染症指揮センターの指揮官は、感染拡大を避けるため、新型コロナウイルス感染症患者に対し、録画、撮影、その個人情報の公開、あるいはその他予防治療に必要な措置あるいは処置を指示することができる。

出典:指揮センターの返信メールより。拙訳

 そして、原則として公開非公開が分類された一覧が送られた。ごくごく要点をまとめると次のようになる(サイト上で公開されている。詳細リンク先はこちら)。

公 開:性別、年代、居住エリア、濃厚接触者の類型、行動履歴(交通機関、公共施設)

非公開:氏名、既往症と病歴、受診医療機関、職業、仕事内容、公的機関の所属部門

 どれにも基準となる理由が明確に示されており、なおかつ非公開となっている項目も「感染予防に必要なら、より詳細な情報を公開する」と添えられている。

 「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の予防・治療および救済・振興特別条例」とは、今年2月25日に台湾立法院を通過して公布されたもの。全19条からなり、施行期間は2020年1月15日から2021年6月30日までとされ、場合によっては延長もできる。

 そして個人情報にかかわる第8条には、「前2項の個人情報は、ウイルス感染がなくなった段階で、個人情報保護関連法に従って処理される」と、情報の使用期限が定められた措置であることも明記されている。

原則に掲げられた人権保障

 『SARS10年』という報告書がある。これは台湾の衛生福利部疾病管制署、つまりは保健省疾病対策部が2003年に起きたSARS(重症急性呼吸器症候群)から10年後に流行型疾病の対策をまとめたもので、全311ページに及ぶ。

 保健省の歴代大臣や局長クラスの担当者がSARSを振り返った上で、関連法令の改正から、政府による組織の立ち上げ、各種情報網の整備、さらにはSARS後に発生した感染症の状況、そしてそれらを踏まえた組織の改革や人材育成の状況と展望など、多岐に渡る対策がまとめられている。この中に「核心となる原則」として、次のような文言が確認できる。

 流行感染症へのさまざまな対応は、その合法性、人権の保障、および倫理問題が十分に考慮されることが必須である。さらに、それらは全力を尽くし、決して手を緩めることなく準備されなければならない。それぞれの項目について核心となる原則は次のとおりである。

 1.緊急時対策の法制化:新薬の導入や緊急ワクチンの大量使用など、医療及び公衆衛生における介入手段は、人々の健康と密接に関係するため、いずれも極めて慎重に行われなければならない。したがって、その手段を法制化することは必須であり、医療の利益のためその防疫にあたるスタッフ、そして人々がしっかり遵守しやすいものでなければならない。

 2.基本的人権の保障:公衆衛生を維持し、多くの人々の命と安全を保障するため、流行拡大の期間においては、一部のプライバシー権と市民の自由は制限される可能性がある。人権に影響を与えるような貿易策を実施する前には、必ずその必要性、合理性を確保し、原則に照らし合わせ、公平で差別的要素のないことが求められる。

 3.倫理原則の遵守:社会全体の利益を優先するために防止策や措置が取られ、なおかつ一部市民や個人の利益が損なわれる場合は、これら決定された施策が公平性、有用性、自由、互恵といった倫理原則を考慮しなければならない。さらに、一切が等しく国家の法令に基づいているだけでなく、医療へのアクセシビリティ、大量の遺体処理における文化的宗教的、リスクの高い集団への必要性など、すべて倫理にかかわるため、より慎重に対応しなければならない。

出典:衛生福利部疾病管制署『SARS10年』より。拙訳

 法制化だけではなく、人権を保障し、倫理に則って対応すべきだ--報告書が出されてからすでに7年が経過した。新型コロナ対応の裏には、周到な準備があった。

感染を防ぐ情報公開とは?

 台湾の指揮センターへ送った質問の最後に、メディアへの要望を聞いた。すると、こんな答えが返ってきた。

 感染者の情報は、政府に対する信頼と皆様のご協力によるものです。調査員に対し、誰もが率直に、可能な限り素早く的確に整理して、時宜に応じて伝えることで、連日の指揮センターが行う記者会見では、オープンで透明性のある新型コロナの情報をメディアおよび国民にお伝えしています。メディア関係者の皆様には、感染対策期間中、関連報道の強化に加え、すばらしい報道がなされていると受け止めております。

出典:指揮センターの返信メールより。拙訳

 政府によって、防疫期間には必要だ、と断った上で個人情報の一部が公開され、必要な法整備をした上でメディアと協力して情報を届け、予防につなげようとする台湾。では、日本では公開された情報をもとにどう身を守ればいいのだろう--台湾の実践は、大きな問いを投げかけている気がしてならない。

台湾ルポライター

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。雑誌『& Premium』でコラム「台湾ブックナビ」を連載。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。

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