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オダギリジョー 主演・プロデューサーを務め、続編を熱望する「思い入れが強い」ドラマで伝えたかったこと

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
(C)フジテレビ

オダギリジョーが主演・プロデューサーを務める“借金返済プロアルバイター・ロードムービー”、ドラマ『僕の手を売ります』

俳優のオダギリジョーが主演・プロデューサーを務めるドラマ『僕の手を売ります』(FOD・Prime Videoで配信中)が話題だ。45歳の主人公、“プロアルバイター”大桑北郎(オダギリ)が、多額の借金を返済するため全国各地でアルバイトをして回り、行く先々で起こる様々なトラブルに巻き込まれながらも、家族と向き合っていくロードムービーだ。

脚本・監督は冨永昌敬。オダギリとは映画『パビリオン山椒魚』(06年)、『南瓜マヨネーズ』(17年)に続き 3 回目のタッグとなる。オダギリは企画段階から参加し、冨永監督と共に脚本の構想を練り、並々ならぬ愛情を注ぎ込んだドラマだ。このドラマの魅力についてオダギリにインタビューした。。

「企画段階から参加して、主演も務めさせていただく作品は今までなかったので、そういう意味ではすごく思い入れが強い作品になった」

(C)フジテレビ
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まずこのドラマの立ち上げから携わることになった経緯から聞かせてもらった。

「色々な方とのタイミングが合ったんですよね。もともと僕がやりたい企画があって、色々と動いて行く中で、冨永監督やフジテレビの鹿内プロデューサーを巻き込む形になっていったんです。結局のところ、僕の企画は色んな理由からダメになってしまったのですが、せっかくのチームだったので冨永さんの企画を育てていきましょう、という事になり、企画を続行させました。最近は自分で脚本を書いて監督もやらせていただいていますが、やっぱりかなりの時間と労力が必要で、その上その時期は俳優の仕事もできない状態ですから、何本も作り続けることは無理なんです。なので今回はプロデューサーという立場で冨永監督のクリエイティビティをサポートできたらと思って、クレジットの端っこに入れていだきました。といっても大した事はしてないんですけどね(笑)。でも企画段階から参加して、主演も務めさせていただく作品は今までなかったので、そういう意味ではすごく思い入れが強い作品になりました。役者って本ができあがってから声をかけてもらうことがほとんどなので、今回ゼロから一緒に立ち上げるということではすごくやりがいもあったし、楽しみも大きかったし、現場での気持ちも違いました」。

「色々な場所でやっとロケができる喜びを出演者、スタッフの皆さんと共有したかった」

冨永監督を尊敬するオダギリの今回の作品への思いの強さが伝わってくる。今回が 3 作目のタッグとなる同世代の二人が、自分達も楽しみながらこの時代に届けるべき作品を練っていった。

「冨永さんは昔から信頼している監督なので、できるだけ冨永さんのやりたいこと、作りたいものを尊重したいと思っていました。監督の最初のアイディアが、横須賀や、山形を舞台にした断片的なストーリーだったので、それらをうまく組み合わせ、日本中を巡るロードームービーにしようと打ち合わせを重ねていきました。コロナ禍でなかなか地方ロケもできなかったので、色々な場所でやっとロケができる喜びを、自分はもちろん出演者、スタッフの皆さんと共有したかったんです。最終的に山形や石巻、横須賀、町田、愛媛などでの撮影になりましたが、実は横須賀は冨永監督が昔住んでいた街だったり、愛媛は監督の実家だったりと、それぞれ監督の思いが詰まった場所だったんです。そういった場所で撮影し、その土地のものをみんなで食べ、苦楽を共にする事でチームの絆はどんどん強くなりましたし、とにかく楽しく撮影できました」。

「大桑北郎は、冨永監督のおじいさんから膨らませたキャラクターだと思うと、やはり大切に演じたいという思いは大きくなったし、脚本に書かれた北郎をより魅力的にしたいなという思いは常にありました」

(C)フジテレビ
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大桑北郎(オダギリ)が、多額の借金を返済するため全国各地でアルバイトをして回り、行く先々で色々な人と接しながら様々なトラブルに巻き込まれながらも、家族と向き合っていく“借金返済プロアルバイター・ロードムービー”だ。不器用で優しい、北郎という魅力的な人間を演じて感じたこととは?

「大桑北郎は背中に『オークワ』と自分の名前を堂々と背負える人物なんですよね。それは誠実さなのか、開き直っているのか、チャーミングな証なのか。実は冨永監督のおじいさんがベースにあったそうなんです。監督のおじいさんも何にでもすぐ名前を書く人だったそうで、監督の思い出の中のおじいさんをベースに膨らませた役だと聞きました。今回は自分がプロデューサーだったから、そうした監督のエピソードを聞く事ができたんです。横須賀に住んでいたとか、おじいさんの事とか。いつも通りの俳優としての関わり方だと、もしかしたら聞く機会もなかったかも知れません。でもそれって実は、大きな違いを生みますよね。監督のおじいさんから膨らませたキャラクターだと思うと、やはり大切に演じたいという思いは大きくなったし、脚本に書かれた北郎をより魅力的にしたいなという思いは常にありました。早い段階から参加できたからこそ、演じる幅が広がったり、役に対する愛着が変わったりという事は作品に大きな作用を生んだのではないかと思っています」。

(C)フジテレビ
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オダギリをはじめ、誰もが認める多彩な実力派俳優が顔を揃えているのも、このドラマの見どころのひとつだ。クスッと笑えて、緩さの中にも漂うクールさ、上質な抜け感とでもいいたくなる心地いい空気が映像から伝わってくる。

「冨永さん特有の抜け感と言っていいかわからないですけど、僕らの時代に共有されている感覚なのかも知れませんね。その世代が持つ価値観ってあるじゃないですか。同い年で、同じような地方で育った僕と冨永さんは、どことなく似た感性を持っているのかな…と思っていますね」。

「北郎のことをちゃんと受け入れているあの家族の存在が愛おしい」

(C)フジテレビ
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全国に出かけ奮闘するプロアルバイター・北郎のことを娘の丸子(當真あみ)も尊敬し、妻の雅美(尾野真千子)も理解し、北郎も必ず家に“帰る”。渡り鳥のようでそうではなく、家族を大切にし、家族も北郎を愛している。その温かさがドラマの真ん中に流れ、大きな存在になっている。

「北郎のあの働き方に対して、まず家族が味方であるというところが大きいと思います。普通の価値観で測ると破綻していると思うけどそうじゃない。北郎のことをちゃんと受け入れているあの家族の存在が愛おしいですよね」。

七尾旅人が歌う主題歌「Drive into The Night」、of Tropique が手がけた音楽にも注目

音楽、音にも注目したい。日常の音、生活音を丁寧に掬いながらも、音楽へのこだわりを感じる。七尾旅人が歌う主題歌「Drive into The Night」がドラマの余韻をより引き立て、エキゾチック・インストルメンタル・ユニット・of Tropique が手がけた音楽がドラマにいい“薫り”を燻らせるように流れる。

「冨永作品はどの作品も音楽との相性がいいんですよね。今回、1話、2話を観ていると、『ここまで使わないんだ…』と思うくらい音楽を使っていなくて、ある意味、ドキュメンタリーのような気分で北郎を追いかけて行くんだけど、後半になるにつれ音楽を効果的に使っていて。最終回に流れ込んでいくグルーヴというか、ビート感というか、盛り上がりを上手く音楽で作っているなと感じたんですよね。やっぱり冨永監督は音楽が好きなんだろうし、音楽との付き合い方をしっかりと考えているんだろうと思いますね」。

自らも脚本・監督を手がけるクリエイターのオダギリは、映像と音楽の関係はどう捉えているのだろうか。

「極論を言うと、僕はなるべく音楽は使いたくないんですよ。音楽が持つ効果が強すぎて、説明過多になってしまうので。どうしても使わざるを得ない時に使うという感じです。もちろんジャンルによっても変わって来ますからね。サスペンスなどは音楽がないと逆に物足りないと感じるだろうし、作品の方向性で考えて行くべきだと思っています」。

「脚本が書ける映画監督って貴重だと思うんですが、僕が仕事をして来た中でも冨永監督は飛び抜けた存在」

(C)フジテレビ
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冨永監督の連続ドラマ初脚本ということでも注目を集めている。

「冨永さんの脚本はとにかく面白いんですよ。そもそも脚本が書ける映画監督って貴重だと思うんですが、僕が仕事をして来た中でも冨永監督は飛び抜けた存在だと思っています。映画は映像で見せる部分が大きいから、作品を観ただけでは、その作家性って伝わりにくい部分があるかも知れません。ただ、僕と同じ世代でいうと、冨永さんや西川美和監督、石井裕也監督たちは、映像だけでなく、その脚本にも個性が光る、素晴らしい作家だと思っています。彼らの存在のおかげで僕もオリジナルで脚本を書かなければいけない、という刺激をもらい続けています。今回の冨永監督でいうと、決定稿になるまでに残念ながらボツになってしまったストーリが 2~3 話あって、それがまた面白かったんですよ。ボツにしなくても良いのに…、と思うくらいの内容なんですが、冨永監督は新しいストーリーを書いて来たんです。それが北郎の義父にあたる、斉木しげるさんが演じた『松夫と竹夫』の話で、それがまた面白かったんです。一度書いた脚本をあっさりと捨て、さらに面白い物語を書いて来るって、簡単なことではないですよ。本当に驚きましたね」。

役者として、また、同じクリエイターとして見た冨永監督とは?

役者としてのオダギリから見た、そして同じクリエイターとして見た冨永監督とは?

「クリエイティブな面においては到底敵わない存在で、尊敬していますね。さっき話した脚本の部分もそうですし、カメラと俳優の関係性や動かし方、映像的な見せ方も含めて、とても勉強させてもらっています。役者から見た冨永監督は『興味深い人』という感じです。監督が脚本を書いているから、監督の演出に疑問を持つ事はないんですが、たまに脚本と全く違うことを求められたり、現場で思いついた事を芝居に加えていくので、本に縛られていない面白さがありますね。即興的に生まれる芝居も面白がってくれますし、とても柔軟な監督だと思います。『え?ここでそんな芝居するんですか?』みたいな挑戦や思い切りの良さもありますし、とてもユニークでオリジナリティのある監督で、そこがとにかく信用している部分ですね」。

「最終回に向かっていく勢いを感じる7、8話は、メインのストーリーから逸れる感じもあって、そこに監督の余裕も感じる」

(C)フジテレビ
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『僕の手を売ります』は全10話。オダギリの中で個人的に思い入れが強い、印象的な回を教えてもらった。

「僕は7(『公務員浪人』)、8(『僕の奥さんの伯父さん』)話がすごく楽しかったです。もちろん他の回と比較なんてできないし選べないけど、最終回に向かっていく勢いを感じることができて、ますますのめり込んで行くように感じたのが 7、8 話あたりでした。メインのストーリーからやや逸れてるような気もしますが、逆にそれが冨永さんらしい世界観を発揮できる場になっていますし、メインのストーリーを追わせることだけがこの作品の目的ではないと宣言しているようで、大人の余裕を感じつつ(笑)、単純に楽しめましたね」。

「“寅さん”というワードは撮影中も出てきたことがあって(笑)、いつになるかわかりませんが、続編は絶対やりたい」

北郎についてオダギリが「この先も見ていきたいと思わせてくれる愛すべきキャラクター」と言っているように、全国で人と触れ合い、人情を感じさせてくれ、誰からも愛されるそのキャラクターはどこか“寅さん”を彷彿させる。もっと観たい、10 話で観られなくのは寂しい、もう一回会いたいと感じた。続編は考えているのだろうか。

「“寅さん”というワードは撮影中も出てきたことがありました(笑)。いつになるかわかりませんが、続編は絶対やりたいと思っています」。

【オダギリジョー】

1976年生まれ、岡山県出身。アメリカと日本でメソッド演技法を学び、『アカルイミライ』(03/黒沢清監督)で映画初主演。以降、『メゾン・ド・ヒミコ』(05/犬童一心監督)や『ゆれる』(06/西川美和監督)など、作家性や芸術性を重視した作品選びで唯一無二のスタイルを確立。『悲夢』(09/キム・ギドク監督)、『宵闇真珠』(17/クリストファー・ドイル監督他)などにも出演し、海外の映画人からの信頼も厚い。NHKドラマ「オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ」(脚本・演出・出演・編集)では、21年・22年と連続で放送され、東京ドラマアウォード2022単発ドラマ部門でグランプリを受賞。初長編監督作『ある船頭の話』(19)は、その年の唯一の日本映画として、第76回ヴェネツィア国際映画祭ヴェニス・デイズ部門に日本映画史上初めて選出され、第56回アンタルヤ国際映画祭(トルコ)、第24回ケララ国際映画祭(インド)で最優秀作品賞を受賞。同年『サタデー・フィクション』(監督=ロウ・イエ、日本公開2023年11月3日)がコンペティション部門に出品。ほか今年の公開に「658km、陽子の旅」(熊切和嘉監督)、「月」(石井裕也監督)。

『僕の手を売ります』オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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